旅するトナカイ

旅行記エッセイ漫画

【映画】『プラダを着た悪魔2』:それでも、私はコレが好き。

見た。

 

見ましたよ。

 

 



 

 

 

 

前作のレビュー記事

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0. まず言わせていただきたい

誰だよ、劇中のいいところで "Suddenly I see" が流れるって言ったやつ。

 

 

 

 

流れねーーじゃねーーーか!!!!

 

 

 

期待しちゃったじゃねーーか!

なんなら劇中ずっと「どこで流れるの?」しか考えてなかったじゃねーーーか!!!

 

 

 

"Suddenly I See" が好きな皆さん。

 

 

"Suddenly I See" は、『プラダを着た悪魔2』に、流れません。

 

 

ご注意を。

 

 

1. ハッキリ言って、駄作

ごめんなさい、はっきり言いますね。

 

 

映画としては駄作です。

 

 

話のあらすじはファミリー向けディズニー映画レベル。ディズニーの物語がダメだと言いたいのではなく、ディズニー的な「お約束の展開」の上をひたすら滑走していく。

「このキャラがあとあと…」みたいなのがあまりにもお約束。観客の予想を裏切ろうとか「今までにない映画を作ろう」みたいな気骨はなく、『プラダを着た悪魔』のキャラと世界観を使って教科書通りのストーリーラインを描いただけ。ディズニーの場合はもはや「お約束を守る」ことにこそ彼らの社会的使命と矜持があるのだと思うが、大人向け映画の『プラダを着た悪魔』がそれをやる必要があるだろうか。(…いや…監督や脚本家のヒネリとか入れたら「うちらはミランダとアンディの『RUNWAY』が見たいだけやねん、脚本家の独創性とか出してくんなや」とゴネるファンたちがいるか…いやしかし…)(ぐるぐる)

 

そのせいだろうか、かつての『プラダを着た悪魔』の印象からは「ミランダがそんなこと言うだろうか?」「このキャラってこんな人だっただろうか?」と思わざるを得ないところが多く、どうもキャラたちが脚本の都合で「動かされている」ようにしか見えない。

 

紙雑誌の衰退、ファッション業界の縮小、社会のファスト化・フラット化・カジュアル化によって「権威」が通じない時代…みたいなテーマは、HBOドラマ『The Bold Type(邦題:NYガールズダイアリー〜大胆不敵な私たち)』でとっくの昔にやり終わった話で、今更それを『プラダ』が焼き直す必要はない。第一『The Bold Type』こそ『プラダ』のオマージュ的作品なんだから『プラダ』が後進のあとを追い直す必要なんてないのに、なぜ今こんなことをしているのか。紙雑誌がデジタル化したって何年前の話をしているんだ、それすらもう10年前だぞ。

 

AIの台頭で云々…みたいな講釈ももういいよ。『コナン』も『トイストーリー5』もみんなAIの話じゃねーか。

 

映像面を切り取っても前作のオープニングシーンのようなハッと息を呑む演出、象徴的なシーンはない。

 

あとアメリカ映画の続編ってのは、どいつもこいつもヨーロッパでロケをしなきゃいけない病気にでもかかってるんですか。

 

 

何か新しいもの、果敢な挑戦があるわけではない(ように見える)のに、なぜ今になって『プラダ』を蘇らせてしまったのか。美しい思い出として棺桶に閉じ込めておくのがアイツにとっても幸せだったんじゃないのか。

 

全くもって映画史に残る作品ではないし、ぜんっぜん、観なくて良い。

特に前作を未視聴とか前作が好きじゃなかったという人には本当に一ミリも観る必要性がない。

 

 

 

 

でも、それでも、私はこの作品が好きだ。

 

 

 

 

2.それでも、この作品が好きだと叫びたい

ミランダが、アンディが、イキイキと仕事をする姿を見るのが好きだ。

 

最高の美を追究するミランダが好きだ。

 

アンディの、ミランダを見る憧れの目が好きだ。

 

自分のなかにある正義にたいして誠実であろうとする、その姿勢を貫く彼女らの行動原理が好きだ。

それを誰かが見てくれていて、どこかで報われる物語が好きだ。

そんな希望の光をこのままならない世界にもたらしてくれる『プラダを着た悪魔』が好きだし、私にはこの作品が必要だ。

 

 

「こんなことをしていて、何になるんだろう」という暗いモヤが自分の頭を鈍らせ足に絡みつく、そういういくつもの夜がある。

 

でも自分で自分の仕事に納得したい。自分のやることに腹落ちしたい。

ぜんぶかなぐり捨てて時代に迎合する、金に平伏す、そういう生き方をできる私たちではない。

ただ、誠実でありたい。正しくありたい。自分が憧れたものに忠実でありたい。

 

それは「憧れを抱いていた、あの頃の私」を救うことだから。自分を曲げてしまうことは、昔の自分を裏切ることになるから。

 

 

それで、いいんですね。いいんですよね。

この作品はそう信じさせてくれる。

 

 

この不安定で不透明な時代に生きるアラフォーの私たちに、「それでいいんだ」「これからもそれでいけ」と、ミランダが微笑みかけてくれる。

 

 

3. ただしお仕事映画ではない

とはいっても、残念ながらどストレートな「お仕事映画」ではないです。

 

『プラダを着た悪魔』『マイインターン』に労働意欲を支えられ、いまNetlix『エミリー、パリへ行く』がその後を継いでくれるかと思いきや完全に仕事を舐めくさっててどいつもこいつも恋愛脳であることに愕然としてコンテンツ迷子になっている、そんな私を慰めてくれる待望の労働讃歌…ではなく、まさかのドタバタサスペンスでした。

 

もはやアンディも私たちもアラフォー・アラフィフになって「上司から言いつけられる無理難題をがんばってクリア!」みたいな立場ではなく自ら案件を回す側になっているので、どうしても汗水垂らしてがんばる単純労働として映像にしづらいのが障壁なのでしょう。ミランダ&アンディが会社員としてのピンチをどう切り抜けるか!?こいつは味方か、それとも敵か!?というサスペンスものでした。

 

さすがに前作同様テンポ感はいいのであっという間に見れちゃうし楽しめるけど、正直「お仕事映画」の金字塔だった前作の令和アップデート版続編というよりは、同じシリーズのスピンオフ作品…ってくらい畑が違う。

今後、どういう気持ちで本作を見返したいと思うのだろう…「内容を確認したい」以外の理由でこの映画を見返すことがあるのだろうか…と、ちょっと疑問。

 

私のコンテンツ迷子はまだ続くようです。

 

 

4. エミリーファンは必見

この映画を見るかどうかずっと悩んでいた先週までの私。

 

 

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「エミリーが出るなら観る」と言ったな。

 

 

観ろ。

 

 

エミリーのその後が観れるから。

 

なんならエミリー映画だと言っても過言ではないから。

 

 

 

5. 観た人向け、ネタバレレビュー

以降は、観た人向けのネタバレありのレビューです。

未鑑賞の方はご注意ください。

本当に本編を楽しめなくなるくらいのネタバレをしています。

 

目次でネタバレしないように見出しリンクをつけないので、読みづらいかもしれませんがご了承ください。

 

 

1. 女たちとって都合の良い少女漫画世界

改めて観ると、『プラダ』ってマジでアンディにとって都合の良すぎる世界すぎる。

もはや少女漫画。ほんと少女漫画。

 

まず、出てくる男たちがことごとく女たちにとって都合が良い。都合の良さに拍車がかかっている。

 

ナイジェルはとにかくミランダに心酔していて侍の如く忠実、ぜったいに裏切らず最後まで都合の良い存在。

 

新キャラピーターもアンディにとって都合が良すぎる優良物件。「不動産よりジャーナリズムの方が尊い」みたいな職業を貶す発言をしたにもかかわらず完全に水に流してくれる。ちょっとは嫌味を言われるくらいの罰はアンディも受けたっていいが、それもしない。

 

ミランダの夫も、ミラノに駆けつけて常にミランダの側にいてくれる永遠の彼くん。だというのにミランダは夫との平穏な余生よりも相変わらず仕事を選ぶ。

 

トラブルの種になった社長の息子やいけすかない成金も、最終的には全員がミランダとアンディの望むとおりに手を打ってくれる。

 

 

 

そして最後に残るのは、一切、男たちに邪魔されない、女たちの楽園。

 

 

 

…なんかもう、すごいな。

前作ではもうちょっと男は都合の悪い存在だったぞ。

まぁそりゃ、時代も変わって「男に振り回される女」という人物像が作品に合わなさすぎるのは分かるけれども。それにしたってこんなに女に都合が良くていいんですか。

 

 

まあ、私は女だからいいけど。

 

 

 

2. 結局エミリー、全部がエミリー

この映画の副題って「エミリーの逆襲」だったりしました?

 

ってくらい、エミリー。今回はエミリー。

 

 

もうエミリーの物語を描くために、ミランダやアンディという舞台装置があったとすら言っていい。

 

 

2-1. 秀才だけど天才じゃない

クライマックス、ミランダに突きつけられるエミリー。

 

「あなたは美人で賢いが、ビジョンがない。」

 

 

そうだよ。

 

その通りだよ!!!!!

 

 

あるていど仕事ができても、成果を上げて評価を受けられたとしても、でも自分には圧倒的に資質が足りない。

先見の明とか、カリスマ性とか、オリジナリティとか。

それがないから、私は永遠に使われる側。使う側、産む側、創る側になれない。

 

 

たとえ自分の能力をフル活用して「自分が望むポジション」は手に入れられたとしても、自分には「時代を作る」ことは絶対にできない。

 

 

そんなことは分かっている。そしてそれが努力によって身につけられるものではなく、いまさら開花する可能性がゼロであることもこの歳になれば分かりきっている。

 

 

でも、この業界が好きだから。

このうごめく生き物の細胞のひとつでありたいから、この世界を諦められない。何かの形で関わっていたい。

 

 

そういう「敗残兵」がエミリーなのだ。

全ての業界にいる何千何万のエミリーたちが、会社を、社会を回しているのだ。

 

ミランダは伝説で、アンディは少女漫画の主人公。私たちが共感するとしたらエミリーしかおらんやん。

 

 

2-2. 女友達がほしかった

私ごとだが、今回の鑑賞はひょんなことで急に実現した。

たまたま食事していた友人に世間話の一環で「『プラダを着た悪魔2』興味ある?」と聞いたら、なんとそのままレイトショーへとなだれこむことになったのだ。

 

前作の内容がおぼろげだという友人に「ラストでケータイを噴水に捨てていた」という話をしたが、それがまさかこんな形で伏線回収されるとは!!!

 

序盤、Dior新店舗でお互いの近況報告をするシーン、私は「私が知ってるエミリーならアンディのこんな世間話に付き合わないけどな」と不服だった。それこそ「観客に対する説明セリフ」だと思って鼻白んでいた。

 

しかし相手は『プラダを着た悪魔』。

 

私よりも数段、うわて。

 

 

 

エミリーは、ずっと、アンディと友達になりたかったのだ。

 

 

 

それなら、やたらとアンディに対してサービスの良いエミリーの態度にも納得がいく。

 

 

ちなみに私はそんなことはすっかり忘れていて、エミリーの「私はあのあと電話したのよ」というセリフに「ほえ????電話したなら着歴が残るのでは??????」ととぼけていた。観終わってから友人に「携帯のこと聞いててよかった!噴水に捨てたから2人はすれ違ったんだね」と言われてやっと気づいた。

 

 

もうさ、ツンケンしたネコ系と感情優位の犬系の友情とか鉄板すぎて「こんなんなんぼあってもいいですからね」の世界。

 

 

2-3. 同じ釜の飯の仲間

ミランダ&アンディが迎えた最大のピンチの黒幕はエミリーだったわけだが、それなのにラストでエミリーとアンディは何事もなかったかのように友人同士になっている。

 

かたやミランダに変わらぬ忠義を尽くしたアンディと、かたやミランダの寝首をかこうとしたエミリー。

その2人が果たして和解できるものだろうか。

 

 

それができるのが、「ミランダへの憧れ」という固い固い結びつきなのだ。と思う。

 

 

たぶんアンディにもエミリーの気持ちが分かるのだ。ミランダの後を追いたいという気持ちが。『RUNWAY』編集長の座を欲する気持ちが。

 

なにより、ミランダにどれだけ意地悪されても、2人だけが知っているミランダの魅力が。

 

 

はたから見れば「ストックホルム症候群」と言われてしまうが、そうじゃない、そうじゃなくて私たちは心からミランダを信じているんだ…という言葉にならない信念。言葉にする必要がない2人の関係性が、2人にとってはかけがえのないものなのだ。

 

 

私の新卒時代にも、同じ釜の飯を食った友人がいる。価値観も性格もまったく違う子だが、「あの頃を一緒に乗り切った」というその事実だけで、塗り替え難い友情を焼印のように焼き付けられている。

 

 

エミリーはアンディのようにはなれなかったし、アンディはエミリーのようになれなかった。

でも、私はあなたであなたは私だという双子同士のような感覚が2人を繋ぎ止める。

 

 

アンディにはエミリーのような友達はエミリーしかいないし、エミリーにはアンディのような友達はアンディしかいない。

それゆえ2人は永遠に、友達であり続けるのだろう。

 

 

2-4. 炭水化物はシェアすればゼロ

名言すぎる。

 

「女友達とは」を一言であらわすなら、これじゃん。

 

私は女友達との付き合いが苦手だ。何時間も十何時間もひたすら「喋る」だけに費やそうとする。何をそんなに喋ることがあるんだ、究極的に言えば私はあなたに興味はない、帰って映画見てブログ書きたい。ならばと映画に誘ってみたら映画の時間は純増で十何時間のお喋りは別途上乗せが必要、とくる。でもその子のことが嫌いなわけではなくしっかりと好きだし、いざというときに助け合い支え合える友達同士ではいたい。ただ、その関係性を維持するためのこまめなグルーミング行為のコストがあまりにも高い。行きたがる店もたいてい高い。

 

 

しかしこれは「喋る」ことに意味があるんじゃない。「シェアして、ゼロにする」ことに意味があるんだ。

 

 

こんな高くて美味しいもの、食べていいのかな…。

こんなハイカロリーなもの、食べたら太らないかな…。

家にはやることが山積みなのに、外に出てきていいのかな…。

 

 

女性は、生きていると無限にその悩みがつきまとう。男性にもあるのかもしれない。

 

 

「でも、シェアすればゼロだから」。

その言い訳を自分に与えるために、自分が自分の人生を楽しむことを自分に許してあげるために、女は友達に会うんだ。

 

友達と一緒なら、カロリーをゼロにできる。

今週毎晩のように堂々巡りしていた悩みも、思い返してははらわたが煮えくり返るような嫌な出来事も、「どうしてこう私って」という自分への失望も。

ぜんぶ、ぜんぶ、シェアすればゼロにできる。

そして美味しい楽しみは倍にできる。

 

 

だからみんなあんなにも、友達と遊ぶ予定に本気なのか。

食べたいもの食べて、見たいもの見て、行きたいところに行って。それこそ人生なんだから。

 

 

ずっと自分の中でぐるぐるしていた「女友達」問題に、スコーーンと横から殴られた気分。

私も、シェアすれば良かったのか。関係性ってギブ&テイクだと思ってたけど、そうじゃなくて、シェアなんだ。

 

 

(この映画を一緒に見てくれた友人は、以前も「1人で観るのは怖い」という映画に付き合ってくれた人だ。私たちも最初から、シェアしていたのかもしれない。)

 

 

3. ミランダという人間

これについては今回、私はまだ掴みかねている。

「さらに歳を重ねたミランダには、私の知らない様々な一面がある」と見ればいいのかもしれないが、どうしても「脚本のために動かされてないか」という疑問が抜けない。要は解釈不一致なのだ。公式との解釈不一致ほど、ファンにとって不幸なことはない。

 

私は、ミランダにアンディのこともエミリーのことも覚えていてほしくない。掃くほどいるアシスタントたちを、ほんとうに取るに足らない存在だと思っていてほしい。(そうじゃないと「誰? 私の知ってる人?」っていうトボケは寒すぎないか…。)

 

もし本当は覚えていなくて「あなたは〇〇な人間だと分かってた」みたいな発言も特に意味なくなんかそれっぽく言うてるだけ、みたいなことだったとしたら、それはそれで「なんで興味のない見下している人間と会話する必要があるの?」と思ってしまう。

 

いうてミランダも孤独だし歳も歳だし、喋り相手を必要としているとか前ほどツンケンする必要がなくなった、ということなら分からんではない。

 

「伝説的な人間の予後」というのは、描きづらいものである。

それゆえ昔の映画作品は、伝説的な主人公たちをあっさりラストで殺してきた。ロックスターたちがヨボヨボのお爺さんになるのは見てられないからだ。

殺されなかったミランダは、伝説ではなく人間になり、「ミランダ」というアイコンを崇めていた私にとっては理解しがたいものになってしまっていた。

ミランダがたどたどしく操作するスマホは文字サイズが「最大」に設定されているのだろう…とか思うとつらくて仕方がない。

 

 

それは私の期待しすぎで、むしろ前作の方が神格化されすぎていて、今作で描かれたようにしょせんミランダも会社や広告主には逆らえない社会の歯車でしかない、という描き方のほうが観客に誠実なのかもしれない。

でもだとしたらやっぱり私は、棺桶を開けないでもよかったのではと思ってしまう。

 

 

4. ナイジェル、それでいいの?

いつまで『プラダ』はナイジェルに甘えるのか…?

 

前作のナイジェルは『RUNWAY』の中でもスターもスター、ミランダの次に業界を動かせる権力者で仕事人としても一番脂のノっている時期だったので、物語の中でアンディをフックアップしてくれる「都合の良いお助け役」ではあれど「力のあるスターが、愛のある厳しさで新人に手を差し伸べる」という構図にはカタルシスがあった。

 

 

でももうさ…ナイジェルも歳よ………???

 

 

いい歳した子供が、いつまでも親だと思って高齢者の母親に力仕事を丸投げしているような、そういう居心地の悪さが私にはあった…。「私がやるから座ってて」という思いやりが、そろそろ必要な年齢なんじゃないのか…。

これは私が『教皇選挙』を観たせいで、ナイジェル役のスタンリー・トゥッチを「お爺ちゃん」枠に入れてしまってるのだろうか…? でもやっぱ、20年前の覇気はさすがに無くない? もうちょっとゆったりシニアとしてのキャリアとポジションを確立してて欲しくない??

よく介護漫画とかで見る「いや、自分の親がボケるはずない!!」と親の衰退を認めることができないアラフォー・アラフィフの子供、みたいな構図を製作陣に見てしまった気がする…。「親父の背中って…こんなに小さかったっけ…?」という気づきが、必要だったのではないだろうか…。

(そういう意味で「ミランダがコートを自分でかける」という描き方も、「あのミランダがねぇ…」で終わらせたのは残念だった。鬼上司である以前に、体が不自由になってきた高齢者への対応としてアンディがミランダを身体的にサポートする場面が一度くらいはあっても良いんじゃないのか…アラフォーにもなれば既に自分の身体の不調だって感じてきてるだろうに…。)(まぁでも、ミランダやナイジェルを高齢者扱いしたらさすがにファンも冷めるか。)(いやだから棺桶を開けるなと…)(ぐるぐる)

 

功労者ナイジェルへのご褒美とばかりに最後にスピーチを任されるって、名誉なことなんだとは思うけど…なんかまた「都合よく使われた」だけのような…?

あの時のナイジェルの笑顔で、ナイジェルにはナイジェルなりに、100万回嫌なことをされてもミランダに着いていく彼なりの思いがあるのだろう…と察することはできたけど、でも「アンディに気づかされてミランダはナイジェルの扱いを改め、ナイジェルはやっと報われました」ではなく、むしろ「美しい現状維持」しかこの先には待ち受けていない気がする。

 

 

5. 美しい現状維持

そいう意味では、この映画は全てにおいて「美しい現状維持」の映画だった。

 

この時代の何も塗り替えないし、この『プラダ』の世界に新しいものを投下しない。

 

アンディにとってはやっぱり『RUNWAY』は踏み台であり、ミランダに忠誠を誓うことはない。

ミランダはミランダのままだし、エミリーはエミリーのまま。

 

あれだけ奔走して解決したのも「今回の予算カット」というイチ事業年度内のピンチでしかなく、決算を経た来期にはまた全く同じピンチが訪れることが分かっているし、確実に『RUNWAY』が縮小後退していくことは時代が決めている。

そこがなにか根本的に解決するというほどのことはなく、ただ今月はミランダがミランダのままで、アンディがアンディのままであり続けられた、その瞬間が見れただけ。

 

20年来に会った勤め人の友人に「最近どう?」と聞いて、「毎年、役員たちからは予算のことでいじめられるけどね。なんとかやってるよ」という近況報告を聞く。2時間お酒を飲んで、帰り際に「変わってなくて安心したよ」と言い合う。

そういう感じの映画だった。

 

 

6. 成功した友達はブランドバッグで喜ぶのか

アンディのブランド品おこぼれに預かる大学時代からの友達、ファンにとってはここの関係がまだ続いていて、失職したアンディを助けるのは結局この友情だったというのも胸熱でたすかる。

しかしさすがにもうブランドバッグは自分で買えるのではないか…?と思ってしまっ……

 

…いや、高級ブランド品を友達からプレゼントされたらそりゃ飛び跳ねて喜ぶか。

 

 

7. アジア人の女の子

SNSで炎上していましたが、中身を見るとそういう感じでもないですね。

いやステレオタイプすぎるといえばその通りなのですが。

ちょっと「んん?」という感じの新キャラがそのぶっ飛びぶりを活用して思わぬ活躍を見せ、最終的には頼りになる良い部下に…なんていうのはあまりにも定番の展開。そこにメガネのアジア人を持ってくるというのも見覚えがあるし意外性はない。

「オリジナリティ、ゼロかい」というツッコミなら当てはまるが、あのプロモーション映像に関しては、ま、切り取るところがアレだったね、という感想です。

 

 

『ズートピア』でナマケモノの役所シーンがプロモーションで大ウケしていて、ああいうことをしたかったんだと思うけど、リアルの人間でやるのは違ったね。

 

 

8. 水色のセーター

最後に、前作で着ていたような水色のセーターを着てミランダのオフィスを訪れるアンディ。

 

それを気にも留めずに「Go」とあしらうミランダ。

 

ただのファンサービスですが、そのファンサ、しかと受け取りましたよ。

 

 

9. 結局、ドレスのシミはどうなった

パーティで肉片をこぼしてしまったドレス、ちゃんと汚れが落ちたのか気になって眠れない。

 

 

10. 双子が心配

全く登場しなかったけど……。

 

 

ミランダの双子の娘たち、やっぱり、普通に予後が悪いのではないだろうか………。

 

 

 

 

以上です。