これは数年ぶりに会った兄が、変わらずオタクだった話。
私は人付き合いも家族付き合いも好きではなく、ここ数年は引きこもりに徹して家族との交流も絶っていた。
少し気持ちが外交的になってきたので久々に家族付き合いを復活するかなと、年始は母と兄・甥が我が家に集まった。(家族には他メンバーもいるのだが各自の都合により縮小。)
兄はオタクである。そりゃもう、真っ当にオタクである。
私は二次創作や夢小説(意味は各自で調べでください)方面に転んでいったが、兄はもう本当に平成の男オタクど真ん中の、アニメ・マンガ・ボカロ・2ちゃんねる・ニコニコ動画を渡り歩いてきた王道だ。
兄と会うのは4〜5年ぶりだろうか。この間まで幼稚園児だったはずの甥っ子がもう中学生になるというのだから、もっと経つのかもしれない。
久々に話した兄は、変わらずオタクであった。
10代の頃と同じ熱量で2ちゃんねるの名作コピペについて語るその口調は、ネット用語がリアルの会話に侵食しているオタクのそれであった。
私にもオンライン上のオタク友達やコミケ仲間はいるが、女性だからだろうか、こんなにも2ちゃんねるの画面から生えてきたみたいな喋り方をする友人はいない。1人もいない。
(あ、でもちなみに私がついついオタク口調で文章を書く際に一人称が「俺」になってしまうのは、マンガやネット活字を経典としてきたことのシミだと思っている。)
ともかく、こんな純度の高いオタクと接して、なんとも新鮮な気持ちであった。もはや爽やかですらあった。若き風が胸を吹き抜けるような。
当時のオタクたちも歳をとって丸くなっていく中で、社会生活を営みながら、心の中にあの頃の平成オタクを変わらず飼い続けることができるのだ。
兄は普段はまともな社会人をしているし、結婚して子育てや近所付き合いもマメマメしく遂行しているらしい。地域性や子育て事情もあるだろうが、なんとも眩しい真っ当ぶりだ。
普段はまともな人間の皮を被っているからこそ、久々にオタクトークが通じる妹に会って皮が剥がれたのかもしれない。
「こんなオタクオタクしいオタクと2026年にもなってオタクトークをするとは」という新鮮な驚きとともに押し寄せる、ホコリかぶった郷愁。
兄は変わらずオタクだった。
なんだか安心した。
向こうから見れば、数年ぶりに会った妹が、今はリアルアキバボーイズ(RAB)の推し活に勤しんでいる。昔テニプリのポスターを天井に貼っていたのが、今ではRABの推しのポストカードに変わっている。
妹も変わらずオタクだ。
兄は安心しただろうか。