「アメリ」「ミックマック」に次ぐ、ジャン・ピエール・ジュネ監督作品。
「アメリ」がたいそう好きで(と言うとかなり浅いオシャレ映画好き()に見られるので最近は言わないようにしているが)、それ以来この監督は尊敬しているのだが、「ミックマック」も、そしてこの作品も、「アメリ」を超えるものではなかった。
しかしそれは、この映画が良くないからではなくて、「アメリ」がテーマとしている「恋愛」「自己実現」「日々の幸せ」といったものを遥かに超越したテーマを持つものだから、だったと思う。
前2作のテンポの良さはどこへやら、「天才スピヴェット」はとても静かで、ゆっくりで、慎重で奥ゆかしい、かつ雄大な作品。
それは主人公が科学の天才で小学生とは思えない達観ぶりだから…ということではなく、科学というものがそもそも、日常の悲喜こもごもをものとしない、普遍的で全宇宙的なナニカを見つめるものだから、なのだろう。
この映画は、随所にその科学のエッセンスがブレンドされている。
汽車から見える広いアメリカの田舎風景をただ静かに映すこと、主人公の痛みや悲しみや悩みをやや引いた視点から静かにフィルムに収めること、壮大なクライマックスはなく家族の人生が小さくしかし確実に進んでいくこと。
人の一生とは、全宇宙の壮大な物語の前では些細でちっぽけなものでしかなく、それでも私たちは泣いたり笑ったりしながら、つらい過去に振り回されたり受け容れたりしながら、家族を疎んだり固く繋がり合ったりしながら、そのちっぽけな一生が終わるまで、引いたくじが当たりか外れかを見届けるまで、歩んでいくしかないのだ。
まるで科学者が、全宇宙のうちの微細な一部を、それが全宇宙の真理の探求の端緒となることを願って、丁寧に研究するように。
私がこの映画を知ったのは上映期間も末期で、関西で唯一やっていた遠方の映画館までわざわざ足を運んで観に行ったのはひとえにこの予告編がたいそうそそるものだったからなのだが、見てみると、この予告編はかなり恣意的で、こんな感じの映画ではあまりなかった。
一番のハイライトは、主人公が車の窓を伝う雨粒を眺めながら思うシーン
「水滴のいいところは、抵抗がない方へ流れるところだ。人間はその逆。困難な方へ進んでしまう」