話題になっていたこの記事。
あまりにタイムラインで「面白い」「面白い」言われるので、「そんなにぃ〜〜?」と眉に唾つけて読んでみました。
……。
おもろいやんけ。
要約すると、LINEヤフー株式会社の代表・川邊さんが重度のハロプロヲタで、このレベルの立場が上の人であってもみんなが知ってるメジャーアイドルの推し活から幸福感を得ている、という話。
なかでも「チームでPayPay事業を大成功させた幸福感、ハロプロのライブに行く幸福感とほとんど変わらん」というのはキラーワードすぎた。
1. 推される側でいなければ、という呪縛
を、いつから私は自分にかけていたのでしょう?
別に誰に何か言われたわけでもないのに、いつの間にか推される側ーーーというよりは「作る側」「発信する側」でいなければ、と思っていた。
お笑い芸人さんのトークとかを聞いても、芸人さんの中にはライブやフェスをどんどん楽しむタイプもいれば、他人のステージを見ると「俺、なにやってんねん」「なんでステージ側に立ってないねん」と悔しくなるので観に行かない、という人もいる。
私はこの後者の意見に触れて「それくらいストイックに自分を磨かなければ大成しないのか」と思い込み、あとそもそも世代的に「サブカル/カウンターカルチャーがカッコイイ」ブームに骨の髄までしゅみしゅみにしゅんで(染み込んで)いるので、「自分はイチ消費者に成り下がらないぞ」と意地を張って生きてきたところがある。気がする。(その割にはめちゃくちゃ二次創作オタクとかやっていたので一貫性はないのだが。)
例えば売れてる作家さんがいたとして、それを素直に「すごーい!すてきー!」と思えず「ぐぬぬ」「なんでアイツが」と嫉妬が胸に渦巻いてしまうのも、「軽薄な手法で愚昧な消費者どもに迎合しおって」みたいな、まぁここまで悪くは思ってないんですけどともかく嫉妬心が湧いてしまって流行コンテンツを直視できない、というのも根が通ずる部分があると思うのです。「世界は生産者と消費者に二分されており、いちど消費者の側にまわってしまったら生産者としてやっていけなくなる」みたいな根深い、根っこが。
2. 話題の漫画がくっっっっそ面白かった
そんな根深い根っこを解きほぐしてくれたちょうどタイムリーな体験として、やっとこさ『凪のお暇』を読んだというのもありました。
話題になった当初、序盤を読んで「彼氏がモラハラ&ストーカーで怖すぎる」という理由で挫折したのですが、クライマックスまで無料で読めるキャンペーンをやっていたのでこの機会にと一気読みしました。
……。
面白いやんけぇぇぇぇぇ!!!!
面白いっていうか、ものすごい。ものすごい漫画ですねアレは。まさに「このマンガがすごい!」のその通り。
キャラクターに共感したり鼻で笑ったり、ハラハラドキドキ展開を見守っているうちに、私の胸に湧いてきたのはどす黒い嫉妬ではなく、この世界にこの作品が存在したことへの祝福と、そして新たな作品へのインスピレーションでした。
めっっっっっちゃくちゃおこがましいんですけど、「私が描きたかったことはもうこの作品に描かれてるから、もう描かなくていいんだ」というのが悲しみではなく救いとして入ってきて、「じゃあ、次に私がこの世界に出せる物語はアレなのかも」と思考が次のステップに進む感じ。
既存のヒット作に「先にやられた」ことは「敗北」ではなく、「次の自分のやりたいこと」に繋がっている。
この世界はコンテンツ消費の場所の取り合いではなく、作家たちが知らず知らずにバトンを渡して、次に繋いでいく世界なんだ…と不思議と思えたのです。
3. 「自分の幸福」は「推す側」で満たせばいい
これまで私はいろんな作品を世に出したりステージに立ったり、「作る側」としてやってきたしこれからもやっていきたいですが、かといって「推される側」になるということにはイマイチ乗り切れなかったのです。
「作る」のと「推される」のには大いなる違いがあり、ディレクションとプロモーションの違いとも言えるのかもしれませんが、私は「作品を世に出し続ける」「自分の作品が人に影響を与える」ことに熱意はあるけど「自分が推される」ことには胸躍らない。むしろ恐怖すらある。
ファンレターや応援コメントをいただいた時はすごく嬉しくて嬉しくて舞い上がるんだけど、同時に5%くらいは「次にこの人の期待に沿わなかったら、掌を返されるのだろうか」と胃がキュッとなってしまう。
でも、それを乗り越えて期待に応えて応えて応えつづけなければ「作り手」として成功することはない。きっと世界のスターたちはその期待に応え続けている人なんだ。それをしなきゃ、成功して幸せを掴むことはできないんだ。
と、いつの間にか思い込んでいたように思います。
でもね。
推しのライブ行ってる時点で、PayPay事業つくった人と同レベルの幸福感をもう感じてるらしいぜ。
じゃあもう、アガリじゃん。人生アガリ。
どんだけお金稼いで良い暮らしをして、作品が大ヒットして名声を轟かせようと、自分の推しのライブ行った時の幸福とほとんど変わらないんやもん。
だったらもう、自分って充分に幸福なんじゃないの。
少なくともPayPay事業の会長と同じレベルの幸福感は既に手に入れてるんじゃないの。
それなら私は、推し活で幸せになればいいや。
「作り手」として作品を作ることで幸せになる必要は、もうないや。
作品はあくまで、どこかの誰かのために描くのであって、自分が幸福になるためじゃない。自分は推しに幸福にしてもらって、自分の作品は、自分じゃない誰かのために描けばいい。
万バズしたら次も万バズしなきゃと焦り、出版したら重版しなきゃと焦り、ファンレターが届いたら次ももらわなきゃと焦る…そんな負のループは断ち切ろう。
もちろん「作り手」として活動する中で幸せな気持ちになることはたっっっっくさんある。でもそれは人生のオマケで、その幸福感やドーパミンに依存する必要はないんだ。私には推し活があるから。推し活で充分、幸せをもらってるから。
私が知らないうちに、私の作品が誰かの幸せに繋がっていたらいいな、と思う。でもそれは「私がそのことを実感して幸福感を満たすため」ではなく、あくまで、私の知らないところで。
作り手であるというそのことだけで、既にこの世界のバトンに少しはタッチできているのだから。