近くの映画館で最終日だったので、滑り込んできました。『教皇選挙』。

ちょいちょいちょいちょいちょーーーーい!
言ってよーーーーー!
こんなに面白いなら、もっと早く言ってよーーーー!!!
いやまぁ、言ってたんですけども。
映画好き界隈では必ず名前の挙がる作品だったんですけども。
でもまさかこんな作品だと思わないじゃん!!
度肝抜かれたわ!!!
目次
- ど真ん中エンタメ
- 予想通りの内容なのに予想だにしなかった作品
- あらすじ
- 豪華な俳優陣!
- たぶん相当リアル
- 映画の中で、透明化されたもの
- 理想を自分に言い聞かせながら
- あと、普通に良い事言ってる
- ぜひ劇場で
ど真ん中エンタメ
もっと静かな映画だと思ってました。
カトリックが題材の作品だし、あんまり派手なことをすると教会や信徒が黙ってなさそう……暗めで厳かな人間ドラマなんだろうと思ってました。まさに家で1人で観るのにぴったりな感じの。
まさかまさか。
めっちゃくちゃエンタメじゃん。
なんなら冒頭は、ちょっとBGM多すぎるな〜、もっとしんみり観たいなぁ〜と思っていたのですが、とんだ勘違い。しんみりなんてしている暇はない、一寸先が読めないドキドキハラハラのサスペンスドラマでした!
予想通りの内容なのに予想だにしなかった作品
観終わってから振り返ってみると、内容自体はそんなに奇想天外なものではなかったのです。
かなり他に足が着いている。
もっと突飛な展開があるのかと想像しながら観ていた身としては、予想したどのシナリオよりも地味で普通。
なのに、見せ方が尋常じゃない。
絵作り、メタファーの配置、心理描写、謎解きの置き方などなど、とにかく全てが巧みで魅了される。

ストーリーライン自体は新しさがあるわけではない。
でも時代を反映して、メッセージ性もあって、そして希望を胸にエンドロールを迎えることができる。
「映画ってこうだよな」という懐かしい感慨のある作品でした。
(思えば、最近の作品って解釈や分析ありきで、終わってから「アレの意味は…」「ここの解釈は…」と深読みするのに忙しく、おいそれと浅い感想を投稿すると笑われるんじゃないかとビクビクする、なんとも息苦しい世になってしまったものです…。何年ぶりかに、鑑賞し終わった瞬間に「面白かったぁー!」と素直に言えました。)
あらすじ
ローマ教皇が亡くなった。
悲嘆に暮れるのも束の間、世界中に散らばるカトリックの「枢機卿」(教皇の次に上の役職)を集め、教皇選挙<コンクラーベ>が行われる。彼らは一切の情報をシャットアウトした礼拝堂に隔離され、2/3の得票数を得た新教皇が決まるまで出られない…。
教皇の座を手に入れるべく、この時に向けて虎視眈々と画策してきた者。
自分自身にそんな野心はないが、そういう奴に教皇にならせる訳にはいかないと対抗馬を目指す者。
国籍、人種、思想…さまざまな違いで派閥を形成して睨みあう枢機卿たち。
そんな中で、「首席枢機卿」としてコンクラーベの実行委員長を務めるのが本作の主人公、ローレンス枢機卿。

絵に描いたような真面目で誠実な聖職者。曲がったことは大嫌い。真っ当に、この選挙を執り行う職務を全うしようとする。
彼自身は教皇になりたい欲などない…。「羊飼いタイプと農場経営者タイプがいる。お前は経営者タイプだ、管理をしろ」と楔を打たれて、自分が実権を握ることなどとうに諦めている。
前教皇の意志を継いで、この選挙を無事に終わらせたい。
そんなローレンスのもとに、有力候補トランブレ枢機卿のよからぬ噂が舞い込んでくるーーー。
豪華な俳優陣!
管理職の苦労を演じるのはレイフ・ファインズ。『ハリー・ポッター』のヴォルデモート、『グランド・ブダペスト・ホテル』の主役の支配人を演じた紳士み溢れるおじいさま。
ローレンスの友人であり、「自分は教皇になんてなりたくない、でも候補者のあいつになられるくらいなら」と候補に名をあげる役がスタンリー・トゥッチ。『プラダを着た悪魔』でアン・ハサウェイの良きブレーンだったデザイナー。(この人が演じるってことはもう、そういうことじゃん…!!)

この映画、そういえば登場人物が全員おじいちゃん&おばあちゃん。(老眼鏡の登場回数の多いこと多いこと。)
なのにキャラ分けがめちゃしっかりしてて、どの俳優も華があって、ちっとも枯れた画面にならない!
むしろ、バチカンの歴史をもつ重厚感にはこれだけ年輪を重ねた俳優でなければ釣り合わない。
枢機卿の正装、ミケランジェロの絵画、背景に流れるオーケストラにマッチするのは、人生の酸いも甘いも味わい深く刻まれた皺。
苦悩、不安、迷い、慢心、野望……それを表情だけで演じるベテラン俳優陣の表現力に項垂れる。
たぶん相当リアル
現実のコンクラーベの中身は完全に秘密なので、もちろんこのような政治バトルがどこまで行われているのかは分からない。
けど、絶妙なリアリティラインをついてくる。
映画で「密室に隔離されて争う」って言われたら、そりゃもうバトルロワイヤルじゃん。血みどろのサスペンススリラーじゃん。
まぁでも、んなことたない。だって全員、枢機卿やもん。めちゃくちゃ偉い聖職者やもん。
神と自分が真摯に向き合い、世のため人のために奉仕するというキリスト教本来の理想。
とはいえ、巨大組織を運営するためにはトップが権力を持つし、権力のあるところに人の野望は集まるという宗教組織としての現実。
その矛盾と人生を通して向き合い、人を救ってきた実績をもち、カトリックの理想を実現するパワーを持った人々。そんな聖人が「ライバルを殺して教皇の座に」なんていう安易な行動に出るはずがない。だからこそ「人の心の中」にあるサスペンスが滲み出る。
自分の思い通りにものごとが進まなくても、「なんでこんな奴が」「なんでこんな事が」と嘆きたくなることがあっても、それが神の意思ならばという一言で口に捩じ込まれたもの全部飲み込めてしまう、そのパワー。
観ていると「なんでこの人、こんなことするかなー?」「なんでもっと抵抗しないの?」と思うことは多々あるけれど、でもその行動の全てが「神の意思に従った」と捉えれば「そういうこと」になる。圧殺。
それによって心が軽くなることもあるかもしれない。でも絶望することもあるだろう。
キリストが死の間際に「神はなぜ私を見捨てたのか」と嘆いたように、神に見捨てられたことを嘆かなかった者はここには一人もいないのだ。
映画の中で、透明化されたもの
「多様性」と向き合うことがこの映画の大きなテーマ。
全世界から集まった枢機卿たちは、出身地も様々、肌の色も様々。
かつてはイタリア人しか枢機卿になれなかったし、ローマこそがお膝元だという特権意識もあったが、今ではもう違う。
かつては誰もがラテン語で話したが、カトリックを世界に広めるためには翻訳もローカライズも必要。その結果、集まった枢機卿たちは母国語の違いでグループを作り、派閥が生まれる。
かつて一つだったはずのものが、もう一つではない。そして「一つにならない」という合意によって、一つになるしかない。
「女性の権利」問題はその筆頭に上がるものだ。
カトリックでは聖職者は男性のみ。信徒は女性の方が多いが、女性の場合は「シスター」となる。
このコンクラーベは、シスターたちにとっても大イベントだ。
集まった100人以上の枢機卿の生活のお世話をするのは、これまた世界中から集まったシスターたち。
個室のベッドメイクやアメニティの準備、食事の用意。
彼女たちは「見えない存在」として男性の選挙を支え、見守る。

コンクラーベはいつ終わるか分からない。今日にでも教皇が決まるかもしれないし、何週間もかかるかもしれない。
自分の仕事の終わりは、枢機卿たち握られている。
そしてこのコンクラーベは、自分たちの将来も握るのだ。
女性の活躍を推進する、自由主義的な人が教皇に決まれば、自分たちの活躍の場も増えるだろう。
しかし「女は男より劣る」というカトリックの根本的な思想をとる教皇が生まれれば、自分たちの立場は圧迫されるだろう。
自分たちに投票権はない。しかしこの選挙結果が自分の立場を、人生を、生き方を左右する。
そのことを知りながら、影の存在として選挙を支える。粛々と。
選挙の合間、枢機卿たちが中庭で雑談をする中で、回廊からじっと庭を凝視するシスターたちがいたのが印象的だった。
彼女らは何を見ていたのだろうか。
自分たちのお世話係としての仕事が首尾よくいっているか確かめていたのだろうか。困っている枢機卿がいないか見ていたのだろうか。
それとも、枢機卿たちの表情、交わす言葉、一挙手一投足から、自分たちの未来を占おうとしていたのだろうか…。
コンクラーベの裏には、女の戦いもあるはず。
それも観てみたいと思った。
この映画で描かれていないもう一つの透明な存在が「アジア人」だ。
カトリック全体の中で、アジアは決して小さなパイではない。当然、アジア人の枢機卿も実在する。(先の現実のコンクラーベでは、初のアジア人教皇の誕生も話題に上がっていた。)
しかしこの映画の中に、アジア人は登場しない。
あくまでモブとして、休憩時間にタバコを吸って立ち話する3人の枢機卿、投票席の後ろに座る数名が、中国人らしき俳優だった。しかしセリフの割り当てはない。

この映画で、この次元で描かれる「多様性」の象徴は「黒人」と「ヒスパニック」。
全世界に移住している中国人、人口で一位になったインド人、キリスト教国が植民していた東南アジア…これらの国が派閥を形成してもおかしくない気もするが、どうだろうか。(まぁでもアジアってなかなかまとまらないし、現実のコンクラーベでも浮遊票なのだろうか。)
実際のところがどうなのかは分からないが、しかし「多様性」を掲げてなお、カトリックの世界でいう多様性は黒人・ヒスパニックまでで、アジア圏はカトリックにおける外縁だ、という無意識の線引きを見た。
(あ、別に「アジア人もっと出せ」と言いたいわけではないです。やっぱアジア=仏教・ヒンドウュー・イスラムであって、カトリックは西欧世界担当だよね〜とは直感的に思います。
ただ一方で、いくら理念に「ユニバーサル」を掲げていても開拓の限界地みたいなものは存在するよね、多様性といっても真に「全て」を飲み込むのは現実の歴史がある以上、難しいよね、と思いました。)
目立たない影の存在。
しかしそれが、体制に大きな影響力を持つ。そして体制が、彼らに大きな影響を与える。
もう彼らの口を塞いで、権利を弾圧しておけば、黙っていてくれる時代ではないのだから。
去年、ヨーロッパを旅したとき、レインボーフラッグを掲げる教会を見かけた。
彼らはどのように、神とこの社会の両方と付き合って折り合いをつけているのだろう。
理想を自分に言い聞かせながら
理想と現実。
いくら理想に向かってひたむきに精進しても、思わぬ現実が、自分を揺さぶってくる。
ままならない現実を目の前にして初めて、自分の中の揺るがぬ信念、野心、怨念が立ち現れる。自分の中に飼っていた獣の存在に気づく。
なんとかその獣を鎮めて、自分に言い聞かせる。
「これからは多様性の時代」
「組織にも進化が必要」
「どんな人にも救われる価値がある」
言い聞かせて、自分を宥めて、新たな教皇の誕生を拍手で迎える、その顔に滲み出るものとは。
誰も死なないのに、誰も狂わないのに、それでも人間の深淵が怖い。
背中がゾクゾクするクライマックスシーン、ぜひとも観てほしい…!!
あと、普通に良い事言ってる
ちょいちょい登場する演説シーンはどれも胸を打ちました。明らかに敵役・負け役な人のセリフですら、一理あると思って刺さってしまった。
世界で立派な人たちを上から数えて集めたような会なんだから、どんな思想・派閥であっても含蓄があるのは当たり前。
しかしどれだけの「含蓄」の石を投げられても、一つの正解を出し続ける主人公。病むってこれは。

あ、ちなみに選挙の過程で、候補者の演説とかマニフェストとかあるのかなーと思ったけど、そういうのはナシでした。
もちろん事前の根回しはあった上で、コンクラーベが始まっちゃえばあくまで全員が候補であり投票者。日本の選挙の政見放送みたいなものも、『HUNTER×HUNTER』の会長選挙の演説のやりあいみたいなのも無しで、(公式には)淡々とただ投開票を繰り返すだけです。
じゃあ、さっきの投票と今回の投票の間で、どうやって票を動かすの…って?
手立てはないです。
何もないからこそ、水面下での投票者たちの心情の揺れを察せられて熱いのよ…!!
ぜひ劇場で
ものすごく「配信待ちで良さそう」な空気のある「教皇選挙」、でもめちゃくちゃ劇場鑑賞向けのエンタメ作品だからぜひ劇場で観てほしい。リピも全然あり。
現実のコンクラーベで話題が重なったこともあり、まだまだ上映館は多いです!
鑑賞済みの方は、公式サイトにネタバレ有りの解説ページがあって、実際の神父さんのインタビューとか読み応え抜群なのでぜひ!