*このお話は、いまから50年か80年後くらいを想像したものです。
高校時代は仲が良かったのだが卒業後は帰省のタイミングが重なれば飲みに行くという程度で、それもここ数年は彼の方が忙しくて時期も合わず、彼の近況はもっぱらテレビ番組の人気レストラン特集や雑誌のフレンチ特集などから得ていた。
この20年間で食文化を革新的に進化させた第一人者の息子が、自分のような、地方大学でひっそりと歴史研究をしている地味人間と同級生なんだと思うと、人の縁とはなんとも不思議なものである。
世界トップクラスのレストランで腕を振るうタカハシ氏の父親は、人類の歴史に名を刻むべき大人物であった。なんといっても食の概念をがらりと変えたという、“フードペースト”を開発したのだ。
食材をすり潰し色素を加え栄養素を注入して、柔らかい粘土のようなブロック状に形成する。硬さや食感、形状のバリエーションも豊富に販売され、それがまた大量生産で安く手に入り保存も効くため、誰もが簡単に、色とりどりの粘土を切り貼りするだけで、色鮮やかで栄養満点の料理を作れるようになった。
発売当初は、動物やキャラクターを模した盛り付けを楽しむ主婦たちのためのものだったそうだが、みるみるうちに世間に広がり、やがて店から食材というものは姿を消した。野菜などは一部の自然主義思想の金持ちが趣味で味わうものとして残っている、それもまた見た目に美しいものばかりが高級雑貨店では売られているらしいが、私のような庶民は未だそのような高級食材にお目にかかったことがない。
タカハシ氏は世界の食文化を変えた父の背中を見て育ち、自身もシェフとして高級フードペーストを使った新しい料理の開発に取り組んでいる。
「アラタくん、僕は信じられないのだ」と、メールは書き出した。
「僕は今まで、父が作ったフードペーストが食事の全てだった。いかにフードペーストの可能性を最高まで引き出し、皿の上で演出するかに人生を捧げてきた。それは、僕のだけでなく、父の可能性を信じて引き延ばすためにやってきたんだ。」
僕は、おやと思った。自信と確信に満ち、しかし謙虚さも持ち合わせたタカハシ氏とは思えない不安が文面に滲んでいた。
そのメール、というよりは彼の懺悔にも近い文面によると、彼はこれまでフードペースト以外の食材に目もくれてこなかった。フードペーストを否定することは父を否定することだったし、それは自分の存在を否定することだった。有名人の父がすっかり自慢だった彼にとってはそんなことは許されなかった。
「僕は、肉を見てしまったんだ。」
君は見たことがあるかい。豚の身体が引き裂かれて、ひとかたまりの肉が作られる様を。それを焼いたり湯で煮たりして食べるおぞましい光景を。
動物性フードペーストは暖色系のものが多くて、味も太いだろう。実際の肉は黄色味のあるピンク色だった。人の肌と変わらない。なんとも生々しい色だ。
私は読みながら、近代史の資料で見たことのある屠殺場の写真を思い出していた。写真からではおそらくタカハシ氏に迫る恐ろしさは伝わらないのだろう。
「アラタくん、僕は」タカハシ氏は続ける。「それを美味しそうだと思ってしまったんだ。野蛮で下品な肉を、食べたいと思ってしまった。」
僕は、シェフ失格だろうか、それ以前に、人間失格だろうかーー。
タカハシ氏が私に友としての慰めを求めていたのか、歴史学者として彼の知らない食の変遷と肉を食すことの妥当性を説くことを求めていたのか、何日経っても分からなかった。
分からないうちに、彼は死んでしまった。交通事故だと聞いた。彼の料理のファンたちは大変に残念がった。
私は、彼を死に至らしめたのはトラックではなく、美しく野性味に溢れた旨味の香る豚の肉だったのではないか、と、その旨味を口いっぱいに感受しながら想像した。