観てきました、シェイプ・オブ・ウォーター。映画館で映画を観るのは久々です。
アカデミー賞4部門、ゴールデングローブ賞2部門、ベネチア国際映画祭金獅子賞と、数々の賞をガブ飲みした作品。
周りの人の感想で「純粋な恋愛映画だった」というのが多かったのですが、しかし「パンズ・ラビリンス」の監督なんだからそう甘くはないでしょ…?と疑っていたら、やっぱり、そう甘くはなかったです。
※後半はラストのネタバレを含みます。ネタバレを含む箇所は記載してありますので、まだ見てない!という方は前半のみお読みいただければ。
予告編
音楽と映像の組み合わせが気持ちのいい、ニクい予告編ですね。
あらすじ
冷戦下のアメリカ。
主人公のイライザは、発話障害があり耳は聞こえるけど手話でしか会話できない女性。古いアパートに住み、「航空宇宙研究センター」の清掃員として働いています。
友人は、隣の部屋でほぼ共同生活を送っている、時代の流れから置き去りにされた画家の老人ジャイルズ、そして職場でイライザをいつも気遣ってくれるアフリカ系女性の同僚ゼルダだけ。
ある日、ゼルダとともに清掃していた研究室に、1台のタンクが運び込まれます。中にはアマゾンで捉えられたという半魚人が。センターの研究員達は、この半魚人を利用して宇宙開発でソ連の優位に立とうと画策している。
引き締まった体に、丸い目。不思議な魅力を持つ半魚人。
声が出せないイライザは、言葉を話せない半魚人と心を通わせる。
イライザは研究員のIDカードをくすねて半魚人の研究室にこっそりと通い、逢瀬を重ねた2人は次第に惹かれ合っていく。
しかし対ソ連の開発競争にしか興味がない軍人上司は、半魚人を解剖しようと言い始める。それを知ったイライザは、半魚人の命を救うため、友人たちと半魚人救出を計画する。
言葉も種族も超えた愛で結ばれる、イライザと半魚人。そして半魚人の命を狙う研究室の影。
2人を待ち受ける運命とは……。
大人のプラトニック恋愛映画
声が出せない女性と、人間に囚われた半魚人。監督が愛した「美女と野獣」をまさにトレースしたような恋愛映画です。
恋愛経験値の低い2人は、会うたびに少しずつ、まるで中学生の恋愛みたいに恐る恐ると距離を縮めていきます。その姿がなんとも愛おしい。
都会のイケイケ系外国映画だと、ニューヨークの街角で男女が出会って、見つめ合ったかと思うと次のシーンではベッドで絡み合ってる、みたいなのもありますよね。それはそれで「ヒュゥ〜、アメリカ〜ン!」と楽しめるのですが、自分の恋愛観の中にはそういうのに対する憧憬は全くない。
思うに、そういうスピード感のある対人コミュニケーションを「自分側のもの」として見れる人って、やっぱりコミュ力が高い人、現代社会への適応度が高い人だと思うんです。私のような、常にほんのりと「生まれてくる時代と場所間違ったかもな〜」感を持ちながら生きているマイノリティ人間は、何年生きてもそのスピード感にはついていけない。
むしろ、いい大人になっても中学生みたいに一段ずつ、お互いの気持ちを確かめ合いながら近づいていくプラトニック・ラブが、ストレスなくて安心するのです。(ていうか、スピード感のある側の人は中学生の時から一段ずつなんて悠長にやってないのかもしれません。)
…とはいっても大人の恋愛ですからね、やることはやりますのでこの作品はR-15指定です。
あとちょっとグロシーンもあります。スプラッタ系ではなく、傷口をぐりぐりやる的なアイタタ表現ですね。「パンズ・ラビリンス」が相当痛かったので覚悟していましたが、あれよりはだいぶマシでした。個人的には目を背ける必要は一度もなかったです。
とにかく、一口に「恋愛映画」と言っても、イケイケノリノリなマンハッタン恋愛映画もいいけど、ピュアな恋愛で心洗われたいわ〜って気分の時には、この映画はぴったりです。
それこそ私は「アメリ」に青春の全憧れを持ってかれた人間なんですが、美術も音楽も恋愛観もジャン・ピエール・ジュネ監督に通ずるものがあると思いました。「アメリ」好きは、これも好きかも。
「生まれる時代を間違えた」人たちの映画
主人公のイライザは、口がきけないながらも近しい人たちには好かれていて、刺激的ではなくても見たところ幸福そうに生活しています。でも、もちろん苦労した過去があったのだろうという気配はするし、きっと生活のあらゆるところで「他の人ができることを、できない人」という眼に晒されていることは想像に難くありません。
相手役の半魚人はもちろん、イライザの親しい友人達も、日常的に自尊心を傷つけられてきたマイノリティの人たちです。
同僚のゼルダはアフリカ系。当時のアメリカは露骨な黒人差別がまだ色濃かった時代ですから、彼女が口のきけないイライザと親しく付き合っているのも、きっと偶然ではありません。
そしてもう1人の親友、隣人のジャイルズは同性愛者で独り身。芸術家肌というところもあってか家事がからっきしで、毎日の食事をイライザに作ってもらっています。広告用のイラストレーターとして仕事はしているものの、写真の台頭で仕事は下火。
そんな、仕事もプライベートもメインストリームから外れてしまった彼自身の口から「生まれてくる時代を間違えたんだ」というまさにそのセリフが語られます。
もしも時代が違っていれば、国や地域が違っていれば、ほんの少し、性格や育った環境が違っていれば。しかし彼らはそんな愚痴をこぼしていても仕方がないことは分かっている。
イライザとジャイルズが家事を助け合うように、彼らはお互いに助け合い補い合いながら平和な暮らしを守っていく。
一方で、作中の悪役、研究所の責任者・ストリックランドは、絵に描いたようなザ・いけ好かない成功者。郊外の一軒家に住み、美人の妻と2人の子供を持ち、最新型のキャデラックを乗り回します。人を人とも思わず、自分の野心のためならどんな手段も厭わない恐ろしい男です。
この映画に登場する「怪物」は異形の半魚人ではなく、紛れもなくこの社会で「勝ち組」に分類される人間、ストリックランドなのです。
力のないマイノリティ達が到底かなわないような権力と残忍さを持つこの「怪物」に、仲間たちはどう立ち向かうのか。ただ愛する人を愛し続けることさえ許されないイライザと半魚人は、どうやって愛を貫くのか。
恋愛映画でありながら、マイノリティ達がいかに自尊心を保ち、彼らなりの幸福を守っていくのか、そういう物語にも見えました。
マジョリティ的な「勝ち組」にはなれない・なる気もないし、きっとメインストリームに乗ることはもうできない気がする。それでも愛する人と出会いたいし、自分の大切な人たちとの大切な生活を守りたい。
そんなささやかな幸福を願う人に、一筋の光と勇気を与えてくれる、そんな映画です。
※以下、エンディングに関するネタバレを盛大に行います。お望みでない方はここで別記事にでも飛んでくださいませ。
(この映画のキーになる「水」 でやはり思い出すのは、ジャン・ピエール・ジュネ監督「天才スピヴェット」。「水は抵抗の少ない方へ流れる。人間はその逆」という美しい一節を思い出しました。)
※ラストのネタバレを含む感想
このエンディングは「めでたし めでたし」か?
ギレルモ・デル・トロ監督作品は「パンズ・ラビリンス」しか見たことがないのですが、ポスターやあらすじの感じからすでに、この作品と同じようなダークファンタジー系なんだろうな、ということは感じていました。
(しかしこの監督、日本のSFアニメも好きで「パシフィック・リム」などの SF作品も手がけているようですね。「ロード・オブ・ザ・リング」の続編、「ホビット」シリーズの脚本もされています。)
「パンズ・ラビリンス」は私の中では、全く救いのない映画で見終わってからモヤモヤの海に溺れる、後味の悪さ TOP 10に入るトラウマ映画です。
なるべくネタバレにならないように言うならば、作品の中では「めでたしめでたし」= "They lived happily ever after." かのように語られているのですが、「そりゃ主人公の精神面ではハッピーエンドかもしれないけどさ、現実世界では最高のバッドエンドじゃん!?」っていうオチなのです。
本作も、これに通ずる「一挙両得とはいかない、半分だけのハッピーエンド」。
冒頭の「あらすじ」の続きをがっつりネタバレいたしますと、
研究センターから無事、脱出に成功した半魚人は、イライザの家に匿われます。ここで2人の楽しいラブラブ同棲生活が始まります。まさに恋愛の絶頂期。
しかし半魚人も、イライザの狭いアパートのバスタブ生活では生態に悪影響を及ぼしてしまいます。研究センターの中でも純粋な科学者マインドを持ち「この神秘的な生き物を殺してはいけない!」と言ってくれる研究者・ホフステトラー博士も協力してくれますが、生命力はみるみる落ちていく。
半魚人を救うためには海に返すしかない。イライザは、近所にある水門が、雨量が一定以上になると開門して海につながることを発見し、次の大雨の日にこの場所で半魚人を逃がそうと決意します。
しかし、半魚人を海に返すということは、愛し合う2人が引き裂かれてしまうということ。
みるみる弱る半魚人と、離れたくない恋人たちの想い。運命の大雨の日、せめぎあっているのも束の間、半魚人が行方不明になって大慌てのストリックランドはいろんな人を尋問して、イライザが半魚人を匿っていることを突き止めます。ストリックランドに追われて、慌てて水門へと逃げるイライザたち。
水辺で最後の別れの挨拶を…と思ったところでストリックランドに追いつかれ、なんと恋人たちは銃で殺されてしまいます。しかし、驚異の治癒能力を持っていた半魚人はすぐに復活し、ストリックランドに反撃して一撃で殺害(かっこいい)、傷ついたイライザの傷を治し(かっこいい)、2人で海へと逃亡します。海の中でイライザは、半魚人の不思議なパワーによってエラ呼吸の能力を発動、これで2人は海の向こうでも離れることなく一緒にいられます。
最後に、隣人ジャイルズのナレーションで「きっと幸せに暮らしたんだろうなと思います」みたいな希望的観測が述べられて、この物語は幕を下ろします。
(ホフステトラー博士がソ連のスパイだったとか、半魚人のマジカルパワーでジャイルズのハゲが治って大喜びとか、いろいろ大事なところを端折ってはいますが大筋はこんな感じ。)
…そう、この「ハッピーエンド」は、あくまでジャイルズ(及び観客)の希望的観測。
むしろ私の目には「一つの不幸からは逃れられたが、また別の不幸がきっと待っている」という風にしか見えない。
ラブラブ絶頂期で2人だけの世界(半魚人の社会?)へと逃亡した2人が、コミュニティとの接点がなく「幸福」な生活を続けられるでしょうか。
とあるミュージシャンのインタビューで、離婚経験のあるインタビュアー&ミュージシャン(デスキャブ・ベンさま)が「恋愛状態で結婚しちゃいけない、いちど相手に『飽きる』過程がないと」という話をしていました。
まさにこの主人公の2人は、マイノリティ同士で運命的な出会いをしたというきっかけから燃え上がるように恋を発展させましたが、しかし2人を見守ってくれる仲間たちから離れて2人だけで安定した人間関係圏を維持できるほど成熟してはいない。
人間は誰しも、多かれ少なかれ不完全な生き物です。他者の支えなしに日々の生活すらしていくことはできない。
だから人は社会と接点を持ち、何かしらの(できれば複数の)コミュニティに属していることが望ましいのです。コミュニティは、自分を支える基盤であり、自分が変化した時にその変化幅を見極める基準になる。
ジャイルやゼルダの存在なくして、イライザは自活を続けることができるでしょうか?
逆に、ジャイルやゼルダは、イライザ無しに生活していけるでしょうか?
どうにかはするかもしれません。でも、イライザが恋人と引き換えに手放したものは、実はとても大きいのではないかと、私は思うのです。
実際、あんなにもイライザを気にかけて愛してくれていたジャイルは、彼女のその後の行く末を知らず「幸福に暮らしていればいいな、きっと2人は一緒だろうな」という憶測でしか彼女を語れない。彼女が属していたコミュニティの誰も「彼女がいまどうしているか」を知ることはないのです。彼女が半魚人との生活に困っていても助けることはできない、愚痴の一つも聞いてあげることはできない。それは、イライザ自身にとっても、幸福に近づく上での一つのリスクなのです。
とはいえこれは、あくまで私個人の「幸福の尺度」…つまり、恋人と2人の世界が完成すればそれでOKではなく、コミュニティの中で見守られてこそその暮らしが維持できる…という尺度で測った場合。
人によってはこの映画を見て「自分に合ってない社会を離れられて、超ハッピーじゃん!」と感じる方もいるかもしれません。そしてそれもそれで、完全に一理ある。特定の人との深い関係を大切にして、他の浅い関係は絶ったほうが幸せだという人もきっといると思います。
私はリスク分散派の人間なので、それがどんな運命の出会いだろうと「この人さえいれば他に何もいらない!」というのは綺麗事でしかなくて、自分が貢献できて自分を見守ってくれるコミュニティは一方で、自分のためにもコミュニティの人たちのためにも離れすぎないほうがいい、と思うのです。何かあった時に話せる人がいる、それが1人ではなく何人かいる。それが自分にとっても、相手にとっても負荷が分散されるのでは、と。
…と、ここまで好き勝手書いてみたものの、コミュニティとの接点があろうとなかろうと、出会いが「美女と野獣」の運命的なものであろうとなかろうと、結ばれた男女はいつかは恋の魔法が解けて、映画冒頭のゼルダよろしく「あーあ、もうマジ旦那サイアク」って愚痴る運命なのかもしれません。それなら、いちばん綺麗で楽しいところで終わっておいて「きっと幸せに暮らしたよね、うんうん」って終わっておくのが、大人な対応なのかも(笑)
感想は以上です。
ちなみに、英語版ですがこちらのメイキング映像も面白いです。特殊メイクやCGの裏側を大公開。
劇場でもまだギリギリやっています。場所によってはこれから公開するところも。
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