まさか観る日が来るとは思っていませんでした。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

タイトルからしてポエミーでしんどそぉーーーな作品…。
当時リアルタイムで観ていたアニメファンたちに絶大な評価を受けたのは分かる。
でもリアルタイムを逃して、主人公たちに共感するのも難しい年齢になった今では、もう好意的に見るのは難しいだろう…。
あまりにも興味がなくて内容を一切知らなかった。
どうやら「メンマ」という名前のヒロインキャラがいるらしい、ということしか。
なんか『君の名は』とか『打ち上げ花火、上から見るか横から見るか』みたいな青春モノっぽい、ということしか。(『打ち上げ花火〜』も観てない。)
……が。
まさか。
まさか大号泣するとは。
まさか自分の人生の転換点になる一作になろうとは。
未視聴の方にぜひオススメしたい。なのでネタバレは一切しません。
ぜひ私が味わった衝撃をあなたにも味わってほしい。
目次
- あらすじ
- 本当ならこういうの、めっちゃ嫌い
- でも『あの花』は違う
- 「人生につまずいたあなたへ」という強烈なメッセージ
- ご都合主義ではなさすぎる現実
- 不登校だった脚本家だから待てる目線
- 「引きこもり」を簡単に扱わない
- 避けられない「死」とどう向き合うか
- 1クール12話だけという観やすさ
- この夏、「あのはな」を観よう
あらすじ
主人公は高校一年生の少年、「じんたん」。
不登校で引きこもり生活を送り、家でゲームやネットをして過ごす。
夏のある日、彼は10年前に亡くなった幼馴染「めんま」の姿が見えるようになる。
「めんま」をきっかけに、小学生時代に秘密基地で遊んだ仲良し6人組のメンバーたちと再会する……という、ファンタジックな青春群像劇。
本当ならこういうの、めっちゃ嫌い
無気力で無関心、でも顔が良くて優しいから女の子からモテるヤレヤレ系主人公が、自分を慕う美少女に振り回される形で良い経験を得ていく……
そういうのホンマ嫌い。(断言)
村上春樹とか『PERFECT DAYS』とか、ほんっっとこういう「男の理想全開」みたいなやつ、見てらんない。
コストを払わず利益だけ得ようとするその根性が嫌い。
ウジウジしていれば、オレをヨシヨシしてくれるファムファタールが現れる…というお決まりのパターン。
はぁーーー…。(ため息)
(もちろん女性向けは女性向けで、超ご都合主義な「白馬の王子様」とか「冴えない私が人気者のイケメンから好かれる」とか「スパダリ」とかあるので、おあいこであるのは大前提。)
でも『あの花』は違う
第一話、ハイハイこれもそういう話ですね…と思いながら流し見していた。
引きこもりの高校生のもとに、かつての幼馴染が「成長した美少女の姿」で現れる。

自分にしか見えない彼女の美貌も愛嬌も、自分が独り占め。
身体は成長しているけど知性は小学生の当時のままなので、奔放で距離感も近くてラッキースケベしほうだい…みたいな。
全然違った。
そういう「理想」の皮を被った、救済でした。
「人生につまずいたあなたへ」という強烈なメッセージ
もちろん、男の願望を叶えたご都合アニメと受け取ることもできる。
けど、美少女とのスケベにウハウハしたいならば、もっとその夢を叶えてくれる作品はわんさとある。スケベ目的なら、きっとこの作品は物足りない。
それよりもこの作品の主題は別のところにある。
今まさに、引きこもっている君。
思いもよらない病気で悩んでいる君。
周りに流されて、本当の自分とかけ離れた生活を送る君。
自分の人生の中で、何か、ほんのちょっとしたきっかけで「こんなはずじゃなかった」ところに今いる君。
「これはそんな君に向けた物語なんだ」というメッセージをビシバシ感じる。

第一話の冒頭、主人公は「めんま」の幽霊に「ホント、女って低脳だよな」と毒づく。
本来ならゲンナリするようなセリフなのだけど、でもこのセリフに制作者からの熱烈なメッセージが込められている。
ーーー「引きこもってゲームとネットばかりしてるとさ、こういう思考になるよな。分かるぜ。自分もそうだったから、分かるぜ」
このアニメにふと目を留めた「人生がうまくいっていない」誰かの肩に、グッと、腕を回すためのセリフ。
制作者の意図はこのセリフ通りのことではなく、「こう思っているあなた」と対話するためにある。
そのことが伝わってくるから、感じる。
ああ、このアニメ、なんか本気だ。と。
ご都合主義ではなさすぎる現実
ラッキースケベもあるにはある。
女子高生のおっぱいがぷるぷるするシーンも、多少はある。
でもそれは、鼻の下を伸ばした男をウハウハさせるためのものではなく、あくまで最低限の客寄せの装置。「この時代の、アニメ好きに向けたアニメなら、最低限これくらいの必要事項はクリアしていないといけない」を取り入れた結果に見える。
「美少女のサービスショットがないと見る気がしない…」という、そういうあなたにこそ、見てほしい作品なのだから。

だから萌えアニメになりそうなギリギリのところで踏みとどまる。
萌えアニメならば女の子を恥じらわせて萌え要素を上乗せしていきそうなシーンで、スンッと冷静になる。
男の子が調子に乗ってアホなことをしそうなところで、何もしない。
「現実なら、生身の同級生相手にこんなことしない/できない」
「現実なら、そんな反応は返ってこない」
「現実なら、ここで何も起きない」
「現実なら、そうそうかっこよく決められない」
というリアリティラインを守ってくれる。
その絶妙な線引きが、このアニメを現実逃避のためのアニメではなく、現実と向き合い、勇気をもらうためのアニメにしている。
だって、人生につまづいた人たちは、一番よく分かっているから。
「人生はそうそう都合よくいかない」ということに一番うちひしがれているのだから。
「自分だけに都合の良いフィクション」では、目の前にある「うまくいかない現実」と戦えないということを一番よく分かっているから。
不登校だった脚本家だから待てる目線
まだ読んでいないのだけど脚本家の岡田麿里さんは 『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』という本を出されている。

それを知って、なるほどと腑に落ちた。
このアニメは明らかに、「不登校の少年少女」のために作られている。
そしてそれは上から目線の説教ではなく、同じ目線で描かれている。
強いて言うならば、不登校を経験した人生の一歩先にいる先輩が、「分かる、分かるよ。自分はそこから社会に出ることができたよ」と背中を押してくれる。
「アニメというコンテンツが、人生につまずいて動けなくなってしまった少年少女のために何ができるか」を徹底的に考えて作られたような作品。
彼らに寄り添い、救うための作品。
その、大人たちが本気でしんどい思いをしている子どもたちに向き合った、その姿勢に泣けるんです。
もちろんアニメファンの中には、人生楽しく謳歌しながらアニメを見ている人もいる。でも、人生がうまくいかなくてアニメに没頭する人もたくさんいる。
アニメ制作者ならばそのことをいつも考えると思う。
アニメという産業で働く大人たちが、彼らにできることはないのか。
「アニメには力がある」ならばその力をどう使うのか。
「アニメを、ゲームを、楽しんで没頭してくれてありがとう。
でも、アニメは、君たちの背中を押したい。アニメで君たちの背中を押したい」
そんな大人たちの声が聞こえる。
社会から、はじかれてしまった人たちのことを、こんなにも考えてくれる大人がいる。
そのことに涙が止まらないんです。
『あの花』はいわば福祉なんですよ。
「引きこもり」を簡単に扱わない
マンガやアニメの中には、「引きこもり」「ニート」などを「理想の生活」みたいにポップに肯定する作品もあります。もちろんそれも面白く楽しめます。
しかしこの作品では、そういった「人生の行き詰まり」を現実にあるものとして扱っている。
「人生に行き詰まった当の本人はどう思っているか」を扱っている。
主人公が不登校になった背景が明らかになってくると「あぁ、確かにそんなことがあったら外に出られなくなるよなぁ」と納得するし、家族に対しても「あぁ、確かに息子/娘がこうなったらこういう対応をするよなぁ」と納得する。
そして「学校に行けるようになって良かったね」とか「人生の一発逆転ができて良かったね」みたいなファンタジーなハッピーエンドにはしない。
「幼馴染の幽霊が見える」というどこまでもファンタジーな物語設定なのに、全部がすごくすごく、リアル。
もし「引きこもり」「ニート」「社会に出られない」という事象が「自分には関係のないファンタジー」だと感じていれば、その人にとってはこのアニメもご都合主義的ファンタジー作品かもしれない。
でもそういったことが少しでも身近な人にとっては、このアニメがこのテーマを扱う「手つき」に底知れぬ思慮と誠実さを感じ取るのではないかと思う。
避けられない「死」とどう向き合うか
第一話で明かされることなのでこれはネタバレしてしまうが、主人公のもとに現れる「めんま」は死んでいる。いわば幽霊とか地縛霊みたいなものらしい。
親しい人の死に接したとき、残された人はどのように反応するか。
その描き方もとても誠実で、好感が持てる。
6人組の幼馴染それぞれの反応、そしてそれを見ている家族や親の反応。
距離感や思いが違うので、キャラクターによって反応は異なる。それが「いろんなキャラがいることで物語を前に進ませる」という舞台装置になっていると同時に、「そのうちの誰かに自分を重ねることができる」という共感を生む。
特に胸を打たれたのは「生まれ変わり」という概念。
この物語自体が、そんなに「生まれ変わり」を中心に据えているわけではないのだけど、サラッと触れられる「死んだ人は生まれ変わる」という概念が、今の私のど真ん中にブッ刺さってきた。
そうだ、生まれ変わる(かもしれない)んだ。
輪廻転生という概念も、天国という概念ももちろん知っている。
でも、「生まれ変わる」ということを真正面から考えたことはなかった。
「生まれ変わる」というのは、死にゆく人のための救済だ。遺された人たちのための希望だ。
「死が一生のお別れ」ではなく、「生まれ変わって出会える」という方にベットする。
別れることで、きっと出会い直せる。
そのためにも、きちんと、お別れすることが必要になる。
そう考えると、しがみついて、追いすがって、執着する気持ちを手放すことができる。
前向きに、未来を見ることができる。
これから出会う人たちの一人ひとりが、「あの人の生まれ変わりかもしれない」
これから起こることの一つひとつが、「あの人からのメッセージかもしれない」
毎年巡る季節が、季節ごとに咲く花が、風や雨が、「あの人が運んだものかもしれない」
そう思うだけで、自分が遺されても生きていける。
そう思うだけで、自分が遺していく人と離れられる。
言葉では当たり前の、言い古されて擦り切れたようなことなのだけど、12話を通してこの概念が私の真ん中にドーンとぶつかってきて、生きること・死ぬことへの恐怖がスルリと溶けた。
なぜ私は10年前のアニメに魂を救われているんだ。
なぜこのアニメは、10年経っても人を救うことができるんだ。
1クール12話だけという観やすさ
他の人気アニメは長期化しがちですが、本作はたったの12話。
映画版はあるけど、アニメでしっかり完結しているのでたいへん観やすい。
あとオープニング曲・エンディング曲も、(物語上の若干のあざとさはあるものの)「いかにもアニソン」な曲ではなく、青春の雰囲気にぴったりマッチする爽やかなバンド音楽。これがまた「高校時代」を象徴していてグッとくる。
最近のアニメ曲は「売らんかな」ならぬ「TikTokで流行らんかな」なキャッチーさ全開のタイアップ曲が多いので、本作のオープニング曲には大変好感が持てた。
最初はちょっと「地味かな?」と思ったけど、12話ぶん聴き続けているとどんどん曲の良さが染み込んでくる。
なんかこういうところにも、人生に行き詰まってしんどい思いをしている人を悪い形で刺激しない、「流行り」よりも「優しさ」を優先した印象を受けてポイント高いのよ…。
この夏、「あのはな」を観よう
ちょうど物語の季節は夏。
これからの季節にいかがでしょうか。「あのはな」。
