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最後の最後で、泣かされました。
一番推しカップルだったギタりん&あやかん。
最終話と、YouTube動画でもファンにとって嬉しい姿を見せてくれました。
いろいろあったシーズン2
シーズン2は第1話から、あやかんブチギレの大波乱で幕開け。
あれだけが原因じゃないでしょうけど、仲間としての団結感がないまま生活がスタートし、シーズン1のような「一緒にワチャワチャする、大人の青春仲間」みたいな親密な空気はなく、全体的によそよそしい空気だったと思います。「そりゃ、突然集められた他人同士、そうそう仲良くなれないよね」というのは当たり前なのですが。
男性住人のブラザーフッド、女性住人のシスターフッドみたいな見所が薄かったのは、初日の空気作りでつまづいたんじゃないかなー…。
中盤も、シーズン1ほど住人たちの恋愛が盛り上がらず。前回よりも狭くて汚い古民家、食費も削られて粗食の毎日、風呂は出来上がらずシャワーのみ…。QOLが低いと、恋愛を楽しむ気持ちにもなれないと勉強になりました。
(シーズン1でも、たあ坊が「古民家づくりに必死で、恋愛しに来たことを忘れていた」と言っていましたね…よっぽど田舎暮らしに慣れている人じゃないと、なかなかね…。)
それでも早々にカップルは成立し、番組的な凹凸はあったものの、「第二の人生のパートナーと結ばれた」というよりは、「里から抜けたかったんじゃないの…?」という、うがった見方をしてしまうカップルもあり…。
告白しなければ里から出られない、リタイアするのも体裁が悪い、鐘をきっかけにまずは里を出てカップルとしてお付き合いしてみますか…みたいな、そういう成立だったように見えます。YouTubeのアフタートーク映像もなかったし。(個人の感想ですよ。)
だって、シーズン1のように、金銭感覚の話や住む場所の話、仕事や生活リズムの話など「里を出たあと、現実的に一緒にいられるか?」という話がほとんどないまま、「キュン」優先で鐘を鳴らしてしまうんだもの…。(アロマの返事に共感しない人もいるでしょうけど、あの視点こそ『あいの里』だと思います。「10代の恋愛じゃないんだから、自分たちのような大人は、この先の人生を見据えて現実的に考えなきゃね」というマインドが『里』だと思う。)(逆に、「いくつになっても前向きに恋愛を楽しんでほしい!」という気持ちで楽しんでいる人にとっては、今シーズンは当たりかも。)
さらにインターネッターの皆さんなら見てしまったであろう、卒業生の暴露もありましたねぇ。
制作の事情か編集の妙か、シーズン1の方が見ている側も住人のことを好きになりやすかったし、感動シーンも多かったと思います。
最初から「あやかん」一択!
私は最初からあやかん推しでした。そうです。「成長物語枠」です。
コンプレックスを抱えていて、キラキラした恋愛上手な女子のように立ち回れない…。
好きな相手はできても、自分が選ばれる未来が想像できない…(でも好きな気持ちに嘘はつけない…)。
完全に私のために用意されたあやかん。
最初からずっと、あやかんに注目していました。
シーズン1での「成長物語枠」はおかよでした。
最初は注目していたなかったのに、いつの間にかどんどん芯の強い魅力的な女性になっていき、おかよ・準平のカップル成立は何度も見直しては泣かされました。
あそこまての伝説はなくたも、同じような成長物語はやっぱり期待してしまう…。
まんまと釣られました。
そして、想像とは全く違う方向の伝説を残してくれました。
第1話から、二人の運命は始まっていた
35歳、出産の焦り
おそらく第1話のあやかんのブチギレは、現場にいた住人たちはもちろん、視聴者の多くもドン引きしてしまったんだろうなぁ…でも、私は同年代として分かります。
「妊娠できる可能性がまだあるし、出産したい」と思うと、毎日そのことが頭に浮かんで、日々が苦痛なのです。
そしてあの場で、あやかんを怒らせてしまった50'sも、(コミュニケーション手法のジェネレーション・ギャップなのでしょうけど)対応を誤ってしまった。
「そっか、焦るんだね」「確かに、子供って素晴らしいものだから、授かれたらいいよね、ここで頑張ろう!」と言ってくれたら良かったのになー…と思う。「それをいうなら、私だって」と不幸自慢の苦労コンテストが始まってしまったのは悪手でした。(でもそもそも、50'sにとっては、場を和ませるために言った「まだまだ若いよ〜」という言葉にこんなに噛み付く20歳も年下の同性後輩、という存在自体が異例だったのでしょうね。そりゃ上手く対応できないよね。)
最初から、あやかんを笑顔にしたのはギタりんだった
このシーンであやかんを笑顔にしたのはギタりんだったのです。
あやかんにつられて泣き出す女性住人たち。男性住人はたじたじ。
最悪の空気になったところに、ギタりんが「父親、バツ6なんだよ」という衝撃発言で食卓を笑いに包みました。
この時は、ギタりんも台所で頓珍漢なことを言って全員にスルーされていて、まさかこの二人が仲良くなるとは思っていませんでした。
でも、最初から、辛く苦しい涙を流すあやかんに対して、自分が笑い者になってでも自然な笑顔を与えることができる存在は、ギタりんだったのです。
ギタりんの横にいたのは、「チューにビンタ」する女性
第1話からギタりんの過去の回想シーンがありました。
結婚まで考えたものの、将来を考えて別れることになった過去の恋愛相手。
ライブハウスで彼女にチューを迫ってビンタされ、きゃっきゃと笑う。この回想シーンではよく分からなかったのですが、ギタりんにとっては、「情熱的な自分にビンタで返してくれる、それで二人とも笑顔になる」関係が理想の恋愛だったのかもしれません。
……なんだ、もう運命の二人だったんじゃん!!!
MC陣が不思議ちゃんキャラを拾えなかった
もちろんこの映像なら仕方ないかなー…とは思うけど、MCのベッキー&淳が、あやかん&ギタりんのキャラに共感できなかったのがちょっと残念。まぁ、キャラが違うから仕方ないですよね。逆に、淳は私がまったく泣けない50'sの恋愛に涙を流せるわけで。(恋愛バラエティーのMCとしては二人が正道だと思うので、今後変えて欲しいとは思わないです。)
隊長 vs. ギタりん、隊長派の二人
隊長がギタりんの空気の読めなさを指摘した時も、MC二人は規律を重んじる隊長派でしたね。
ギタりんはかなり癖の強いキャラではあったけれども、隊長 vs. ギタりんの構図は「他人と共同生活を営む」上でのスタンスの違いでしかなかったはず。
自衛隊出身で規律を重んじ、自分が我慢して他人の領域を守る…というのが隊長のアプローチ。住人の行動を厳格に管理、全体と足並みを揃えない人間に容赦はしません。自分もそうやってきたのでしょう。
一方、ギタりんは、ギターの腕一本で生きていこうと決めたアーティストタイプ。自分が周りの足並みから外れてしまうこともあるし、他人が足並みを揃えられなくても、それを許せる寛容さがあります。寛容だからこそ、最初からパチゆみに指摘されたことを尊重しました。
「いい大人なんだから、周りに迷惑をかけないように努力しろ」というスポ根と、「誰にだって個性があるんだから、それぞれの自由と自己表現を尊重しよう」というアート性が真っ向から対立してしまった。
本来なら、ここに絶対の正解はないはずです。もし最初から「ユルい空気で楽しもうね」という里だったら、ギタりん的な共同生活の営み方もあったはず。そんな里なら、ギタりんは「里の厄介者」ではなく、場を明るく和ませ、娯楽の少ない里で音楽という娯楽を提供してくれる貴重な存在になったかもしれません。
しかしギタりんにとっては残念ながら、里の運営方針は隊長的なアプローチ。MCの二人もそっち派です。
自分は、相手の個性を尊重しようとして「自分が変わろう」という姿勢を見せているのに、他の人たちは「ギタりんが間違っている、自分が正解」だと一方的に否定するだけ。妥協点を一緒に探るようなコミュニケーションもない。「自分はパンク出身だからさ…」と対話しようとしても「そんな話聞きたくない」とはたき落とされる。
ギタりんにとっては、息苦しく、しんどい生活だったんじゃないかと思います。(「正解」だと思っている人たちの気持ちも分かる。人生経験の中で自分を矯正しなければならない経験があっただろうし、他人に厳しい人は、自分にも厳しくしてきたのでしょう。)
つくづく人間って、「誰と一緒にいるか」によって全く違う評価になってしまうんだなーと思います。
ギタりんの戦犯を、どう扱っていいか分からない
ギタりんは前代未聞の「一時離脱」をしてしまうわけですが、このセクハラ事件をどう扱っていいか、スタッフもMCも分からなかったというのも、ギタりんの扱いを歯痒くしてしまったと思います。
製作陣の思惑としては、ギタりんはシーズン1のアンチョビ枠だったのでしょう。アンチョビがあまりにも想定外の大収穫だったので、二匹目のドジョウを狙うのも分かる。明るいコミカル担当がいないと番組の空気が保たないし。
それがまさか、セクハラ事件に発展してしまうとは。
この事件についてどう扱っていいのか、最後まで製作陣もMC陣も、分からなかったのではないでしょうか。
今の時代、視聴者があの事件にどんな反応をするのか先が読めないから、水に流していいのか分からない。反省文もあんなだったし、水に流せるきっかけも出てこない。でもこの里は恋愛をしに来てるんだから、里にいる限りはギタりんの恋愛も応援しないわけにはいかない。
後半、ギタりんがあやかんへの気持ちに気づいてからは、完全にお似合いで尊い空気のカップルでした。
でも、編集もMCのコメントも、「ニノのように、あやかんが嫌な思いをしていたらどうしよう」「ギタりんを応援することは、セクハラ加害を応援することになるのでは」と及び腰だったと思います。
あやかんに「厄介者をあてがっている」ようで気が引けたのもあると思います。でもそれはギタりんを心の中で要注意人物扱いしているからで、あやかんもギタりんもお互いを一人の人間として見ていて、決して「あてがわれる」とか「犠牲になる」とか「ハズレくじを引く」とかではなかったのに。
まぁ、クラスの1軍タイプの人にこの感覚はわかんなよね…と思いながら、私はあやかん&ギタりんを尊い気持ちで見ていました。
ギタりんのもとに、最初にかけつけるのはあやかん
一時離脱から戻ってきて、頓珍漢な反省文を読んだギタりんに、最初にかけつけたのはあやかんでした。
思えば、その前から里の生活で落ち込み「もうリタイアして帰りたい」とギタりんが弱音を吐いた相手も、あやかんでした。
「3日間くらい無言で過ごしたらええから」
「それで帰るなら、結婚の覚悟って何やったん?」
ギタりんの事件が番組の崩壊に繋がらなかったのはあやかんのおかげです。
最高に推せる二人
ここからは、ただの痛いファンが推しカプへの気持ちを吐露するだけになるので、興味のない方は回れ右してください。
いかに二人が尊いかを語らせてください。
最終話、そしてYouTube映像「あいの里倶楽部」のラストもネタバレしているので、未視聴の方はご注意ください。
とにかく笑顔がかわいい!!
私はあやかんの顔ファンです。
泣いているシーン、怒っているシーンが多かったのですが、笑った笑顔が最高にかわいい。オープイング映像を見るたび、笑顔にほっこりします。
普通に笑うのもかわいいけど、ギタりんと一緒に過ごす中で溢れる笑顔は格別。
こんなにリラックスして、相手に気を許して笑う笑顔って輝くんですね。
キュンキュン顔も良い
ギタりんに見せる親密な笑顔も良いですが、もちろん、隊長にもらった恋の思い出でほころぶ笑顔も好きですよ。
苦しい恋愛だったけど、恋するあやかんはとっても魅力的でした。好きな人にもらった嬉しい思い出だけで、毎日は輝くし、前向きになれるし、どんな勇気も湧いてくるよね。
もしかしたら「ギタりん=キュンではない」というところで、あやかんは恋愛対象にしていないのかもしれないですね。恋と愛の違いかなぁ…。
ナイスな関西人ノリ
「秘書」という職業と見た目の印象のせいで、意外にガツンと本音が言えるあやかんは「地雷の多いメンヘラ」に見えてしまっていました。
後半、ギタりんとのビンタノリを見てやっと、「関西人のノリをやってるだけなんだな」と分かって、色々と納得。
マンハッタンからのアプローチを「はぁ」と流すのも、スキンシップを「嫌です」とハッキリ断るのも、関西人の「アンタおもんないねん」というツッコミのノリだったんだと思えば、関西人の私には理解できる。(にしたって、今シーズン、相手のコミュニケーション流儀とのすり合わせがうまくいかないシーンは多かったですね。まぁ初対面だしあのくらいが普通か。)
チャキチャキのノリが通じる人が他にいなかったあやかんに、「チューにビンタされる」が流儀のギタりんは、そりゃ相性ぴったりですよね。
ギタりん鼻水へのティッシュ
涙もろくて鼻水ももろいギタりん。鼻水シーンがまさかこんなに多いとは。
「出るのはいいけど、垂らしてないで拭けよ」と思うんですが、ギタりんが鼻水を拭かないのは、ギタりん自信が「誰かが鼻水を垂らしていたらティッシュを差し出す人」だからなんじゃないかと思いました。
「垂らさないように清潔感を保つ大人」ではなく、「人の鼻水を許すし、鼻水が出た人間にはティッシュを与える」寛容さがあるからこそなんだと思うんです。人は完璧ではないからこそ、補い合う。
露天風呂完成のシーンで、鼻水が伸びるギタりん。
拭こうともせずにひたすら垂らしているのを、みんな見ているしかできません。
この時、いち早くティッシュを取りに行ったのはあやかんなんですよ。
自分が完璧ではないから、完璧ではない相手を補う。まさに、同じ魂を持っていた二人なのです。
すぐに立ち上がるのはあやかんだった
ティッシュだけでなく、ギタりんのためでだけでなく、「みんなのために動く」思いやりのあるあやかん。
マンハッタンがあやかんを意識したきっかけは、食卓で「葉野菜が欲しい」と言うみんなのために、畑に野菜を取りに行った時でした。
マンハッタンが「分かったよ、取りに行くよ!」と腰を上げたのを見て、あやかんが「私も行く」とついていきます。
マンハッタンと二人きりになりたいわけでもなく(そもそも恋愛対象として見ていない)、みんなのために野菜を取りに行く、その気持ちだけで動くことの美しさ。
ただ、いじめられたコンプレックスがあるからなのか「自分だけ動くのが正解か」には躊躇してしまう。
マンハッタンが立ち上がれば一緒に動けたけど、「ネギ事件」で自分だけ動くかどうか…となると、どうするのが正解か分からなくて動けない。
結果、無言でネギを切り出したギタりんに八つ当たりしてしまいました。
正解か不正解かを気にせずに、自分基準でパッと動けるギタりんが羨ましかったのかなーと思いました。そもそもの料理に対する苦手意識もあったかもしれない。
本当はみんなのために自分が何かしたい、でもどうしていいか分からない、そう思うからこそ八つ当たりしてしまったんだろうなと思います。
あやかんのノースリーブ
「あやかん成長物語」のキーワードは「ノースリーブ」。(この話、私はけっこう重要なキーワードだと思ったのに、MC二人は終盤ふつうに忘れてたのも寂しかった…。)
ラストに向けて、あやかんが鐘を鳴らすことはないだろう…ならばせめてノースリーブで成長物語にしよう…という製作陣の意図があっただろうなぁとは思います…。
なんなら最後も、説得されて着た可能性もあるよなぁ…とすら思う…。
でもその時に「ギタりんが見たら、あやかんかわいい! って言ってくれると思う」と言っていたのが、あやかん成長物語の全てだと思う。
隊長ではこんなふうにはなれなかった。隊長は、自分が背伸びして見合う女になれるかどうかという憧れの存在。でもギタりんは、自分を受け入れてくれて、自分の欲しい言葉をくれる存在。心の中にギタりんというお守りを持っているだけで、ギタりんがいない場所でも勇気を出せる。
(みぽの「かわいい」は、女子の社交辞令だから心に届かない…というのも悲しいけど分かる。もっと素直に受け止めていいとは思うけど。)
惜しむらくは、ギタりん本人がノースリーブの勇姿を見れなかったことだけど、でもギタりんがいない場所で着たノースリーブだからこそ、あやかんの一歩の大きさが分かる。異性に見せるためではなく、自分の力で自分のために着たノースリーブだったのだと。
あやかんが歌った
ギタりんの告白は、オリジナル(即興?)ソング。
恋愛指南書では「オリジナルソングの弾き語りほど迷惑なプレゼントはない」というのがセオリーだと思います。ましてや言葉なし、歌のみの告白なんて。
ちぃのバースデーソングも、あやかんへのラブソングも、MC二人には意味が伝わりませんでしたが、どちらも「自分が好きかどうか、自分が選ばれるかどうかじゃなく、あなたは幸せな人生を歩んでね、あなたはそれくらい尊い存在だから」という曲でした。
他の誰にも伝わらなかったけど、あの歌は、あやかんにだけは伝わっていた。
だって、二人で作曲をしていた仲なんだもの。
「愛はいいのいいの」のコーラスに合わせて、あやかんも一緒に歌いました。
「あいの里」オリジナルソングを作っている時、ギタりんに「自分で歌わなきゃ」と言われたあやかんは「無理無理! 素人はパッと歌うなんてできない」と断っていたのです。そのあと歌っていた曲もラップ調だったので、歌に自信がないのかも。
そんなあやかんが、ギタりんに合わせて自分から歌った。
もうこれがあの歌の全てじゃん…。
『あいの里』オリジナルソング
未消化に終わった要素として、二人が作っていた『あいの里』オリジナルソングがあります。
あやかん作詞、ギタりん作曲。この作曲作業を通して、二人の親密さが視聴者に伝わってきました。
地雷が多くて他住人の優しさに「ガルルってなってしまう」あやかんも、この歌詞を見れば、住人みんなを見ていたし想っていたことも伝わってきた。
どこかで披露するための曲なのか…と思いきや、結局、最後まで披露はされず。
もしきっかけがあればみんなで歌いたいと思っていたんでしょうか?
でも、誰かに聴かせるためでもなく、ただ自分たちが歌うために曲を作ること。
最も尊い共同作業ではないでしょうか。
そこには周りの目や評価は関係ないのです。自分たちが歌いたいから、楽しみたいから歌うだけ。人に聞かせてしまった瞬間に、この尊さは失われてしまうから。
…今思えば、隊長に怒られたのも、ギタりんが「人の評価を気にする音楽は、自分の思う音楽ではない」という信念の人だったからなのかも。
「ギタりん、すごい! すごいよ!」
この作曲作業の最初のシーン。
あやかんが持ってきた歌詞に、ギタりんは即座に曲をつけました。
それを見たあやかんは、「ギタりん、すごい! すごいよ!」と手を叩いて大喜び。
そう、ギターが弾けること、作曲ができること、しかも即興でできること、さらにその技術を人に教えられることって、めちゃくちゃすごいスキルなのよ。
それまでは、「ふーん、ギターの先生なんだ」「夢を諦めたバンドマンなんだ」でギタりんの評価は止まっていた。隊長の目には「みんなのためにギターを弾けばいいのに」としか映っていなかった。
音楽ができるってすごいことなんだ、と再発掘してくれたのがあやかんだったのです。
Best version of me
こんなふうに、他の人なら「ふーん」としか思わないことに、気づいて、拾って、ピカピカに磨いて、「なんて素敵なの」と言い合えるのがこの二人。
人付き合いが苦手な者同士、人間関係の中で傷ついた時にも、それに気づいて、味方をしてあげられるのがこの二人。辛抱強く寄り添うギタりん、代わりに「しばいたる」あやかん。
あやかんと一緒にいる時のギタりんは、一番輝いているギタりん。
ギタりんと一緒にいる時のあやかんは、一番輝いているあやかん。
私は英語の "Best version of me" という表現が好きです。
どんな環境にいるか、誰と一緒にいるかによって、自分は素晴らしい人間にも残念な人間にもなる。ギタりんはまさにその代表例です。
いろんなバージョンの自分がある中で、あなたと一緒にいる時、自分の一番良いバージョンになれる。
あなたといる時の自分は輝いている。
あなたといる時の自分は優しくなれる。
あなたといる時の自分は人を疑わない。
あなたといる時の自分は嫌なことを嫌だと言える。
あなたといる時の自分は自信に溢れているし、愛に溢れている。
ギタりんにとってあやかんは、あやかんにとってギタりんは、 "Best version of me" にしてくれる存在だとしか見えないのです。
尊い。
3次元で、一般人参加の企画で、そんな出会いってありえる…?
奇跡だろ。
二人の未来
お互いの失恋を見守った二人
ギタりんのちぃへの失恋、あやかんの隊長への失恋を、それぞれ見守った二人。
他の人に矢印が向いている状態の相手も知っているし、失恋したらどんなに凹むかも知っている。
だからこそこんなにも通じ合えるんだろうなと思います。
最初からどちらかが好きになっていたら、こうはならなかったはず。
恋人になることは、親友を失うこと
赤の他人の私は「二人、お似合いだから付き合えばいいのに〜」とは思いますが、踏み切れない気持ちも分かる。
だって、カップルになるということは、こんなにも心が通じ合う大親友を失うということでもあるんだもの。
もしこの二人の間で喧嘩したり傷つけ合った時、誰がこんなにぴったり自分に寄り添ってくれるだろう。
「恋人」や「結婚相手」は、いつか終わりがあるかもしれない。離婚や死別があり得ることは、もう大人なんだから想像の範疇にある。
でも、ギタりんとは「生涯の、一生涯の大親友」で、終わりはない。
だからこそギタりんの気持ちに応えられない、というのは、想像できてしまうのです。
フっても一緒にいられるという甘え
告白してフラれたら、もう友達ではいられない…というのはよくある話だと思います。
告白を断ったあやかんは「ギタりんなら断っても大親友でいてくれる」「ギタりんは私を裏切らない」という自信が、もっと言えば「ギタりんへの甘え」があるんだと思いました。
YouTubeの特別映像でも「里を出た後に連絡していいものか躊躇した…」と言っていました。もちろん、あやかんだって「友達でいてね」というのが身勝手なのは分かっている。
でもやっぱり、連絡してしまう。
モヤモヤした気持ちも全部言おう、それで相手に委ねよう。
尊い。
他の人に対してだったら「こんなことしたら嫌がられるかな…」ということでも、「この人にはぶつけよう、きっと受け止めてくれるだろう」と決断できる。こんなに「甘えられる」相手に、大人になって出会えるって、すごすぎないですか。
もちろんどんな可能性もあり得る
「妊娠」というテーマをどうするか。
終盤はあまり触れられなかったので、あやかんにとってそれがどんな扱いになっているか分かりません。赤の他人の視聴者に知られる必要もないと思う。それくらいプライベートなことなので。
ただ、それが二人の関係の変化の鍵を握っているとは思う。
「付き合えばいいのに」とついつい思ってしまうけど、それには必ず「じゃあ妊娠は?」という問いが付いてきてしまう。
なので「二人が付き合う可能性だって全然あるよね」とは思っても「そうなるといいね」とまでは言い切れない。
ギタりんの恋が叶ったら、あやかんの妊娠の願いは…?
あやかんの願いが叶ったら、ギタりんの思いは…?
令和にこんなロミジュリみたいなもどかしい二人が存在するとは…。
「幸せだといいな」、それしか言えないよね。それ以上のことは何も言えない。言う必要もない。
ありがとう、ギタりん&あやかん
『あいの里2』にギタりんとあやかんがいて、本当に良かった。
ここにいてくれてありがとう、ギタりん、あやかん。
いつまでもその美しい笑顔で…。
…以上です。
1万字も語ってしまった。すみません。吐き出さずにいられなかった。
恋愛リアリティショーについてこんなに書くのはたぶん初めてなので、今後こりゃいかんな、と思い直したら消します。