さて、後半戦です。
ここからはネタバレありきの考察なので、先に映画を観てからお読みください。
(ネタバレ無しの前半はこちら)
目次
- 1. 後半、クライマックスまでのあらすじ
- 2. 主人公カティが、明確に「野心」を切り替えた瞬間
- 3. しかし、現実は厳しい
- 4. 正直者が馬鹿を見るのでいいのか
- 5. 国のコストをどう考える
- 6. 全体を見ることと、「その人」を見ること
- 7. 「ウィ、シェフ!」を観よう
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1. 後半、クライマックスまでのあらすじ
さて、すでに映画をご覧になった方はご存知のとおり、この作品のラストは温かくも苦い現実が待っています。
映画後半、ラスト手前までの怒涛のあらすじをおさらいすると、
- 移民の少年たちは、18歳までに職業訓練校で職業適格証をもらわないと故郷へ強制送還されてしまう。しかし、職業訓練校には空きがなく、真面目に働きたいと思っていても職業訓練は受けられない…。
- 施設長はカティが来てくれたことをきっかけに、この支援施設で料理人養成の職業訓練コースを開校できないかと模索をはじめる。
- そんな折、年齢をごまかして施設にいた少年の一人が、骨年齢の検査で成人だと判定され、強制送還に。
- ショックを受ける一同。カティは意を決して、フランスで人気の料理対決番組『THE COOK』の出演を決める。(急展開!!)
- 番組のMCは、かつて一流レストランで喧嘩別れしたシェフ。あいつに自分の料理を評価されるなんてまっぴらごめん…なのだけど、カティは自分の意地やプライドを捨てて、少年たちのために料理バトルを勝ち進んでいく。(このあたり、多少なり料理バトルもののリアリティショーを見ていないとテンポが早すぎて&説明がなさすぎてついていけないかも。私はブリティッシュ・ベイクオフの知識で乗り切りました。)
- いよいよ決勝戦。一騎打ちのバトルの内容は、「実際のお店を借り切って、内装や演出もすべてこだわり、客をもてなす」というもの。
- カティの作戦は、なんと……店の内装には移民少年たちの写真をベタベタ貼り、施設の電話番号をでかでかと掲げ、厨房には施設で料理を仕込んだ少年たちを立たせて自分はトンズラをこくというトンデモウルトラCだった!!(ええええええ)(店の内装があまりに活動家すぎて引く)
- 不幸なことに(幸運にも?)、生放送で対戦相手のバトル模様は画映えがしなさすぎて、カティの店の様子を撮るしかない。少年たちは、調理から料理説明、客のおもてなしまでカティにバッチリ仕込まれている。視聴率維持のためにはMCも少年たちにインタビューしたり料理さばきを映したりするしかなく、人気番組の電波を借りて見事に施設のアピールに成功。職業訓練校のスカウトや施設への支援が集まり、施設長の電話は鳴り止まない!
以上、ドタバタコメディのど真ん中な展開にびっくり。
店でカティのライバルだったシェフは、番組の意向で手厳しくカティに当たらねばならなかったり、番組MCがカメラの外ではめちゃくちゃ嫌なヤツだったり、ディレクターは口先だけだったり…と、「人気番組のイヤな裏側あるある」を愚直なまでにやってくれて、頭空っぽに楽しめる。
ただこのコメディシーンでも、店の内装演出は完全にヤバい活動家のソレで、なんというか絵的な苦味・スパイスをここまで効かせるかというところにフランスの味付けを感じた。(狭い店内でエンドレスでリピートされる自己紹介VTR、なかなかの悪夢である。)
2. 主人公カティが、明確に「野心」を切り替えた瞬間
少年の進路についてカティが施設長と揉めた際、カティはカッとなって施設長に「あなたには野心がない」と吐き捨てる。
料理にこだわり、徹底的に技を磨き、一流シェフの道を独走していたカティ。
独立して自分の店を持ち、シェフとして評価され、「一流の店」としてシェフ道を邁進することを目標にしていた。
しかし、彼女は施設長の言葉に心を揺るがされる。「調理師訓練校を作ること、それが俺の野心だ。」
施設長の「野心」は、自分一人で独走して叶えるものではない。自己研鑽し、技を磨いて到達する境地ではない。世界に名を轟かせファンたちが押し寄せるようなスターではない。
カティというシェフの力に頼り、行政職員のサポートを受け、寄付や支援を募り、そして熱意のある移民の少年たちを受け入れ、それではじめて実現する「野心」だ。
それはあまりにも、これまでカティが燃やしてきた「野心」とは対照的。静かで地道だが、これもまた燃えたぎる野心だ。
人気番組『THE COOK』の決勝戦で、自分ではなく少年たちに厨房に立たせる。
それは、カティが「自分の一流シェフとしてのキャリア」ではなく、「移民の少年たちを調理師に育て上げること」に自分の人生を賭けた、まさにその象徴的なシーンだった。
そしてその決断は、たしかに偶然によって導かれた境地ではあったものの、自分の中にルーツがないわけではなかった。孤児だった自分も、料理を教わったことで社会に参加することができた。
同じことを、少年たちに返していこう。
以前の自分ならば喉から手が出るほど欲しかったはずの「No.1のシェフの称号」も、少年たちのために簡単にそのチャンスを明け渡せる。
この生放送を通して国中に自分の悪評が流れようが、キャリアに汚点が残ろうが、料理界から追放されようが、100%の温かい気持ちでテレビの向こうで厨房を回す「チーム」を見守ることができる。彼らが厨房で活躍する姿こそ、自分が築き上げた一番の成果なのだと誇らしく思える。
正直、映画を観ていて「THE COOK」出演のくだりが始まった時は「これで優勝して注目を集め、移民問題のことをアピールするのかな」と思っていた。それなら彼女はシェフとしての名誉も、施設の広告も両方やってのけることができる。
しかしカティが望んでいたのは自分の活躍ではなく、少年たちの活躍だった。人生のバトンを自分が握って走るターンはもう終わり、次のバトンを何人へ渡すことができるか、その戦いが始まったのだ。
3. しかし、現実は厳しい
「THE COOK」の決勝戦は終わり、無事に支援が集まり…。
少年たちが調理師の姿でバッチリ決めた写真が、施設の壁に飾られている。
しかしその少年たちのほとんどは、「国外退去」となっていた。
そう。間に合わなかったのだ。
もうすでに18歳に近かった少年たちは、カティが調理師養成コースを開講するのを待つことができなかった。修了することができなかった。資格を手にいれるよりも先に成人を迎え、強制送還となり、国外へと去っていった。
彼らの写真を眺めるカティの背中。
彼女は何を思うのだろうか。
間に合わなかった無念だろうか。
彼らと過ごした美しい日々への憧憬だろうか。
しかし、悔んでも過去は変えられないし、少年たちの年齢も変えられない。
施設長や施設職員たちが何度も味わったのであろう無力感を、カティもまた味わうのだ。
全員を救うことはできない。
目の前にいるその子を、なんとか救えないかと尽力する。間に合わないこともある。思いが届かないこともある。それでも、一人、もう一人、ただ向き合っていくしかない。望んだ結果にならなくとも。
それでも希望はある。
シェフを目指していた少年は、実際にフランスの店で修行を始めている。
医師を目指している少年は進学することができた。
そして開講にこぎつけた調理師養成コースには、ズラリと新入生が並ぶ。
厳しい教官の顔で、カティは壇上に上がる。
その中に、一人。
まだ幼かった「ギュスギュス」が、施設の古株としてこのコースに参加している。彼の板についた「ウィ、シェフ!」の掛け声が、カティの、私たちの胸を明るく照らしてくれる。
4. 正直者が馬鹿を見るのでいいのか
実際の移民問題ーーより厳密には不法移民の問題は、もっと暗くて見えないところにある。
支援施設になど入らず、同郷の仲間のツテを頼って、違法行為に手を染め食いつなぎ命をつなぐことがザラにある。生きるか死ぬかの前ではスリや盗みや強盗なんて軽いものだし、暴力と悪意に汚染された故郷に戻ることを思えばどんな悪いことをしてでも平和な先進国に暮らせる方がずっと豊かだ。
作中で、不法移民の若者たちはショッピングセンターの裏をたまり場にしていた。
職員はそれを知っていて、彼らに彼らの言葉で声をかけ、慎重に打ち解けながら施設への入所を勧めていく。
しかしどれだけ施設をアピールしても、少年は「そんなできた話があるもんか」と一笑に付す。悪意にまみれた人生を歩み、大人たちを信じられず、社会を憎んできた少年にとっては夢物語なのだ。
時間はかかるが、少しずつ、そして一人だけでも入所してもらうしかない。(しかしそうしている間にも、18歳のタイムリミットは刻々と近づいてくる。)
おそらくどの行政機関にも世話にならず、裏のコミュニティに属して裏稼業で食いつないでいる限り法の目は届かない。18歳を超えてもフランスにいたい放題なのだ。
作中で国外退去になった施設の少年たちは、素直に施設に入り、職業訓練校に空きがでるのを辛抱強く待ち、違法行為をせず、正しくフランス社会に参加しようとした。それがために、国外退去となった。
襟を正して真正面から「この社会に参加させてください」とノックすれば、「いっぱいなので」と門を閉ざされる。
裏庭からこっそり侵入して身を潜めていれば、どれだけ庭を荒らしていようが居座れる。
そんなことでいいのか。
正直者が馬鹿を見ていいのか。
正しい行いをする者ばかりが排除されて、悪事に手を染めれば染めるほど居場所がある。そんなんでいいのか。
倫理的にあろうとするほど目的から遠ざかり、間違えば間違うほど目的が達成できる。そんな世の中でいいのか。
見渡せば世の中、そんなことばかりなのだ。
相手の不安を煽って不必要な美容整形を勧めた者に金が集まり、地道に人命を救っているエッセンシャルワーカーには金が回らない。デマや陰謀論で耳目を集める人が票を集め、世の中全体を見渡し公正にあろうとする人は立場を失う。目の前のお客さんに真摯に誠実に向き合っていては食っていけず、多少雑になっても多数のお客さんを回転させてやっと経営が成り立つ。
この社会で、正しくあろうとすること、それでいて幸せになることはなんと難しいことなのか。
いっそ、「自分の目的を達成すること、それこそが正しさだ」と自分に信じ込ませることができた方が、ずっとずーーっと幸せなんじゃないだろうか。
5. 国のコストをどう考える
もう一つ、この映画から考える不法移民の問題について、コストの問題がある。
映画の中で年齢を疑われた少年たちが、骨年齢の調査にかけられることになる。
なにやら立派な機械が骨密度やら骨年齢やらを検査していく。手や歯など、複数箇所のレントゲンを撮って判定するらしい。
フランスの制度がこの映画の通りだとすると、これだって、国が負担してやっていることだ。つまり国民の税金でやっていることだ。
さらに、国外退去の際には警察?移民局?の車が少年を迎えに来る。そこから先の渡航費は一体どうなるのだろうか。
ついでに言えば、この映画の舞台になったこの施設も、どこからのお金で運営されているのだろうか。この施設がある土地は誰の所有物なのか。主人公カティの給料は。
日本の場合、国外退去になったらその渡航費は移民本人が負担するそうだ。当然、自分を強制送還するための渡航費なんて誰も出そうと思わない。ゆえにいつまでも一時収容所から出ず、次々に不法移民が列を作ることになる。(YouTubeで得た知識なので間違っていたらごめんなさい。)
では、その渡航費を国が負担するのか? 下手すれば何日もかけて、乗り換えもしながら飛んでいくフライトを? もし乗り換えの地で行方不明になったり、やぶれかぶれになった移民がハイジャックにでも走ったら? その責任は?
紛争地帯へ送り返すということはつまり、死を宣告するのと同じことだ。奴隷だった人を送り返すなら、奴隷にならせるのと同じこと。ひどい差別や暴力に遭っている人なら、その渦中に追い立てるのと同じ。
その決断を誰がするのか? そのボタンを誰が押すのか?
来たものを、元の場所へ返す。
たったそれだけのことなのに、こと移民となると、それが「人」となるとこんなにも難しい。
そんなに難しいなら最初から誰も来ないようにする方が簡単だー…と振り切ってしまって、排外主義や極端な選民・差別・排除に走る気持ちがよく分かる。しかし、そうしてはならないことも頭では分かる。いっそ、もう見ないふりをして、自分とは関係ないものとして過ごしていきたくなる誘惑にも惹かれる。
正しく問題に向き合おうとすればするほど、苦しむことになる。
何も考えず、感じず、気付かずにいれば楽になれる。
ここでも、正しくあろうとすればするほど、馬鹿を見る世界が待っている。
6. 全体を見ることと、「その人」を見ること
結局のところ私たちにできるのは、「その人」一人を見ることと、「その人」と切り離した「社会全体」を見ること、それぞれを分けて考えることしかないのではないかと思う。
カティの目の前にいる少年たちは、「移民」という共通点はあるが、故郷の国も言語も背景も思いも、経済事情も家庭環境も将来への希望もさまざまだ。なごやかに親とビデオ通話できる子もいれば、親の顔を知らずに育った子もいる。
彼らが作る「郷土料理」はどれもバラバラで、他の人たちにとっては初めての味だ。
料理に向き合う姿勢も、プロを目指したいという野望を抱く子もいれば、家庭で包丁を握っていた子、チームでやるのが楽しいから一緒にやっている子、暇だった子、さまざまなスタンスがある。
そして当のカティ自身も、一流料理業界の女性差別を経験してきた被差別者の一人だ。「料理の前では年齢・性別・人種も関係なく平等だ」と力説する彼女の声には、自分がそこで悔しい思いをしてきた経験が滲む。少年たちが国を追い出される姿に、店を追い出された自分が重なる。
同じところがある人でも、一人一人はあまりにも違いすぎる。
だから、全員を一つのオタマですくうことはできない。
一人一人、箸で丁寧につまむようにすくいあげていくしかない。
優しいタッチが必要な人もいれば、思い切り掴まないと持ち上がらない人もいるだろう。その人、一人ずつと自分がどう関わり合えるのか、見極めていくしかない。
相手をすくおうとするとき、自分もまたすくわれている。
そのことに気付きながら、心地よい共同を営んでいくしかない。
そして、それでも押し寄せる理不尽への怒りは、個人ではなく全体の仕組みに向けていく。
社会が変わればこの問題はなくなるかもしれない。
もちろん、それでも間に合わないことはきっとある。社会が変わるのを待っていては、目の前のこの人は救えない…ということもある。
でも、全員はすくえない。それは仕方ない。
誰かをすくえなかったとしても、絶望して立ち止まっている場合ではない。今よりずっと多くの人をすくえるオタマを作ろう。
そしてそのためにまず、「その人」を見よう。
7. 「ウィ、シェフ!」を観よう
不法移民とそれにまつわる問題は、日本にとっても他人事ではなくなってきた。
『ウィ、シェフ!』は2023年のフランス映画。
ここに描かれているのは、日本の少し先の未来かもしれない。

自分が施設長やカティの立場になるかもしれない、その日に備えて。
自分が故郷を追われたとしても、故郷の味を自分で作れるように。
…とかなんとか真面目なことはさておいて、ハートフルなコメディ映画として楽しめばいいし、既に視聴済みの方は、「そういう話だったかなー」と思いながら読んでいただければ幸いです。
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監督のインタビュー、そんじょそこらのプロモーション記事よりもぐっと背景が深くて読みごたえがあります!
主人公カティのモデルになった実在の人物についてはこちらの方がちょっと詳しめ。
