人の気持ちとはなんと浅はかで転がりやすいものだろう、と思う。
それは浮気がちな男たちを見ているからではなく、現れては去っていく一時の知り合いたちを思うからではなく、誰よりも自分に対して。
あんなにも恨んだ彼を、いともたやすく、そしてこんなにも、90度の坂を転げ落ちる勢いで、思い焦がれてしまっている自分に対して。
ばかだと思うんだけれど、それでも彼が笑うと心が宙に浮いて、彼の「ありがとう」でわたしはどこまでも飛んでいける。
彼のまなざしがすべてで、彼が照らす世界が、ちいさな自分の宇宙そのものなのだ。
彼がわたしをその目でとらえる。しあわせ。
彼がわたしの名前を呼ぶ。しあわせ。
彼がわたしを気遣ってくれる。しあわせ。
そのしあわせの雲で、わたしはすべての痛みを忘れられる。
けれども、ふと、思い出すのだ。
この雲はまやかしで、わたしはいつか地面に突き落とされる。
わかっているのだ。期待はできないし、夢は見られない。わかっているのだ。
わかっている、のだけれど、
それでもどうしたって、彼はわたしの、太陽なのだ。
いつか沈んでしまう、でも少なくとも今はなによりも、どこにいてもわたしを照らし出す、逃れがたい太陽なのだ。