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旅行記エッセイ漫画

【映画】ステキなアリ・アスター、ステキじゃないアリ・アスター『エディントンへようこそ』

遅くなりましたが、見てきました。アリ・アスター監督最新作品『エディントンへようこそ』

 

 


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目次

 

 

1. アメリカ国内映画としてのアリ・アスター作品

という印象でした。

舞台がコロナ禍、アメリカ中南部の地方都市…ということで、全体的に日本人には共感しづらい。

 

コロナのロックダウン、陰謀論、BLM運動、銃社会、先住民保護…など全世界的なトピックを扱ってはいるものの、その温度感やリアリティはやはり国が違えば実感も違う。

 

 

 

 

「フィクションとして過剰に演出している」のか、「そうそう、こういう身近な恐怖があるよね」なのか、受け取り方がむずかしく、アメリカ国内向けの内輪ネタだったのだろうと思う。

監督がいくら世界的(または日本国内での)ヒットを飛ばしたからといって、アメリア国内向けの作品を作っちゃいけないワケはない。そういう作品もあって良い。ただこっちにはわからんというだけで。(アメリカ映画というだけで世界での評価にさらされるの、思えば不運なことですね。)

 

日本人の私にはわからない内輪ネタが延々と続き、しかも2時間強あるもんだから、終盤は尿意の限界。「早く終わってくれ」の気持ちで椅子に張り付いていた。

しかもクライマックスのあとのエンディングが長い。

「ここで終わるのかな?」「あ、後日談があるのか」「そろそろ終わりかな」「まだ後日談があるのか」の連続で、確かにそのおかげで未回収の要素はなく「この登場人物はあのあと、こうなりました」というアフターストーリーがくまなくカバーされていたのだけど、私個人としては残念ながらとにかく早く終わって欲しかった。

エンドロールは見られずに退席しました。

 

 

全体的にエンタメ性がなく、もちろん良い話ではないことは織り込み済みだがそこまで怖いとかハラハラするとかもない、かといって芸術方面に振り切っている訳でもない…どこを楽しめば良いのかわからない作品だった。

口直しのためにそのあとすぐに上映されていた『トレインスポッティング』を初鑑賞して「そうそう、映画ってこうですよ」と思ったのだった。

 

 

2. 《家族》神話をどこまでも疑ってかかるアリ・アスター節

それにしたって、やっぱりアリ・アスター節は炸裂。

 

今回、話としてはあまり面白くなかったことで、私がアリ・アスターに惹かれる彼の作品の素地みたいなものは掴みやすかった。

 

 

彼ってとにかく、「幸せな家族」というものに懐疑的

 

 

『ヘレディタリー/継承』の監督インタビューでも家庭のトラウマというかコンプレックスみたいなものを語っていたと思うが、その感じはどの作品を見てもありありと感じられる。(アリだけn

 

 

本作において、主人公のジョー(ホアキン・フェニックス)は明らかにイヤ〜〜〜〜な家庭で暮らしている。

 

妻と義母の3人暮らし。

義母は陰謀論にすっかりハマり、「気づいて」しまった典型的シニア。義母の陰謀論の布教攻撃を喰らうところから彼の一日は始まる。

 

 

 

 

鬱になって家に閉じこもっている妻は、趣味の手芸や絵画で不思議な生き物をつくっている。これがまた「不気味」と「かわいい」の絶妙なラインで、ギリギリ「かわいい」が勝つかな…という作風。作品をネットショップで販売しており、ジョーは同僚に頼んで購入してもらうのが密かな習慣になっている。

部屋には今は亡き父親の写真がデカデカと飾られており、義母は「お父さんのように立派な保安官になれ」とジョーに圧をかける。

 

 

明らかに不健全な家庭で暮らすジョーが、では物語の結末で、どうなるか。

 

 

ネタバレは避けるが、とにかく上記の全ての状況が一変。

 

 

 

ほ〜〜〜ら、「こうなればいいのに」って思ってたことを全部かなえたよ?

これがみんなの言う「理想的な家族」でしょう????

 

 

 

というアリ・アスターの皮肉全開。皮肉というより当てこすりに近い。

 

 

 

もしアリ・アスターが生まれ育った環境に藤子不二雄Ⓐ先生がいれば、彼がこんな映画を作る必要はなかっただろう…。

 

 

 

3. 要するに『ボーはおそれている』の別バージョン?

周りに振り回される善良なオジサン、トラウマ的な母親、自分を突き落とすファムファタール、主人公の罪とそこに与えられる罰……など、要するに舞台を変えた『ボーはおそれている』の焼き直しじゃないか?

 

www.fusakonoblog.com

 

 

主演がホアキン・フェニックスだからどうしたって比較せざるをえないし、比較をしたうえで「ほぼ同じ」と言わざるをえない。

 

 

しかし私は、圧倒的に『ボーはおそれている』の方が好きだ。

本作は劇場で尿意に耐えて鑑賞し、かたや『ボー』は自宅で悠々とアマプラ視聴したので公平な評価ではないが、どうしたって『ボー』の方が視覚的な楽しさがある。

 

 

 

話がめっちゃヘンテコだとしても、眺めているだけで楽しい。

この映画を見る意味なんてないかもしれなくても、絵が可愛ければそれだけで、その時間は快い。

 

 

思えば、私がアリ・アスターにバチハマりした『ミッドサマー』もそういうことなのだ。

 



 

かわいい!!!

 

 

ホラーなのに、イヤな話なのに、家族を全否定しまくってるのに、なのに見ていたくなる、この作品世界にずっと浸かっていたくなる…。

主人公の最低最悪な「幸せ」が、グッドエンドのように見紛える。

それはもうひとえにこの視覚効果の力でしかない。

 

 

4. 私は、ステキでキュートなアリ・アスター作品が好き

『ミッドサマー』にハマったあと、『ヘレディタリー/継承』を観て期待を打ち砕かれた。

『ボーはおそれている』にヤラれたあと、『エディントンへようこそ』で失望した。

 

どちらも、前者はファンタジックで明るくてチャーミング、後者は暗くて湿っぽくてワンシチュエーション的なのだ。

前者にはどこまでが現実でどこからが妄想なのかわからないフワフワとした非現実間があり、後者は話がソリッドでただ事実を追うだけになっている。

ゆえに前者には解釈や分析や妄想の後付けの余地が残されているが、後者は作品内で描かれたことがそれ以上でもそれ以下でもない。

 

 

アリ・アスター作品に恒例の公式ホームページの「見た人限定の解説ページ」、『エディントンへようこそ』は「ストーリー編」以降なにも更新されていないのもそういうことなんじゃないですか。

 

a24jp.com

 

 

アリ・アスター監督もいろんな作品を撮りたいだろうし、なるべく自由に作風を羽ばたかせて欲しいと思う。

次は私好みな「ステキなアリ・アスター作品」が見れるのか、またしても「ステキじゃない」方がくるのか、はたまた全然違うものが飛び出すか。

 

2作続けてホアキン・フェニックス主演で製作し、どちらもしっかり興行的に大コケしているので次があるのかは分かりませんが、彼の中で「たいへんな目にあうホアキンシリーズ」が構想されていてもおかしくない。次はどんな形でホアキンを困らせてくれるのか、いくらでも見てみたい。(ホアキン、あちこちで困らせられすぎて俳優として心が持つのか心配。)

 

 

次のアリ・アスターを楽しみに待とうと思います。

 

 

 

 

 

 

【見た人用】結末ネタバレ:どこが「理想的な家族」なのか?

まず妻・ルイーズ。彼女は過去の性被害のトラウマを抱えていた。

 

しかしそれを共有できる男性(教祖)と出会い、幸せに結ばれ、性行為に対するトラウマも乗り越えて妊娠までしている。いわゆる「女の幸せ」を全て手に入れたのだ。

 

 

ジョーは、悪い夫ではなかったのだと思うが、優しさの奥に傲慢さが見える性格だった。

彼の「思いやり」の下地には「哀れみ」がある。

 

鬱の妻を気遣って最大限のケアをしているし、困った義母も当たり障りなくあしらっているが、一歩踏み外せば「厄介者」と感じているだろうことは見て取れる。

妻の作品を同僚に購入してもらうのも、「妻を応援する良い夫」と受け取ることもできるが、そうでもしなければ妻の作品は誰にも買われず、また妻も作品が売れなければモチベーションが保てないであろうと思っているのだ。妻の前では作品を褒めておきながら、作家としての妻を完全にみくびっている。「作品が売れない」という壁にぶつかった時、彼女が自分で乗り越え成長するだろうと信じて任せるのではなく、なんとかお膳立てして現状維持が続くことを最善策としているのだ。

 

では新たに出会った教祖の男はそうじゃないかというと、まぁ彼は彼で信用に足る人間かはさておいて、ともかくも映画のラストの時点ではルイーズは幸せそうに笑っていた。

 

「性被害サバイバーが、良き理解者と出会い、その人が人生の伴侶となって、ともに家庭を築く」

 

文章だけなら感動ストーリー風のこのおはなし、要はこういうことですよ。というアリ・アスター、やるよね〜〜〜

 

 

そしてジョーはというと、最後は死んでバッドエンド…かと思いきやそうはならず、なんとか一命を取り留める。

しかし半身不随となって常に介助が必要な状態。体や言葉による意思表示もむずかしい。

 

しかしそんな彼を最後まで放っておかなかったのが、なんと厄介者の義母だった。

どうやら天涯孤独であるらしいジョー。実の家族が他に存在しているという描写は全くない。実の母や兄弟、親戚の陰も皆無。他のキャラクターにはあるていどの「それまでの人生」が感じとれるのに、主人公のジョーだけ、過去が全く描かれていないのだ。まるでこの作品世界に突然ポンと出現した存在かのように。

 

孤独で、友人も理解者もいないジョー。彼を最後まで支えてくれるのは、嫌っていたはずの義母。

彼女のお節介で世話焼きな性格とジョーの状況がぴったりと合って、ふつう娘の元夫にここまではできないだろうというお世話まで甲斐甲斐しくしてくれる。もちろんジョーが地域のヒーローになったので、ファーストレディ的ポジションに居座るための打算もあるのだろうが、しかし人目のないところでジョーを放ったらかし…ということはしない。ちゃんと家族として扱うし、散髪などは外注せず自分がしてあげる。

 

ではその一蓮托生の生活は理想的なものか…というと、散髪中に義母が話す話題は相も変わらず陰謀論。入浴など力仕事な介助をしてくれるヘルパーの男性は、義母の見ていないところでジョーに手を挙げるし、挙句、ジョーの隣で義母とベッドインしている。

 

 

ジョーは、愛と思いやりに支えられた家族や地域社会というものを理想にしていた男だ。

 

 

 

ほ〜〜〜ら。これが君の欲しがっていた「家族の愛」だよ。

 

 

 

 

ドーーーーーーン。