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【雑記】被害者の「自己責任」と口をついて出ないために

詩織さんの告発をきっかけに、にわかに話題になったレイプ問題。

 

 

この問題が話にのぼると必ずと言っていいほど言われるのが「自己責任論」。わいせつ被害にあう人は、それを誘発するような格好をしているのではないか、というもの。

 

私は一部、この論には賛同するところはある。身なりや行動を意識することで、全ての被害は防げないものの「被害にある確率を減らす」ことはできると思っている。そして、私のように「被害にあう確率を減らすように予防している」人が、予防していない人に対して「だから被害にあうんだ」と非難するのはたやすい。

 

さらに、こと性犯罪・わいせつ行為においては「被害にあう女性=見ず知らずの人の性欲を掻き立てられるほどの魅力に溢れている」のではないかという暗黙の前提があるので、さらに被害者に対する色眼鏡を排除しづらくなってしまう。

先日、情報バラエティ番組で痴漢問題を取り扱っていた時に、司会者が冗談交じりに中年女性のコメンテーターに「あなたは被害にはあわないと思いますけど」と振り、女性の方も「それが私、久々に痴漢にあったんですよ!」と話にノって会場を沸かす場面があった。それまで真面目に議論していた雰囲気から一転、宴会で「モテ・非モテ」をネタに騒ぐノリになってしまい、まさに生放送中に堂々と行われたセカンド・レイプで笑いが起きているその様子こそが、この問題で「邪念・邪推を排除する難しさ」を語っているようだった。

 

私自身も長く被害者に対する偏見を排除できず「予防しなかった自己責任」とまず頭に浮かんでしまう人間だったのだが、しかし冷静に考えればやはり問題は加害者にある。加害者がいなければそもそも予防をする・しないという話にもならないのだから。

 

この「予防を怠った人間に何ら非があるわけではなく、断罪されるべきは加害者である」というのをどう自分に納得させようかと考えた時に、思いついたのが「カツアゲに置き換える」という方法である。

 

街で不良に絡まれたり、路地裏でカツアゲにあい「やすい」人というのがいる。

典型的には、細身で色白のもやしっ子。筋力や戦闘力はおろか逃げ延びる脚力もなさそうで、少し凄んで見せれば震えながら財布を差し出し得るか弱い少年(青年でも中年でもいいけど)。

 

そんなもやしっ子に対して、「情けねえ男だなぁ」と嘆息することはあるかもしれないが、「その貧弱な体が、相手にカツアゲしたくさせるんだ」「武道を習えばいいのに、そうしないお前が悪い」とまで責める人はいないだろう。武道や護身術を習う時間を文化活動に当てることは決して悪いことではあるまい。あくまで悪いのは「弱者の被害の上に不当に利益を得ようとする加害者」の性根の悪さ・卑怯さである。

 

それと同じで、性犯罪・わいせつに関しても、被害にあい「やすい」人がそこにいるからといって、弱者をいじめようとしてはならない。それはやはり卑怯な加害行為として罰せられるべきであるし、被害者には「非はない」としてしかるべきである。

 

 

 

 

 

と、ここまで言っても「とはいえ予防する方法はあるはずだけどね」とは思う。

尻ポケットに長財布を差して歩いている男性なんかを見ても思う。