こんな記事を見つけた。
テレビ局批判は今や珍しくないけど、
自分も「これは…?」と思った番組だったので、つい気になった。
「世界の日本人妻は見た!」はMBSで火曜日にやっているバラエティ番組。
外国に住む日本人の視点から、日本との違いを面白く紹介する。
現地で場当たり的に日本人を探し、海外に住んで驚いたことを教えてもらう。そのコメントを元に検証、実際にその場面を映像で紹介していく、というスタイル。
私は数回しかこの番組を見たことがないし、見るときもながら視聴だけど、やってると見ちゃうしわりと楽しんでいる。
日本人探しの行き当たりばったり感はリアルだし、その後の検証でも気になることは周辺情報まで調べられていて痒い所に手が届いている。取材スタッフは優秀なんだろうなー!と毎度感心する。
しかし一方で、ん?と思う瞬間が時々ある。
冒頭紹介した記事の筆者は、毎週欠かさず見るほどのファンだったが、だんだんと不快に思うようになり、観るのをやめたそう。
この方の番組に対する指摘は主に2つ。
1. (外国の紹介の仕方が偏っていて)ステレオタイプの刷り込みにより海外を“知った気になる”ということ
2.「世界から見た日本」という観点が無視され、あたかも日本が世界のスタンダードであるのような伝え方
前者に関しては、私はそんなに問題とはとっていない。
地域における「スタンダード」を知っておくことの利点は多い。マジョリティの性質を学ぶことは、エチケットやマナーを学ぶこととさして変わらない。
多くの人はそうだと知っておくのはいい、けどそうじゃない人もたまにいる。それだけのこと。(スタンダードを知った上で個別の状況にどう対応するかは、その人の知恵と経験による。)
しかし後者に関しては「私と同じように違和感を持つ人がいたんだ」と正直安心した。
私の印象では、VTRは割とフラットに「(ポジでもネガでもない)驚き」という視点で作られているけど、それに対するスタジオの反応が偏っている。
日本に比べておおざっぱだと「えーっ、汚い」
日本に比べて不便だと「こんなの無理」
私が最も不快感を覚えたのは、南米の国を取り上げていた回。
南米のとある国では(確かアルゼンチン)、パンは中をほじくり出して外側だけを食べる。あとテーブルに落ちたパンくずはパンをちぎってそれで拭き取る(それは食べずにお皿へ)。
それに対して、スタジオでは「中の柔らかいところが美味しいんじゃないか」「中が生焼けなんてことはない」。
それをVTRを見ながらやるのならまだよかった。スタジオに呼んだ外国人(1人)に実際にやらせて、普段通りにパンを食べるその人の目の前で「ヤダー」と汚いものを見るような反応をするのは、集団で1人を叩くいじめみたいで見ていて気分が悪かった。
日本人に対してそれをするのは分かる(にしても言い方はひどい)。好みは人それぞれとはいえ、スタンダードを知識として持っておくために「一般的にはこうなんだよ」と教えてあげることで、助かる人もいるだろう。
でも外国の人に自分の国を紹介させておいて、日本の常識を当てはめどうこう批判してどうなるというのか。
地域の習慣は、そこの歴史や文化に根ざしている。
それを無視して、日本の文化的背景に照らし合わせてアリ・ナシを判定してもなんの意味もない。
なにより、知名度があってきっと海外ロケなどで世界と触れる機会もあるであろうMCやコメンテーターたちがそんなことをしているのに驚いた。
番組を少しでも刺激的にするためなのかもしれないが、もしそうなら、番組の視聴率稼ぎよりも芸能人としてのキャラや評判を考えた方がいい。
繰り返しになるけれど、習慣とは、文化であり歴史だ。
ある人の好みや習慣を批判することは、 その人の育ってきた文化、その地域の歴史、環境、その人の家族や人生を否定することだ。
その人を通して自分が世界とつながっているのだという感覚を持っていれば、やすやすとその人を頭ごなしに否定することはできないだろう。
ある人を見て、その先にある世界に想いを馳せる。
そこから、異文化の尊重・他者への理解が生まれると思う。
そういう意味では、最近ネットを賑わせた「ポテトは学生気分」問題にも、ある種通ずるものを感じる。
ところで、その「世界の日本人妻は見た!」のスタジオ内の批判的・同調的な空気の中、おずおずとでも「オレはこの方がいいなぁ」と言えるのが出川哲朗。
ポンコツ芸人が、ポンコツキャラゆえに多数派に流されず空気を変えてしまえる。みんなが固定観念に囚われて見失ったことを言ってしまえる。出川さん、かっけえ。
これ、「地域を変えるのはよそ者、若者、ばか者」とよく似た構図。これについてはまた別の記事で書こうと思う。