旅するトナカイ

旅行記エッセイ漫画

ミュージカル『RENT』にハマった ー 舞台にハマるなら1日でも早い方が良い

ミュージカル『RENT』をご存じだろうか。

 

知らない?

 

そもそもミュージカルに興味がない??

 

まぁまぁそう言わず、一度ちょっと話を聞いてほしい。

 

 

目次

 

 

『RENT』日米合作ツアーを観劇してきた

そう。観てきたのですよ。大阪公演を。

 


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ニューヨーク・ブロードウェイの本場の俳優たちが日本にわざわざ来てくれて、英語で上演してくれるというなんとも贅沢な公演。

日本からは山本耕史クリスタルケイの2名が参加しています。

 

幼少期からディズニーアニメで育ちしっかりミュージカル好きに仕上がった私でも、舞台を観劇するとなるとチケット代が嵩むので実際に劇場に足を運ぶことは年に1回あるかないか。

しかも日本で上演されるミュージカルは当然、日本人のキャストで日本語版になるので、原作の英語バージョンが観られるというのは貴重中の貴重なのです。チケット代が仮に10万円だとしても現地ニューヨークまではるばる観に行くことに比べれば安いわけで、それが1万6千円で観れるってんだから破格も破格。

 

……いや、もちろん1万6千円は安くはない。安くはないけど。

 

でも当日ツイッター上で観劇した人の感想を見かけたり、数年後に過去映像を見かけたりして「あぁ、あの時、私も行けばよかったなぁ…」と少しでも後悔の念が心を陰らせてしまうかもしれない……。

 

後悔するのが怖くて、チケットを買う。

 

それが舞台ファンというものである。

 

本場に行くよりお得だとかなんとか、そういう言い訳は全て後付けです。後悔したくない。それだけ。

 

(なので、仮に当日もしあまり楽しめなかったとしても、「行かなかった後悔」が消えている時点でチケット代の元は取っているのです。)

 

というわけで早々にチケットを確保。

舞台での『RENT』初観劇でした。

 

 

『RENT(レント)』とは

オフ・ブロードウェイ公演を経て、1996年4月にブロードウェイで幕を開けた『RENT』。プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』をもとに、NYイースト・ヴィレッジに生きる若者たちの姿をビビッドに描き、ピュリツァー賞トニー賞などに輝いた、ロック・ミュージカルの金字塔だ。ブロードウェイでは2008年9月まで、12年にわたってロングラン上演を行い、計5124公演を記録。2006年に映画化もされた

RENT JAPAN TOUR 2024 より

 

物語の舞台は1990年代の世紀末。

ニューヨークのイースト・ヴィレッジ地区には、夢を追う若き芸術家たちが集まっていた。ミュージシャン(志望)のロジャーと、映像作家(志望)のマークはアパートで一緒に暮らしている。

 

「シェアハウス」と言えば今ではオシャレで楽しそうな雰囲気だけど、彼らの生活は決してそんなものではない。

夢はあるけどお金はない。エイズに侵されて余命もない。LGBTなどのマイノリティは尊厳もない。つらすぎる現実から逃れるためにクスリに手を出す人も多い。こんなクソみたいな日々を乗り越えられるのは、気の良い仲間がいるから…でもその仲間だって、いつ死んでしまうかわからない。

先月の家賃(Rent)も払えない、電気代もないので外からケーブルを引いて隣家から拝借する…そんな彼らに、冬が訪れる。20世紀から21世紀へと変わる冬。ニューヨークの冬の寒さは厳しく、クリスマスで浮かれる街の明かりがより一層自分たちの惨めな暮らしを浮き立たせる。

 

 

若者の夢と希望、そして焦燥…そんな誰もが共感するテーマを扱っていることに加えて、この作品を伝説的なものにしたのが作者ジョナサン・ラーソンの死。

作詞・作曲・脚本すべてを手掛けた天才なのですが、なんとブロードウェイでいよいよ柿落とし!というまさにその日の前夜に彼は命を落としてしまいます。享年35歳。

スタッフもキャストも突然の訃報に戸惑い、中止しようかと迷いますが、初日はいちおう上演することに。お通夜ムードで迎えた初日公演は、しかし、「若い仲間もいつ死ぬか分からない。でもだからこそ、今日を精一杯に生きよう」というこの作品のメッセージに突き動かされてみるみるキャストの演技は大爆発、最後には大盛り上がりで幕を下ろします。

 

作品の世界で描かれる「死と隣り合わせの生の輝き」が、奇しくも作者の死とキャストの輝きに重なってしまう……そんな作り話のような伝説によって作品の評価に拍車がかかり(もちろん作品自体も良かったので)、大人気の演目となったそうです。

 

 

いやー、やばかった。

 

 

リアルタイムで知ってたらやばかった。

 

 

『RENT』の熱いファンのことを「レントヘッド(Renthead)」と言うそうです。アイドルファンの呼称みたいなやつですね。BTSのファンを「A.R.M.Y.」と呼ぶ、的な。

自分が10代の頃にこの作品に出会っていたら、熱烈なレントヘッドになりかねなかった。そして人生を狂わされかねなかった。レントヘッドたちが『RENT』にお熱を上げていたちょうどその頃、私はミュージカル『レ・ミゼラブル』にお熱を上げて新潮文庫版『レ・ミゼラブル』を息も絶え絶えに読破するくらいにレミゼヘッドだったのですが、まだ古典作品なので助かった。現実の自分の生活とは遠く離れているから。『RENT』の距離感は危なかった。

 

 

2006年に映画化されている

私が『RENT』と出会ったのは、映画版でした。

 

正直、これは私にはハマらなかった。そもそも「ミュージカル映画」のジャンルにいまいちハマれなくて、この映画も例外ではなかった。

 

この映画の感想は、いや、家賃払えよ。でした。

なに自分可愛がってんねん、名曲作りたいじゃねぇよ、働け。そして家賃と電気代を払え。みんなそれをやってんだよ。

 

 

"Seasons of Love" の曲は良いけどね。これだけはマジでめちゃくちゃ良い。学生時代に合唱で歌いたかった曲TOP10。


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(歌詞も良いので気になった方はぜひ検索してみてください。)

 

でも、ロジャーが「夢を諦めるか…」つってギターを売って車を買い、「やっぱ諦めらんねぇ…」つって車を売ってギターを買って戻ってきた時には「なにやっとんの??」と思いました。

 

 

舞台版のDVDもある

そうやって寝かしていたところに出会ったのが、舞台を収録したDVD。ロングラン上演の最終公演を記録した映像です。

 

 

やっと分かった。

 

 

やはり舞台は舞台として見るに限る…。

 

「ちゃんと働け」と思っていた登場人物たちに対しても、「でもさぁ、エイズで来年には死んでるかもしれないし、明日には凍死してるかもしれないんだよ? 現に恋人はあっさり死んだんだよ?? その状況で、長期的な未来を見据えて、安定した生活のためにやりたくもない仕事できなくない? だって安定なんて一生ないんだもん、どうせ病気で死ぬんだもん。」という若き心情を思えば働いてなんていられない…それよりは自分が生きた証を作品という形でひとつでも残したい…その気持ちが痛く刺さる。

やっぱり「未来」がないと、安定なんて望めない。「未来」がなかったら、じゃあ「今」を最大化するしかない。未来のために投資なんてできない。

残念なことに、現代の日本社会に生きていて「未来は今よりももっと明るい」なんて特に思えないことで理解できてしまった部分もあり…理解できない方が幸せだったのかな。

 

映画というものをあれこれ見ていると、画面の中で人はバンバン死にます。ホラー映画や戦争映画なんて観ようものなら、もう人が虫ケラのように死んでいく。

「恋人が死ぬ」なんて脚本はありきたり中のありきたりなのですが、舞台作品としてをそれを見ると、(たとえそれが舞台を記録したDVD版だったとしても)やはり「死ぬ人間を演じるキャスト」の力強さというものが迫ってくるんですね。

この人間はどういう人間で、どんな人生を歩んできて、彼の死とはどういうことなのか……仲間たち一人ひとりにとって、その「死」はどんな意味を持つのか…。

 

映画なら「この人の心情にスポットを当てたい」という人が作者に選ばれてそこを映像で切り抜かれますが、舞台上にいる演者たちは全員、「このキャラはこの時、こう思っていた」を演じ続けます。たとえ主人公に共感できなくても、隅っこに立っているあのキャラには自分は共感できる…その時の彼/彼女の心情ならすごく想像できる……そういう「幅」の広さ、キャストたちの演技の奥深さ、それが舞台演劇というものの魅力の一つだと思う。

このDVDを観てもやっぱり主役のロジャーとマークは好きになれないんだけど、その仲間たちのことはどんどん好きになる。むしろロジャーとマークは、脇の仲間たちの生命を煌めかせるための舞台装置とも言える。ウジウジ悩んでるロジャーが仲間たちの優しさや愛情、美しさを引き出し、映像作家のマークが彼らの儚く生きた瞬間を写し取る。

 

主役の2人を含めて主要な役どころは8人いるのですが、この8人が絶妙なバランスで、エイズに罹っている(未来のない)人/そうでない(将来設計をしなきゃいけない)人、性的マイノリティ/性的マジョリティ、お金を持っている人/持っていない人、カップル/シングル が入り乱れているのでそれぞれが複数のテーマを担います。その重なり合うタペストリーが物語を多彩にし、そして広く深くする。

 

このDVDは特典映像で舞台裏やメイキング、インタビューが収録されています。特に初期キャストのインタビューは後追いで「初演当時のあの熱狂」を知ることができ、遅ればせながら「めちゃくちゃすごい作品じゃん」と思わされました。

 

 

満を持して舞台を観劇

というわけでいよいよついに、初の『RENT』舞台観劇。

英語字幕で映画は観ていたから大丈夫だろう…と思ったら、思ったよりもやっぱり何言ってるか分からないところはあった。舞台の両脇に字幕が出るので、それをチラチラ見ながらの鑑賞です。もうちょっとしっかり予習してから観た方がゆとりを持てた感はある。

 

でも、やっぱりね。生で見ると、物語が一気に自分という器に流れ込んできますね。

 

映像ではあまり入り込めなかったロジャーとマークの葛藤も、今回はよく分かる。

2人は一蓮托生のルームメイトなんだけど、やっぱりエイズに侵されて未来のないロジャーと、そんな未来のない仲間たちの映像を記録してそれで成功しようとしているマークとの間には埋まらない溝がある。夢を取るのか金を取るのか…。人の不幸を映像にして成功に利用するってどうなんだ…。

そういう葛藤を持っていたことはあったし、その葛藤にケリをつけるのってめちゃくちゃ難しいし、その溝によって離れてしまったかつての友人もいた気がする。

 

あと普通に、キャストの歌が上手すぎてため息が出る。

クリスタルケイの高音ボイスにびっくり。J-POPシンガーではない、ミュージカル俳優としてのクリスタルケイを見れたのはラッキーでした。

さらにバックバンドは舞台上での生演奏!なので、カラオケではないアドリブたっぷりのミュージカルが見れるというのも最高に贅沢です。

 

山本耕史は、普段の無口でクールな役どころと今回のマークとのギャップが大きくて慣れるのに時間がかかった。(ご本人は昔からこの役を演じていたそうなので、私の山本耕史の解像度が低すぎただけですが。)好きな人は今ブームの『地面師』との演技のギャップを楽しめば、交互浴で整えられるかもしれません。

 

 

CDで聴き直す

舞台を見た後、サウンドトラックのCDをゲットして繰り返し聴いています。

 

 

キャストが変われば歌声も変わる…やっぱり舞台で見たあのメンバーとは違う味わいがあったり、曲の雰囲気も変わったりして、自分のお気に入りのバージョンに出会うというのもミュージカルの楽しみです。(自分のお気に入りバージョンは映像・音源がもう残っていないから二度と味わえない…という哀しみを知ることもあるのですが…。)(でもその哀しみは、人生を豊かにする哀しみのはず。)

元々好きだった "Will I" という曲はこのCDのバージョンでさらに好きになったし、さっきの "Seasons of Love" はゴスペル・ソングらしさが際立っていて、あ、これってゴスペルだったんだ…と初めて理解しました。

 


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「世紀末」というあの頃

私はそれなりに自我がある状態で1999年から2000年に移り変わる「世紀末」というものを体験しました。人生100年時代なので多くの人が今後も経験できるのかもしれないけど、それでも全員ではないでしょうし、私の人生の「世紀末」体験はあれが最初で最後。

別にね、経済がめちゃくちゃイケてたわけではないし、そんなに良いことばっかでもなかったですよ。でもやっぱり「何かが変わる」っていう希望があった。この一瞬の打ち上げ花火に、世界中のみんなが上を向いて顔を照らされているような、そんな高揚があった。

 

『RENT』にも、やはりこの「時代」が織り込まれているのです。

あの作品に登場する若者たちは未来もないし毎日が物理的にも精神的にも真っ暗なんだけど、でもその中で「新世紀を迎えるアメリカ」に今まさにいるという、その期待感がある。何かが変わる気がする。変わらないんだけどね、何も。どうせ家賃は払えないし。でも「未来が良い方向へと変わる気がする」この期待こそが人を前向きにさせる、そのことを思い出させてくれました。

 

この「世紀が変われば、何かが良い方向へ変わる気がする」という期待を次に抱けるのは70年後。それまでの間は暗いかもしれない。なんなら行き詰まって、悲しい決断、悲しい行動を起こしてしまうことは今後ますます増えていくかもしれない。

2050年には21世紀も折り返します。2080年くらいには「あれっ、もうすぐ22世紀じゃん」というムードになります。2090年代はきっと、あの「世紀末」がまた訪れます。ノストラダムスがまた来るかもしれないけど、終末論を乗り越えれば、またあのミレニアムの花火です。

 

舞台作品を鑑賞する良さは、その時代に触れるということもある。

この作品が生まれた当時に思いを馳せて、今の社会ではエイズは、ドラッグは、性的マイノリティは、ホームレスは、芸術は、都市開発はどうなったか…年代を経るほどにそこまでの道程で感じ入ることが増えていくはずです。

 

 

ミュージカルを初めて観る方へ

『RENT』の感想はこんなところにして。

ミュージカルって苦手な人、多いですよね

最近ではミュージカル映画が増えてきたのでミュージカル自体が話題に出る機会も増えたのですが、「そもそも苦手」という人のまぁ多いこと、多いこと。

私にとっての「能」みたいな、ハイコンテキストな伝統芸能になっているのかもなぁ〜…と感じます。

 

もし「今度、観にいく機会があるんだよねー」という方に、私なりのオススメ鑑賞方法を。完全に個人の意見なので、合わなかったらゴメンナサイ。

 

 

1. 「曲が好き」から入ろう

ミュージカルの隣接領域は「映画」だと思われるかもしれませんが、どちらかというと近いのは「コンサート」だと思います。

 

映画って、基本的には1回きり観るものですよね。同じ作品を2回も3回も見直すのは、濃いめの映画ファンか、よっぽどその作品が気に入ったかだと思います。

でも音楽アーティストの曲って、好きな曲を何回も聴きますよね。1回だけ聴いて「ふー、良い曲だった。さて、次の作品は…」ってものではないと思います。良い曲だったら歌詞も見て、口ずさんで、カラオケで歌えるように練習したりTikTokで踊れるようにしたりして。もちろん気に入らなかったら二度と聴かなくて良いし。

ミュージカルも、好きな曲は何回も聴きたい、なんなら好きすぎてライブで聴きたい!っていうモチベーションなのです。(私は。)

 

ストーリーは、そのあと。

「なんて言ってるんだろう?」と曲の歌詞を見て、「この歌詞、どういう意味だろう?」とストーリーを知っていくと、曲の解釈が深まってより曲を好きになる。この時のキャラの心情を表すためにどんなふうに歌うのか、キャストの解釈と技巧を楽しめるようになる。

 

音楽アーティストのコンサートチケットが取れたとして、1曲も知らずに臨む人はほとんどいないと思います。知らない曲を1〜2時間ひたすら聴くのってまぁまぁしんどいもの。最新アルバムは聴いてなくても、過去の代表作はきっと演奏してくれるだろう…最新アルバムも、せめて行きの電車の中で配信をチェックしておこう…それくらいはするはず。

 

ミュージカルも、1曲でも「生で聴いてみたい曲」がある状態でチケットを取った方が良い。もし、知らない作品をたまたま観に行くことになったのなら、代表曲は聴いてから行った方が楽しめるはず。

 

ミスチルって人気らしいから、よく知らないけど一度ライブ行くか〜」ってモチベでチケットを取るよりも「ミスチルのあの曲が好き! 演奏してくれるといいな〜」くらいの熱量がある方が、当日楽しめる確度は高まります。ミュージカルも同じく「1曲は好きな曲がある」という状態で臨みたいし、なんならミュージカルの場合は100% その曲、演奏されるんで。激アツだよね。

 

というわけで、街でたまたま流れていた曲、YouTubeでたまたま聴いた曲がミュージカルの楽曲だったら、ぜひとも作品名だけは覚えておいてください。いつかきっと「上演されるよ!」というニュースがあなたを劇場へ誘うはず。

 

 

2. ストーリーは全ネタバレを踏もう

これは絶対ではないのですが、私が舞台を見にいく際にやっていることです。

 

映画だったらストーリーのネタバレはなるべく避けたいし、結末のネタバレなんてもってのほか!だと思いますが、ミュージカルをはじめ舞台演劇というものは繰り返し何度も再演される前提で作られています(たぶん)。古典オペラなんて世界中で何万回とスタッフもキャストも変えて再演され続けているのだし、ミュージカルだってヒットすれば繰り返し再演される。

100年前の物語が現代でも人気で再演され続けるのは、前情報を入れないまっさらな状態で楽しんでね!というのは初演までで、それ以降の再演はネタバレ前提でライブを楽しむものだからです。

 

そもそもミュージカルをはじめ、オペラ、演劇、2.5次元、能、狂言といった舞台演劇ってハイコンテキスト=文脈が分かっていないと理解できないもの、だと思うのです。

ミュージカルなんかは、状況説明、キャラの心情の吐露、キャラ同士の会話がすべて「歌」に載せられるので、何を言ってるか聞き取って理解して共感してそのうえ「曲」としても楽しむ…ってかなり高度なマルチタスク初心者であればあるほど、タスクは減らした上で臨みたいものです。

 

「え? 今なんて言った?」「この人、死んだの? 死んだってこと? でいいの?」「あ、また出てきた、やっぱ死んでないの? それとも幽霊? 回想シーン??」とか、小さな小石に躓いてしまってそもそものストーリーが全く入ってこない…なんてことはザラにあります。

「このキャラ、このへんで死にます」みたいな基本的なあらすじは押さえてから行った方が、雑念なく楽しめる。俳優さんの「今際の際」の演技や他の俳優さんの演技をよく観たり、それぞれの心情を想像したり、歌の上手さに感動したり、好きな曲に浸ったり、あ〜これって2人が出会った時の歌のリフレインだ〜とか、おぉ〜ここでこの死んだキャラのテーマソングの一節を入れてくるの反則やろぉ〜〜〜って胸が熱くなったり……とにかく一瞬の間に歌詞・曲・脚本・演技×人数分、というものすごい分厚い情報量が舞台上に転がっていて、それが瞬間瞬間にどんどん移り変わっていくので、そのどれかを拾って感動するのに大忙しなんです。

 

もちろんストーリーも初見で「えぇーっ何その展開!」と楽しめることもあるのですが、舞台って「初見のストーリー」以外の楽しみが無限にあるので、ネタバレはお得な損切りだと思って見ちゃいましょう。

人気作品ならWikipediaとかブログ記事とかに全あらすじが載っているので検索して目を通しておきます。ラストまで躊躇わず読んでしまってOKです。初見の驚きを得るよりも、「え? あれどういう意味?」ってなるリスクを減らす方が安心。

 

 

3. 制約の中の自由を楽しむ

ミュージカルが苦手な理由の多くは「急に歌い出すのが無理」だと思います。

まぁ、まずは先ほど触れた通り「いや、コンサートに来てるんで。歌を聴きに来てるんでそら歌ってもらわないと」というマインドセットにしていただくとして。

 

「舞台」という制約の中で、いかに「表現」をするか? そのイデアブレイクスルーを楽しむのが、舞台演劇の醍醐味です。

 

ミュージカルにおける「歌」は、漫画における「フキダシ」です。フキダシを使えば、1枚の絵に「話している言葉」も「心情やモノローグ」も「音」も書き込むことができる。ミュージカルも、舞台上で豆粒のような遠目の俳優の演技だけでキャラクターの心情や状況説明まで詳細に観客に伝えるのは難しいので、歌という手段を使うというブレイクスルーだったわけです。漫画を受け入れるならミュージカルも受け入れよ、と言っても過言ではない(過言)。

 

まぁ歌はともかくとしても、「舞台」という空間の制約、セットも衣装やメイクもコロコロ変えられないという制約、テレビドラマみたいにエキストラを潤沢に使えない人数の制約、観客は最前列から最後尾まで見え方に違いがあってそれでも満足させなければいけないという制約…。

それをどう乗り越えていくのか。その発想と想像力は限りなく自由なのです。

 

舞台上から降ってきた落ち葉が、粉吹雪に代わり、桜吹雪に変わると季節が一巡する。

あの時の曲がまた流れることで、登場人物があの時を思い出していることが分かる。

同じフレーズ、同じ歌詞でも、人物の心情が違えば歌い方は変わる。

 

そういう、「この中で、どう表現するか」の葛藤と工夫、それが脚本家、演出家、作曲者、演奏家、美術家、そして俳優の一人ひとりの数だけ詰め込まれているのです。つまり人類の想像力と叡智を味わうもの。それが舞台。

 

その制約を実感できない状態で、切り取られた映像だけで演劇を観ると滑稽に見えてしまうでしょう。制約のない中での自由は、ただの突拍子もない奇行です。制約がある中で精一杯に羽を伸ばすからこそ、その発想力のすばらしさが分かる。この「制約」の中で今日という一回きりの公演を共に成功させる、その試みに参加することが舞台観劇です。

 

そしてね。

ミュージカル作品で描かれる人物たちの多くは、まさに制約の中で自由を模索した人々なんです。

社会の抑圧に耐えながらも希望を捨てなかった人、苦しい環境の中でも美しく輝いた人。彼らの物語を観劇する。

すると、彼ら彼女らの人生が、そっくりそのまま、今日この日の舞台を実現させたすべての人の鏡写しだということに気づくんです。もちろん、今日この日の公演に駆けつけることができた自分も含めて。

 

だから舞台が終わって拍手を送るとき、それは「今日この日に立ち会えた」自分への拍手でもあるんです。

 

来られて良かったね。

今日、来られるような自分で良かったね。と。

 

 

1日でも早くミュージカルにハマろう

ミュージカルに足を運ぶようになってから分かったことなのですが、思ったよりも好きな演目って演ってない。

どんなに有名な作品でも自分の行きやすい劇場で毎年上演されるとは限らないし、上演されても数日間だけだったりと期間は短く、チケットが取れるとも限らない。

 

有名な「劇団四季」ですら、実は演目は各地方の持ち回りになっているので、「自宅に一番近い四季劇場で、あの演目が見たい」と思ったら数年待たねばならないこともあります。その頃には熱も冷めて、チケットを買う気も失せているかもしれない…。

なので、ずーっと自分の中で「この演目が気になる」「いつか生で見てみたいなぁ」という思いを温めておいて、チャンスが来たら迷わず買う。

だって、生であの曲が聴けるチャンスはもうないのかもしれないし、「このキャストが歌うあの曲」となると今後あるかどうかも分からないのだもの…。

 

有名作品ならともかく、そこまで人気ってわけではない作品をうっかり好きになっちゃった日にゃあ、インディーバンドの地方公演を永遠に待ち侘びてるうちにバンドが解散しちゃった…みたいなことになるわけです。

たとえその日が最高の一日になろうが、イマイチな一日になろうが、二度と来ないその日に後悔しないために舞台に足を運びましょう。

行けば行くほど、観客としての自分の解像度や理解度も深まっていって、作品への愛情も増していくはずです。

 

 

次は劇団四季ウィキッド』が楽しみ

私はだいたい「Got Talent」からミュージカル曲にハマるんですが、ボー・ダーモットの "Define Gravity" に何度も泣かされましてね。何回YouTubeで観たことか。

 


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ちょっと違法アップロードかどうか分からないので日本語字幕版は貼らないでおきますが、ぜひとも歌詞とか、時々映るお父さんのこととか探してみてください…鳥肌と涙が止まらないよ…今どうしてるんですかボー・ダーモット…。

 

調べてみるとこちらはミュージカルウィキッドの曲だそうで。

劇団四季で繰り返し上演されていて、ポスターは見たことがありました。

ちなみに初演ではこの曲はイディナ・メンゼル、あのアナ雪の "Let It Go" を歌っている方の歌です。『RENT』の初演キャストでもありました。すごいなメンゼル。

 

あらすじを調べてみるとかなり胸熱なストーリーっぽかったので楽しみです。

人も動物も同じ言葉を話し、ともに暮らす自由の国・オズ。
しかし動物たちは少しずつ言葉を話せなくなっていた。
緑色の肌と魔法の力を持つエルファバはシズ大学に入学し、
美しく人気者のグリンダとルームメイトに。
見た目も性格もまるで違う二人は激しく反発するが、
お互いの心に触れるうち、次第にかけがえのない存在になっていく。
ある日、オズの支配者である魔法使いから招待状が届いたエルファバは、
グリンダとともに大都会エメラルドシティへ。
そこで重大な秘密を知ったエルファバは、一人で戦うことを決意。
一方のグリンダは、オズの国を救うシンボルに祭り上げられる。
心の内では相手を想い合うエルファバとグリンダ。
しかし、運命は二人を対立の道へと駆り立てていく――。

 

もう既に良いよね。

 

気になる方は、来年3月まで大阪でやっています。各公演、残席わずかなのでお早めに。

www.shiki.jp

 

和訳ミュージカルの切ない宿命として、英語歌詞と比べて日本語歌詞は文字数が限られてしまい情報量がどうしても削ぎ落とされてしまうのが残念ではありますが。それでも、去年『オペラ座の怪人』を四季劇場で観てから曲に大ハマりした(けど私が一番好きな "Masquerade" はマイナー曲なのであんまりフィーチャーされない…)ので、これも今後の『ウィキッド』人生のきっかけになるはずです。

 

そうそう、観劇って、そこで終わりじゃないんですよね。この作品と自分とが初めて直に出会える場であり、その後の人生をその作品と共に過ごしていく上での通過点なんです。マチアプで良い感じになった人と初めて会う、みたいな。…違うか。

 

 

以上、筆の勢いだけで1万文字以上も語ってしまいました。ここまで辿り着いた方がどれだけいるか分かりませんが、読んでいただきありがとうございました。

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