旅するトナカイ

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小保方さんの「あの日」を読んで

世間を騒がせた…という言葉はよく聞くけど、私はむしろ「世間が騒いだ」という感覚が近い。

人は誰かと関わり合い支え合いながら生きている限り、世の中を変えるような功績をたった一人の人が成し遂げるなんてことは(その功績が大きいものであればあるほど)ないと思っている。

天下統一も、太閤検地も、郵政民営化facebook繁栄も、たくさんの人が関わって、たくさんの人の手間のうえで実現している(と思う)。ものごとをシンプルにするために、代表者の名前だけが歴史書に残り、功績に対する「誉れ」とそれに伴う「責任」はその人が負うものになっている。でもそこで語られない「その他の多くの人」なしには、きっとそれは実現しえなかっただろう。

何が言いたいかというと、私は小保方さんの騒動をみながら「なんだか気持ち悪いなぁ」と思っていた。

論文はおろか報道の内容も精読していたわけではないが、しかしあんな世の中を揺るがすような大事に対してたった1人が「誉れと責任」を追っているのだろうか? 年功序列と男尊女卑の風潮が残るこの国で、こんな若い女性に全ての権限(とそれに付随する責任)があったのだろうか、彼女を管理監督する責任は誰かになかったのか? 彼女以外の「その他の多くの人」に責任はないのか、むしろ(仮に若い女性がまだまだ活躍しづらいとすると)彼女は「その他の多くの人」ではないのか? ていうか、正直彼女が何をしてようと私たちの日常生活にたいした直接の影響はないんじゃないか?

そんなモヤモヤした気持ちで報道を横目で見ているうちに、その話題もどこかへ消えてメディアは他の話題を取り上げるようになっていた。

 

私はニーチェ「事実は存在しない。解釈だけが存在する」的な考え方の持ち主で、今回の騒動で報道陣からみた「解釈」は聞き飽きたので、小保方さんからみた「解釈」が気になって読んでみた手記。

あの日

あの日

 

 

レビューを見ていると突っ込みどころもいろいろあるのかもしれないけど、その検証には興味はないので…。

読んで思ったのは、やっぱ世の中、政治と人脈か…。

あの本の中の小保方さんはとてもとてもとてもピュアで、研究に対してひたむきで熱心で、科学的証明は裏切らない、と信じていたように感じた。性善説の人なのだな、とも。

世の中には善意と同じくらい悪意も転がっていて、どんなに自分が地道に生きようとしていても周囲が自分を利用しようとしたり、「支援」や「指導」「お世話」の見返りには「奉仕」「恩返し」が求められて、それがドロドロとした人間関係を形成しうる…そういったことを嗅ぎ取って警戒心を持ってうまく流したり、積極的に利用し利用されたりしながら、世間を渡るスキルも人間には必要だ。

きっとあれだけいろんな先生に目をかけられていたということは、優秀な研究者だったのだろう。

そういう優秀な人材ほど、偉い人は政治利用することばかり考えて会社や社会のために最適活用できない…というのは多くの組織のジレンマだと思う。

真面目で責任感のある人ほど入社してから鬱になりやすい、というのもこのケースに近い。でも人事は真面目で責任感のある人を採用したがる。採用したあとで持前の真面目さを発揮すると「もう少しうまくやってくれればいいのに…」と周りは引いた目で見たりする。

 

私もどちらかというと、生真面目で、心の襞というものに鈍感な方なので、ただでさえ生きづらいなぁと思うことは多い。小保方さんの姿を見て、この手記を読んで、他人ごとではないな、と思った。