一瞬、泣いているのかと思った。カーテンの隙間から差し込む細い光が、彼女の頬を青白く光らせていたのだ。
「こどものころ」彼女はおもむろに言った。「ピノキオの話がだいきらいだった。良い子にしていたご褒美に人間にしてあげます、なんて。人間が一番いい生き物だっていう思想が如実に表れてて」
私の首筋がしんと冷えたのはきっと、外気温のせいだけではなかった。彼女の鋭いトゲのある言葉は、けれどとても哀しい色をしていた。考えを巡らせる時間の替わりに私はただ、そうなの、と相槌を打った。
「おまけに悪い子にしてるとロバになってしまうなんて。きもちわるい」
「・・・・・。じゃあ日本昔話の曲もきらいなんだ」
私は「人間っていいな」という節をいい加減なピッチで口ずさんだ。すると「ああ、それはいいの」とけろりと返ってくる。
「だってあれは、今ある幸せを精いっぱいに享受してるじゃない。謙虚でさ、わびさびの文化よね。そうじゃなくて、それを他人に強要する傲慢さとか、そのおごりがいやなのよ」
見慣れているはずの天井が妙に他人行儀に感じて、私はカーテンへと目を向けた。堅くなった冬の空気が、月の光をよく通した。窓際の本棚には、惰性で飾ったままにしてあるぬいぐるみが行儀よく座っている。
ぽつりぽつりと頭の中に浮かんだ空気の泡を、私は言葉に換えた。
「・・・たとえば。たとえば、大事な人とかすきな人のことは、いろいろ知りたいって思うでしょう?」
「・・・・・」
異論のないときに押し黙るのは彼女の癖だ。
「でもいろいろ知るためには、言葉が必要でしょう? だったら同じ言葉を話す人間ならいいのに、って思うでしょう?」
「・・・・・」
彼女の頭の中にも、ぽつりぽつり、空気の泡が上がるのが聞こえてきた。気が、した。
そして彼女は窓の外の雪の気配をかき消すかのように、
「その相手を自分に合わせようとする姿勢が、既におごりなのよ」
ねえ祥子、と私は思った。
あなたは一体、誰のことを言っているの。
それは決して口にはできないことだった。
遠くのふくろうの鳴き声が、夜の長さを語っていた。