私が警察署の横を通り過ぎたところで、ニャア、と声を掛けられました。
見ると、灰色いふさふさとした毛並みのたわしのような猫が、両足をそろえてこちらを見ているのであります。
「サアサ、一寸寄ッテイラッシャイナ。私ノ御話ヲ聞イテオ行キ」
私は思わず足を止め、その猫の目をじっと眺めて居りました。黄色い二つの硝子玉は爛々と、夜の灯に光って居りました。
「放って置いてお呉れ、私は急いで居るのだから」
その通り、私は猫と潰す時間は持て余して居りませんでしたので、先を急ごうと致しました。すると猫は、
「サアサ、良イカラ、一寸夜空ヲ見テ御覧ナサイ。今宵ハ、御話日和ダカラ」
そう言われて私は思わず夜空を見上げたのでした。家々の屋根の遥かに頭上で、小さな豆粒のような星たちが煌々と瞬いて居ります。
さて、隣の家の庭に植わってある杉の木のてっぺんに、まあるい青白いお月さまが、冠を被ったように光っていたのでありますが、そこから少し横を見れば、道路の隅の電信柱の先にも、同じように白いお月さまがぽかんと浮かんで居るのです。
はてな、今宵から月が二つに増えるのだなんて、新聞に書いてあったかしらん、と、私は不思議に思いましたが、しかし実にお月さまはきちんと横に並んで夜空を照らして居るのでありますから、とりあえずはそれをそのまま受け容れるしか御座いません。
そうして暫く眺めて居りますと、二つのお月さまの真ん中を、ぱくりと切り裂くように黒い筋が通りました。よくよく見るとはたしてそれらはお月さまではなく、闇夜を照らす猫の両の眼だったのであります。
「サアサ、一寸オ座リニナッテ。私ノ御話ヲ聞イテオ行キナサイナ」
たわしのような灰色の猫はくうるりと尻尾を振ったかと思うと、にわかに立ち上がって数歩後ろへとことこと歩き、そこでまた両足をそろえてちょこんと座りました。
そのとき、夜空に浮かぶ大きな猫の眼がぎょろりと回ったものでしたから、周りにあった星たちは一寸怯えたように見えて、ぶるりっと身を震わせたのでありました。