映画に限らず作品というものにおいて、「何を言うか」「何を言わないか」って難しいですよね。
人の心理って、一つじゃない。
例えば意地悪してきた相手に謝罪されたとして、その時、言葉にできることってなんでしょう。
「あなたを許してあげたい」と思っている自分もいる。
同時に、「ごめんで済むものか」と思う自分もいる。
「今は許せない」「でもいつか許せるかもしれない」「一生許せないかもしれない」「現時点では分からない」「だから今は何も言えない」…。
様々な思いが人の心の中には併存する。
「いいよ、許すよ」と言ってしまえば、周囲は「許された」と合点するだろう。
でも自分の心の中には「許すよ」の一言に現れないものがあまりにも多い。
映画のセリフも同じようなもので、登場人物が何かを言う。観客は「このキャラはそう思ってるんだな」と受け取る。
でもきっと、そのセリフの背景には、言葉に現れたものと現れなかったもの、画面に描かれるものと描かれないものの無限の広がりと可能性があるはず。
どんな思いだったのか、どんな過去があったのか、どんな未来を歩んでいくのか…。
それを想像するだけで、一つのシーンから無限に広げられてしまう。
そんな鑑賞者の妄想の楽しみの極地として、「主人公の表情ひとつで、主人公の錯綜する様々な思いを表現する」名シーンがある、個人的に好きだった映画を紹介します。
表情だけで、キャラクターの複雑さを表現する。
まさに名優のなせる技。
ちなみにどれも作品の大トロの中のトロのトロのとろっとろの部分なので、絶対に先にネタバレなしで鑑賞することをおすすめします。
タイトルを以下に挙げるので、観たことのある作品(またはネタバレが一ミリも怖くない作品)をクリックしてください。
目次
それでは以下、観た人向けのネタバレありの紹介です。
ご注意ください。
1. 『教皇選挙』

何を隠そう、この『教皇選挙』を映画館で鑑賞して、「あーーーっ、レイフ・ファインズの表情、イイ!!」と感じた瞬間にバババッと他の作品が脳内に浮かんで、この記事を書いています。
登場人物みんながおじいちゃん、人生の皺を刻んだベテラン俳優しか出てこないこの映画、そりゃあ1シーン1シーンの表情からいろいろ読み取れるのですが。
とりわけゾクゾクするのが、教皇が決まった後の、主人公ローレンス枢機卿の拍手シーン。
自分は教皇になどなりたくない、ましてやコンクラーベ前に辞職しようと思っていたのに…。
そんな「謙虚」を3D化したようなローレンスが、選挙の勢力関係から「自分こそが教皇を目指さなければいけない」と腹を括った瞬間、テロの爆発が会場を襲う。まるで「お前の野心は許されない」と神の逆鱗に触れたかのように。
その後、まさかまさかのダークホース・ベニテス枢機卿が名演説を打ち、一気に形成逆転。謎多きベニテス枢機卿が教皇に選ばれる。
「権力争いに執心するコンクラーベは願い下げだ」と一刀両断したベニテス枢機卿。では自分が教皇に選ばれたらどうするのか…と思いきや、あっさりとその使命を受諾する。(心中はどうあれ、これもまた神が与えた使命だからだろう。)
新しい教皇が決まり、枢機卿たちが祝福の拍手を送るなか、ローレンスはどんどん表情が変わっていく。
式の進行役であり管理職としてのビジネス・スマイルがどんどん崩れ、暗く、険しく、まるで心の中の鬼が姿を表したかのような顔。
「本当は、俺がなりたかった……ッ」
それはまるで、キリストが今際の際に「なぜ神は私を見捨てたのか」と苦悩するのと同じように…。
なぜ神は私を選んでくださらなかったのか。
なぜ私は「農場経営者」なのか。
なぜ私は「羊飼い」になれないのか。
自分に投票してくれたベニテス枢機卿の前で「私はそんな器じゃないから…」と謙遜していたが、その胸のうちに1ミリでも、いや、0.1ミリでも、「教皇になる器」を自分に期待しなかっただろうか?
これだけのストレスにさらされて重荷を背負わされて、その報いを受けられると少しでも期待しなかっただろうか?
もちろん、分かってる。先に諦めたベリーニやアデイエミと同じ。自分は選ばれし者ではない。
分かってる。
分かってるけどォォ……ッッ!!!
ベニテスが選ばれて良かったと思ってる、100パーセント思ってる、自分が選ばれなくて良かった、自分は教皇なんていう重責には耐えられないって分かってる、100パーセント分かってる、分かってるけどォォ…ッッ!!!
でも「やっぱりそうだったんだ」と知るのは辛いッッ……!!!!
コンクラーベを通して自分の内なる野心、葛藤、矛盾、そして「確信」に向き合わされることになった枢機卿たち…。
ローレンスが最も「内なる自分」と向かわされたのは、コンクラーベが終わったその瞬間だったのだろう…。
…でも、それだけじゃない。冒頭の通り、人間の内面なんて一つじゃない。
とにかくストレスフルすぎたコンクラーベがなんとか結末を迎えて「やっと終わった…! キツかった…! これで辞職できる…!! ここまで長かった…!!!」って泣きたくなるような表情だったかもしれない。
または前教皇を思い浮かべて「これで良かったんですよね…? 私は間違ったことはしていませんよね…? これが正しかったんですよね…?」と無防備な心になったのかもしれない。
長年の仲間たちのスキャンダルを暴露して傷つけて、「コンクラーベのためとはいえ、俺はなんてことをしてしまったんだ…」と罪悪感が押し寄せたのかもしれない。
自分の中にいる鬼と獣と天使と子供、野心と謙遜と諦念と信仰……全てが苦汁となって押し寄せてきた彼の、あの表情。
また観たくてたまらない。
今から配信・DVD化が待ち遠しいです。
2. 『PERFECT DAYS』
過去にコテンパンに酷評した『PERFECT DAYS』↓
でも、ラストシーンの役所広司の表情はやっぱり放っておけない。
トイレ清掃の後輩が仕事をトんだり、家出した姪が転がり込んできたり、そして帰ったり、スナックのママの元夫と出会ったり、そんないろんなことがあって…。
また自分は日常に戻る。
仕事に行き、公園で昼休みをし、趣味の写真を撮り、銭湯で体を洗い、行きつけの店で飲む。人とは極力関わらずに、好きな本を読む。
いいじゃないか。
自分は、幸せじゃないか。
自分はなんて、幸せな人生なんだ。
それなのにどうして、涙が出てくるんだ。
それは悲しみの涙ではない。喜びの涙でもない。
ただ、心の中に「自分の人生」というものが溢れかえってきて、涙が吹き出してきた。
今この現在地点に来るまでに、いろいろなことがあった。
今よりずっと悲惨な時期もあった。実家や父親との確執は今でも水に流れない。
恋をしたり好きな人がいたり、もしかすると結婚したこともあったかもしれない。姪を可愛がることで、自分の中の「家族や家庭」というものに折り合いをつけたのかもしれない。
趣味との向き合い方だって、今ほど気軽でなかった時期もあったかもしれない。本気でカメラマンを目指したけど挫折したとか、読書サークルの仲間内にいざこざがあって嫌になったとか、そういう過去もあったかもしれない。
人は生きている限り、日常を回していかなきゃいけない。
毎日仕事に行く。
お金を稼ぐ。
それで食事を得る。
栄養を摂取して排泄して、体を綺麗にして、夜寝て、朝起きる。
そうやって「人間」をやらなきゃいけない。
でも自分のどこかに、思い描いていた「人間」ができていない自分がいる。
自分の夢見た未来ってこんなことだったっけ、って問いかける自分がいる。
でもこれしかできない、人生やり直したってやっぱりこうなるはず、って納得する自分もいる。
全ての自分が、自分の人生を支えると同時に、押し潰してくる。
生きるってなんなんだ。
生きるってどうして、こんなに悲しくて苦しいんだ。
それなのに眩しくて美しいんだ。
あの泣き笑いには「人の人生」というものが丸ごと、そして「この世界の美しさと醜さ」というものが丸ごと、表現されていたように思えてならない。
作品自体の好き嫌いとは別で、あの涙をいつか自分も流す日が来るような気がしてならない。
ヴェンダース監督も、きっとその涙を流したのだろうから。

3. 『TAR』
公開当時に映画館で鑑賞して、いつかこのブログでもレビューを書きたいと思っている地獄映画『TAR』。
地獄です。
ええ、そりゃもう。

俳優引退を宣言しているケイト・ブランシェットの最後の作品になるかもしれなかった、狂気の長編作品。
ケイト・ブランシェットの恐ろしい狂演が光る、降板されたオーケストラへの突撃シーン。
(↓のラストの部分)
予告編の最後に採用されていたシーンなのでどんな印象的な場面かと思ったら、まさかの精神錯乱して本来なら出るはずのない舞台に乱入しちゃった問題行動。
まさかの乱入だったとは。
その直前までのターは、ストイックに音楽に向き合い、コンサートを成功させようと奮闘する芸術家。
スーツに身を包んで舞台袖に控えているところなんかは、「わぁ、実際の指揮者ってこんな感じなのかな」「精神統一して舞台に臨む姿、かっこいいいな」「今まで鬼軍曹のようだったターも、コンサートを成功させるためにやってたことなんだよね」とすら思った。
全然違うやん。
気ぃ狂ってますやん。
ストイックな芸術家、孤高の天才から、気のふれた鬼にみるみる変わる、ケイト・ブランシェットの表情。
キリリとした無表情から、明るい舞台へと歩きながら、いかに彼女が狂っているのか、彼女の中の鬼が荒ぶっているのかを滲ませ、変貌していく彼女の表情。
鬼。
鬼の形相。
社会に理解されない天才の孤独、自分を蹴落とした者への怒り、代理で指揮を取る人間への妬みと「私の代わりが務まる」と愚かにも思えてしまった凡人の傲慢さへの呆れ、至高の音楽への憧れ、恋人を失う悲しみ、音に敏感で精神をすり減らしてきたことへの疲れ、この世界への絶望。
自分が支配していたはずの世界から、見下していたはずの愚民たちから引き摺り下ろされる、絶望。
正直、ターという人物像と同じくらいこの映画自体もめちゃくちゃ人当たり悪くて、ターのイヤ〜〜〜な人間性を強調するかのように冗長なシーンだらけだし、嫌なことしか起こらないし、それでいて「158分」という優しさのカケラもないし、この映画に観客が付き合ってくれると思っていることすらターと同じくらい傲慢に思えるのですが。
しかしこのケイト・ブランシェットの表情にはやられた。
「そうきたか!」と唸ってしまうラストにしても、彼女の憑き物が落ちたような(実際に憑かれていたんだと思う、「ベルリンフィルの栄光」という魔物に)晴れやかな表情を見て、「これはハッピーエンドか、バッドエンドか?」と考える楽しみは多い。
怪物も悪魔もフィクションの世界だが、フィクションである映画の中で「本物の怪物」を描いたこの作品にはガツンとやられた。

以上!
個人的に印象深かった「表情だけで魅せる」映画、3本ご紹介しました!
AIが進化する昨今「俳優もCGで良いのでは」とかいう議論も交わされますが、こういう演技力のバケモノを見せられてしまうと「これは生身の人間でなければ」と思わされますね。
もし他にも「この映画の表情もすごい」というのがあれば教えてください。