『百年の孤独』が俄かに話題となっている中、なぜかそれよりも先に、「『百年の孤独』に並ぶ名作」「ブッカー賞中のブッカー賞」と謳われる『真夜中の子供たち』を先に読んだ。
あらすじ
舞台はインド。
祖父・父・そして主人公(息子)の三世代にわたる人生を通して、インドの歴史の荒波の中で翻弄される人々の姿を描いたマジック・リアリズムの名作。
主人公・サリームは、第二次世界大戦後の1947年8月15日、インドがイギリスから独立するまさにその日の真夜中12時きっかりに生まれた。同じ日に生まれた「真夜中の子供たち」はインド独立の象徴としてもてはやされる。この子供たちには、それぞれ不思議な能力が備わっていた。
サリームは、他の「子供たち」とテレパシーで交信することができ、夜ごとに「子供たち」を集めて子供会議を開いた。そこでリーダー的存在であった(因縁のライバルとなる)シヴァ、彼らの運命を握る魔女・パールヴァティーと出会う。
しかし、インド独立後の国内情勢は不安定だった。政党の政権争い、中国との国境争い、パキスタンの独立戦争……さまざまな出来事がサリームの運命をもてあそぶ。
世代の話、歴史の話、地域性の話、宗教の話、政治の話、戦争の話、階級格差の話…ありとあらゆるテーマが織り込まれた超大作なので、上記のあらすじで触れられるのはそのうちのごく一部。
「不思議な超能力をもつ子どもたちのアクション小説かな? ストレンジャー・シングスみたいな?」と思って読み始めると、ほとんど超能力の話は出てこない。かといって超能力がストーリーの骨子と無関係かというとそんなことはなく、この超能力の存在がクライマックスに向けてバリバリに効いてくる。
インドの歴史や地理の基礎知識がないと、ただでさえ馴染みのない単語が連発するのでなかなか読み進めるのが難しい本ではある。英語特有のオシャレな言い回しが、日本語では読みづらいというのもある。
そしてなにより、長い。物量が。すごい。
しかしそれを乗り越えた先、ラスト3/4の怒涛のクライマックス、伏線の回収、そしてカタルシス。
これだけの大作をよくぞ書き上げ、そして美しいフィナーレまで繋いだ…マラソンランナーの涙のゴールを観るような気持ちで本を閉じた。
マジック・リアリズムって面白い!
このジャンル名に出会った私にとって初めての作品。例の『百年の孤独』もまさにこのジャンルの第一人者的な存在(だと思う)(知らんけど)。
日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法で、主に小説や美術に見られる。
つまり、実際の歴史上の出来事のなかで、あたかも登場人物たちが実際に生きていたかのように描く作品のことらしい。おとぎ話や架空の物語が前提である「フィクション」との違いはそこだ。
ちょっと違うかもしれないが、映画『フォレスト・ガンプ』なんかもこれに近いかもしれない。
もちろん不思議な超能力は実在しないのだし、その力を持った子どもたちがインドの歴史を動かしたなんてこともない。でもインドという神秘的な舞台が、「いや、もしかしたら」という気持ちにさせてくれる。全て現実ではないとしても、どこまでが史実でどこからが架空の物語か分からない…そんな不思議な気持ちにさせてくれる。物語の重要アイテムである「銀の痰壺」の存在が、まるでアラジンの魔法のランプのように、読者を現実と空想のはざまの曖昧な世界へ誘ってくれる。
さらに、全編が「主人公の昔語り」という体裁で語られることで、突拍子もない設定も違和感なく読み進めることができる。「歴史の光と闇を経験した主人公が、ちょっと妄想混じりに話しているのかな」という距離感で話を聞くことができる。事実かどうかはさておき、彼にとってはこれが事実なのだ。
この形態こそ、マジック・リアリズムの真意を得ているように思う。
とにかくテーマが広くて重厚
祖父からの3世代ぶんの歴史を一気に駆け抜ける物語なので、取り扱う時代が広い。
正直、私にとっては祖父〜父親の代のパートはあまり面白くなかった。国も時代も自分とかけ離れすぎていて想像が浮かばない。戦後、主人公が生まれてからのストーリーでようやく、世界史で学び、かつ現代にも通ずる身近な歴史になってきて身を入れることができた。
しかし全ては理解できなくとも、インドという国がどれだけの揺動の中を生きてきたのか、あの巨大な国にどれだけの多様な人々が暮らすのか、それによってどんな諍いが起こるのか…その振れ幅の大きさに溜息が出る。
主人公・サリームは、キュウリのような鼻で、鼻ったれで、学校の教室のドアに指を挟んで指が一本欠けていて、パワハラ教師に髪を掴まれたせいで一部が禿げているという、まぁ決してイケメン主人公なわけではないのだ。
しかし彼のその「欠陥」(とあえて言う)にこそ、彼の記憶に強くこびりつく悲喜交々のエピソードがあり、その記憶によって彼というアイデンティティが形成されている。
人生において「成長する」ということは、記憶を集めていくこと。そしてその記憶を手に入れるときは、何かを失うときかもしれない。
主人公は成長するとともに多くの人と出会い、多くの経験をしていくのだが、同時にたくさんのものを失っていく。『ウォーリーを探せ』のウォーリーみたいに、進めば進むほどに様々なものが彼の手から零れ落ちていく。
特に戦争は、彼からあっという間に多くの人間を奪っていった。呆気なく、かつものすごいスピードで「あの人も死んだ」「この人も死んだ」という文章が登場するので、戦争を経験したことない私は「戦争ってこんなにもあっさりと多くの人間の命を奪うのだな…」と感じさせられた。
他にも、階級の格差。
主人公・サリームは生まれたときに、乳母の気が触れて隣の赤ちゃんと入れ替えられてしまう。
身分の低い親から生まれてスラム育ちになるはずだった彼は、それによって裕福な豪邸暮らしをすることになる。それを知った彼は一生、「本当は自分がスラム育ちになるはずだったのに」という矛盾を抱えて生きることになる。(さらに、その取り違えられてスラム育ちになった「真夜中の子供」は誰かというと…というのが彼の運命に絡んでくる。)
しかし裕福な家庭だからといって、ずっと裕福ではいられない。「社会情勢が不安定」というのは、上流階級があっという間に家を追われることにもなる…ということだ。
サリームは政変とともにパキスタンへ移り住む。
インドはヒンドゥー教が大半の国だ(その中に少数のイスラム教徒やシーク教徒など他の宗教の人が住んでいる)。
パキスタンは、そんなインドからイスラム教徒が独立して作った国だ。この物語では、独立しようとして「まさに作られようとしている国」としてパキスタンは登場する。
パキスタンに移り住んだサリームは、ヒンドゥーからイスラムへ、多神教から一神教へ、ゆるゆるの宗教から清く正しく厳しい宗教へと転換を迫られる。
そこに、パキスタン独立に際してのインドとの戦争が起こる。
パキスタンで暮らすサリームは、兵隊として母国インドに攻め入らなければならない。
そして戦後、居場所をなくしたサリームが行き着くのは生まれ育った裕福な高級住宅街ではなく、貧しいスラムだった。
…そんなふうに、主人公サリームは政治の右と左、階級の上と下、土地の西と東、を行ったり来たり振り回される。
そしてきっとこの時代を生きた多くのアジア人たちも、この振り子に振り回されたのではないだろうか。
歴史を読むとき、物語を読むとき、「昨日までの当たり前」がある日突然、真逆になってしまうという恐怖を学ぶ。そしていざそうなったとしても、人間一人は日々の生活を回していかなければならないので、案外すんなりと新たな価値観の中で生きていくのだろう…とも。
一貫性を持って生きることは難しい。
世界が変わりゆく中で、適応して自分も変わりゆく。
その中で一貫して「これが自分」だと言えるものはなんだろうか。
インドの観光案内
訳者・寺門泰彦氏のあとがきより、
翻訳しながら味わった最大の楽しみについて一言させてもらうなら、それは、この作品が第一級の観光案内小説になっているということである。
まさに! そう!!
サリームやその父・祖父は、運命のいたずらによってあちこちの土地を旅することになる。
そこで登場する歴史的建造物は、どれもインド観光では外せない定番建築ばかり。
さらにインド各地の料理が、ときには家族の手料理として、ときには店の売り物として登場する。日本でもお馴染みになったスパイスも、日本では馴染みのないスパイスも振りかけられる。
さらに、インドの自然の美しさ。ジャングルの中に現れる寺院の神秘。そして悲しさ。
インド旅行をしたことがある方ならば「あっ、そこ、行ったことある!」という名前が一つは登場するはずだし、未踏の方にとっては「いつか行ってみたい、食べてみたい」ものが一つは見つかるはず。
いつか現地に行ったとき「この場所で、あのキャラクターが〇〇を…」と想像するのは観光の楽しみを一段引き揚げてくれるはず。
いつ読むの? …暇な、ときに…!
全体を通して大人向けな内容なので、成人してから読むことをお勧めしたい。(主人公サリームが30代という設定なので、アラサーの方は特に共感しやすいかも。)
が、繰り返し言う。長い。
こんな長い作品を読みきれる30代がどこにいる…と言いたい。
けど私にそれができたのなら、他にもできる人はいるかもしれない…ということで、マジカルな神秘と重厚なリアリズムの世界へ旅したい方はぜひ手に取っていただきたい。よく分からない描写が続いてもあまり気にせず読み飛ばしていけば、後半は楽しめるはず。
本当に気に入ったら、2回3回と読み返せばいいのだから。長い人生で、なが〜〜く楽しめる趣味をひとつ得るつもりで。
インドについて学ぶ参考動画
これらの動画でインドの歴史の流れ&有名建築の知識をざっくり掴むと、より楽しめると思います。
次はいよいよ『百年の孤独』を読もうと思う。