旅するトナカイ

旅行記エッセイ漫画

【雑記】なぜ「ポキッ」「プチッ」は気持ちが良いのか

最近、鉢の植え替えをした。

春は植え替えのシーズンだ。観葉植物たちの根の育成具合を見て適当な大きさの鉢に植え替えてやる。

 

1年間、鉢の中でじっとしていた土を触ると面白い発見がある。

石ころのような丸い塊があるので摘んでみると、指の中でぼろりと崩れる。土が固まって石のようになっていたらしい。固まった土を指にとっては崩していき、土ではなく石だったものは別に選り分ける。

 

この作業がなんとも気持ち良い。

固い土を、指の中でプチ、プチ、と潰す。

緩衝材のプチプチを潰すような快感がある。

 

枯れてしまった枝を落としてやる時にもまた、似たような快感がある。

水分が行き渡り健康な枝は、衝撃を受けてもぐにゃりと曲がって折れることはない。中の管が死んで、完全に枯れた枝だけがポキンと気持ち良く折れるのだ。

 

この「プチッ」「ポキッ」が「気持ち良い」と感じるところに(ついでに言えば擬音まで「パ」行で口にしていて気持ち良い表現になっているところに)人間が所詮、生態系の中のひとつの道具でしかないことを実感する。

つまり、私たちは他の動物と同じように、この「快感」によって「分解」の役割を担わされているのだと思う。

 

植物は、乾いた枝を自ら切り落とすことはできない。土は、固まったところを自らほぐすことはできない。

私たち動物、動ける者たちがその役割を担うことで分解が進み、土壌が豊かになるのだ。

 

それをつまらない義務としてこなすのではない。私たちの脳には「快感」を埋め込まれ、「娯楽」として参加する。

 

「破壊と創造」とはよく言ったもので、創造するのと同じように破壊行為にも「快感」を感じるように私たちはできている。それによって、この世の循環は進むのだから。

 

 

ということを、このツイートを見て思い出したので記しておく。