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【社会学#3】家は誰が守るべきか

今朝の「スッキリ」で、

「家事分担についての夫婦間の意識差」が取り上げられていた。
 
街の女性たちの言い分は
・手伝ってくれても、仕上がりに不満
・頼めばやってくれるが、自発的にしてくれない
など。
(後者については「頼まれればやるなら十分じゃないか」という反論もありそうだが、
「人にものを頼む」ことの心理的負担を
考慮に入れるのが日本社会の美しさなのではないのか。
これについてはまたの機会に譲ろう。)
 
一方、男性の不満は
・専業主婦なら全てやってほしい(20代が顔出しで言い切っていることに驚いた)
・手伝った時は感謝の言葉や見返りが欲しい
など。
 
スタジオメンバーの男性陣は、
自分に割り当てられた家事をこなし女性キャスターに賞賛される人と、
全くしませんが何か?な態度の人と、で半々くらい。
テレビ局の編集の恣意性はあれど、
世間的にはまだまだ「夫婦間の家事分担」は当たり前ではないことを目の当たりにして
女性として反射的に、「なんて男たちだ」と思ってしまった。
 
しかし、ふと我が身を省みると、
横暴はむしろ女である自分自身ではないか。
 
女性が声高に「女は家事をするのが当たり前、という認識を捨てよ」と主張するならば、
先に「男は働いて稼ぐのが当たり前」という認識を、女性自身が捨てなければならない。
 
知り合った男性に「お仕事は何を?」と聞いてはいけないし、
合コンの相手を仕事と年収で採点してはいけないし、
「有名企業に就職した隣の息子さん」と我が息子を比べてはいけない。
 
女性解放の問題はしばしば、自由と権利の主張ではなく、
女性ユートピアの実現のための排斥活動に走りかねない危うさをはらんでいる。
解放を求める側は、その活動がテロリズムと化さないよう、厳しく自分を律しなければいけない。
 
話が逸れかけたが、
男性に女性と等しく「家を守る」ことを求めるのであれば、
女性も男性と等しく「一家を支える」覚悟が必要で、
そして現時点では、雇用機会均等といえど、物理的に出産・育児を担う女性が男性と同等に企業活動に従事するのは難しい。
 
そうである限り、女性が男性に、母としての機能を果たすことを求めることは不当であり、
家事分担に関する男女格差は埋まらず、
結果、
加藤さんが実践している「全ての家事を任せて、感謝のキスをする」というのが一番幸せな解決法なのではないかと思う。