旅するトナカイ

旅行記エッセイ漫画

【映画】『ウィッシュ』:100周年記念、ディズニーファン感謝祭

ディズニー100周年作品として注目されているものの、いまいち評判を聞かない『ウィッシュ』

 

 


Disney+が高くて退会してしまった身としては一生観ることもないだろうし、まぁ観なくても良いだろうな…と思っていたのですが、飛行機の機内エンタメで消去法で選ぶという偶然に恵まれたので観てみました。

 

結果、号泣。

 

 

最高やないか。

 

 

いや、正直ね、作品自体はやっぱパッとしない。「え、100周年に、こ、これなの…?」という動揺も分からなくはない。

しかしディズニーアニメと共に育った私は、この不確かな時代を照らす、ディズニーからの熱いメッセージを受け取りました。しかと。受け取りました!!!


※物語の重大なネタバレを含みます。
※ディズニーマニアとは言えないいちファンの感想なのでお手柔らかにお願いします。
※感動の勢いで涙と鼻水をぶちまけながら書いた感想文なので事実誤認があったらすみません。

 

目次

 

 


1. 100周年でまさかの市民革命の話

…なの?って思いました。
そうなんです。
『ウィッシュ』は、市民革命によって独裁者を討ち破る話なのです。

 

舞台は地中海の架空の王国、ロサス王国。
平和なその国はマグニフィコ王が魔法によって治めていました。
彼は争いや悲劇を憎み、人々が豊かに平和に暮らすためにその魔力の全てを捧げます。国を守るためならなんだって厭わない…そんな献身的な王なのです。

そしてこの国では18歳になると国王に「願い」を預ける儀式に参加できるようになります。国王に自分の「願い」ーーミュージシャンになりたいとか空を飛びたいとか何でも良いのですーーを託し、本人はその「願い」を忘れてしまう。あとは国王が魔法でその願いを叶えてくれます。
ある意味、夢や邪念を捨てて王に託すことで、平和な日々の暮らしに集中できる…それによって内政が保たれていました。

 

国民たちは無邪気に、このシステムになんの疑問も抱いていませんでした。
主人公アーシャもその一人。
国王の弟子候補生の面接のために、ドキドキで国王に謁見します。

しかし彼女が知ったのは、国王の裏の顔。彼はそもそも、国民たちの願いを叶える気なんてなかったのです。
さらにはアーシャの祖父の夢「歌で人々を鼓舞すること」を、「その夢は危険だ」と切り捨てます。

善良な市民の「願い」を、権力者の一存で「危険思想」扱いされてたまるか。
その人のアイデンティティ、存在そのものとも言える「願い」を検閲され、押収され、握りつぶされてたまるか。

アナは偶然出会った「スター」の魔法の力を借りて、国王から、市民たちの「願い」を解放すべく奮闘します…。


そう、要するに独裁政権に怒る市民革命の話です。
確かに現状のシステムで上手く回っていることもあるのかもしれない。国は平和に保たれているかもしれない。
しかし個々人の意志の力や夢をみる権利を奪われて、その上に成り立つ平和なんてくそくらえだ。だってその願いが叶った時、世界は今よりももっと良くなる可能性があるのだから。
夢を見なければ、今よりも良い明日を迎えることはできないのだから。

 

 

2. 施政者の悲哀

…でもね、この歳になると分かる。

 

 

子どもが政治に口出しすんじゃねぇ〜〜〜っ!!

 

 

そりゃ理想論を言えばそうかもしれないよ、国民を欺いている部分はあるし後ろめたいところもあるよ、でも世の中ってそう甘くないから!!政治ってそう簡単じゃないから!!
あなたの言う「個々人の意志」を尊重したら、人は殺し合ったり憎み合ったりするの!外交を邪魔したりするの!人間は愚かで脆い生き物なの!歴史がそれを証明しているの!!一番の悲劇を避けるために俺(国王)が頑張ってるの!!!


しかしそんなの誰も理解してくれない、この平和は国王が防波堤になっているからこそ保たれているのに、そのことは評価されない…。どうして会社って新システムの導入には予算を出して評価をつけるのに、保守点検は一切省みずコスト扱いするんですか!?(泣)

……そう、大人になると国王の気持ちもめちゃくちゃ分かってしまうんです。

 

そりゃディズニーの人たちだって大人だし、そのくらいは分かってる。


分かった上で、100周年のディズニーのメッセージは「それでも、権力は倒されなければならない」。

 

 

3. ディズニーは常に、弱き市民の側に立つ

「子どもは黙っとれ」なんて言い出したら、ディズニーの作品全てがそういう話なんです。

純粋無垢で善良で正義感に溢れるヒーロー/ヒロインが、その意志を貫き権力を打倒する。
社会的弱者である子どもたち、抑圧されている女の子たちが、立ち上がり、上のものに「NO」を突き付ける。

 

ディズニーは平和だとか外交だとか国家運営だとか、そういう「大人の世界」の話をしたいんじゃない。

なんの力もないように見える弱き者が希望を持ち、時には打ち砕かれ、涙し、それでもまた立ち上がり夢を叶える。

そのことを応援する。

その者の側に立つ。

 

そりゃ独裁者にだってヴィランにだって「願い」はありました。その願いが主人公の願いと比べて正しいかどうかをジャッジするのは、それこそこの国王と同じく野暮というもの。

どんな願いであっても、その中身は関係ない。

力のある者は自分の願いを叶えやすい。相対的に力がなくて願いを叶えるチャンスに恵まれない弱き者、力のない市民、この物語を観ているあなたたちの側にディズニーは立つ。

 

そのことを『ウィッシュ』を通して表明したのだと私は感じました。

 

 

4. 音楽の力を信じている

ディズニーと切っても切り離せないのがミュージカル
ディズニーが苦手という人の中には、「急に歌い始める」ミュージカル調が受け付けないという人もいるのではないでしょうか。

 

「急に歌い始めるなんて変」というツッコミに対して、ディズニーは『魔法にかけられて』でセルフイジリもしています。

その上で、「じゃあ今後はどうするの?」となった時に、やっぱりミュージカルであり続けること、歌い続けることを選びました。

 

2次元のプリンセスが現代ニューヨークにタイムスリップしてしまい、現代人たちに白い目で見られる話。

 

それは「キャッチーなテーマソングがある方が売れる」「楽曲がスタジオの資産になる」といったマーケティング的な側面も大いにあるのでしょうが、あえて夢物語的な話をすると、やっぱりそれは「音楽には力があるから」だと思うのです。

 

歌を愛する人、合唱や合奏を愛する人なら分かるのではないでしょうか。
歌を歌うことで力が溢れること。
悲しみが癒やされること。
他者と心が一つになること。

ディズニーは、そんな歌の力、音楽の力を信じている。


『ウィッシュ』の主人公アーシャは、物語のヒロインではあってもこの世界のリーダーではありません。
国中がピンチに陥った時、彼女にできるのはか弱い声で歌を一節口ずさむことだけ。
けれど、その一押しがあるからこそ、人々は歌い出せる。声を上げられる。

別スタジオ作品ですが『SING』という作品でも、引っ込み思案な女の子が、ステージでひとたび歌い始めてしまえば、あとは音楽が自然と流れてくる…そんなシーンがありました。

 

音楽は、最初の一音を鳴らすだけでいいんです。
そうすれば、同じ音楽を心に持つ人々の間で自然と流れ始めるから。
それは人の数だけ増幅し、心を動かし、体を動かすから。

 

人類があるところに音楽はあった。
その音楽によって人の心が動くこと、人の行動が変わることをディズニーは信じ続ける。
だからディズニーはミュージカルアニメであり続ける。

 

国王が最初に否定した「願い」が「音楽で人を鼓舞する」という、まさに音楽そのものだったことは象徴的です。
アートを、表現を、音楽を施政者に奪われてはならない。冷笑的な社会の声に萎縮してはならない。

 

子どもたちがディズニーソングを口ずさむ限り、ミュージカルはディズニーによって守られ続けるでしょう。


(武力でも魔力でもなく、あくまで歌によって増幅された「意志の力」で力比べするというのも、ジョジョ以降の少年マンガっぽくて胸熱です。)

 

 

5. ルッキズムからの脱却

ロサス王国の国王は、『白雪姫』の魔女を引用して「世界で最もハンサムな俺」を強調します。
国民たちから自分の働きを評価されない鬱憤が「こんなにハンサムな俺」というナルシシズムに拍車をかけ、彼は殻に閉じこもり闇堕ちしていく。(「愚かな国民たち」に理解されない政策を強権によって押し進める、見かけのハンサムな施政者…人によって頭に浮かぶ人物がいるんじゃないですかねぇ…。)

 

一方、主人公のアーシャはというと。
これまたスレンダーで「結局はヒロインも美人やないかい」と言いたくなるのですが、ヒロインにしてはいまいち華がない。

 

歴代のディズニーヒロインたちは、大きく二つのタイプに分類されると私は思っています。
カリスマ性を持ち、高貴で近寄りがたい「猫系」ヒロインーーエルサ、ジャスミンなど芯が通っていて行動力のある女性たち。
無邪気で素直であどけない「犬系」ヒロインーアナ、白雪姫など、子供の純真さを持っていて自然と王子様との恋愛にも発展するタイプ。

 

さてこのアーシャはというと、いまいちどちらでもないキャラクター。
冒頭は「犬系」のおっちょこちょいで天真爛漫タイプなのですが、物語が進むにつれてどんどん顔つきが変わっていく。かといって、市民を引っ張り国王を打倒するほどのリーダーシップやカリスマ性を放つわけでもない。(全体的に「アーシャは良い子だから」という理由だけで周りの人たちがついてくる感じで、「なぜみんなアーシャに説得されたんだ…?」という違和感があります。)

 

なにより、アップになった時のアーシャが絶妙に可愛くない。
引きで見れば「いつものディズニーヒロインの美人ちゃん」なのですが、顔が大写しになると今までのディズニーヒロインたちの「有無を言わさぬ美」みたいなものがなく、なーんか力の抜けた頼りない普通の女の子って感じに映るのです。エルサやアナみたいな「こんな子に憧れる!」という説得力が彼女にはない。

 

でもそれは、作者が意図的にしたことではないかと思うのです。

今回の主人公は、昔のディズニープリンセスのような絶世の美女でもなければ、新ヒロインたちのようなカリスマでもない。
ただの、普通の、10代の女の子なんです。

 

そしてその子が全てを解決するのではない。
その子によって焚き付けられた市民たちーー障がいをもつ人(アーシャの一番の理解者は松葉杖をついています)、チビ、デブ、のっぽ、トンチンカン、白人も黒人も黄色人種もーーあらゆる見た目のあらゆる能力の人たちが、それぞれに同じ「願い」の力を持つことで社会が変わる。

 

ディズニーにとって「ダイバーシティ」とは何か。

いつまでも美人ヒロインで、白人ばかりが主体となっていたディズニーの考えるこれからの多様性とは何か。

それは、全ての人が「願い」を叶える権利があるということ。
一人ひとりの「願い」の力でこそ社会は変わっていくべきだということ。

 

最後に「見た目の良いヤツに騙されるな」という皮肉すらぶち込んできました。ルッキズムに対する明確な「NO」であり、現実の女の子たちが王子様役に対してずっとうっすら思っていたことを代弁してくれました。
それはそれで見た目の良い人が不憫だとも思うのですが、まあ、2024年時点のステートメントだと思って、この意志が「正しいものかどうか」は後の時代に判断してもらいましょう。

 


6. 女性の地位向上

ヴィランを退治すればものすごい勢いで問題が収束していく」というのもディズニーあるある。
(国民が支持してきた国王一人を悪役に仕立て、それを撃退することで一件落着とするのはちょっとモヤる部分もありますが…でも市民革命ってそういうモンですしね。)

 

国王が打倒され、じゃあ次に国を治めるのは主人公アーシャ…?かと思いきや、まさかの女王。
けっこう仲睦まじい夫婦だったのに国王に対する情とかないんか…と背筋が凍りましたが、しかし政治の世界とはこういうものでしょう。敗者に情けはかけられない。

 

この王家に世継ぎがいないことも気になっていたのですが、それはこの結末のためだったのでしょうね。
息子が産まれていれば当然、息子が次期国王です。娘ならば、他国から王子を迎えるでしょう。
子どもがいる限り女王(母親)が施政者になることはあり得ない。あり得なくはないけど、設定をこねくり回さないといけないので面倒くさい。

もう女性は「家族を陰で支えるファーストレディではない」ということです。

 

国王(男性)から女王(これまでサポート役を担っていた女性)への華麗な権力交代。
それを国民たちは特に疑問を持つことなく「そういうもの」と受け入れる。


少女たちに向けた作品を生み出し続けるディズニーは、常に女性のエンパワメントを担ってきました。
「女性がトップに立つことが普通なんだ」。
それがこれからのエンパワメントなのかもしれません。

 


7. 魔法の力を信じよう

では、主人公は今後どうするの…?と思ったら、なんとスターから魔法の力を授かり、魔導士として旅に出るのです。

 

そう、この物語は「ディズニープリンセスの物語」ではなく、「ディズニーの魔法使い誕生の物語」だったのです。

 

シンデレラがせっかく仕立てた舞踏会のドレスを継母たちに汚され、絶望した時、そこに現れる魔法使い。
ピノキオが人間になりたいという夢を抱いた時、そこに現れる魔法使い。
性根の曲がった王子を叩き直すため、野獣の姿に変えてお灸を据えた魔法使い。

 

ディズニーは魔法の力で、子どもたちを導きます。
たとえ辛いことがあっても、魔法みたいに夢が叶うことがある。
悪い心を持っていると、魔法の力で懲らしめられることがある。

 

善良な弱き市民に、魔法で願いを叶える力を与えるディズニーは「夢と魔法」そのもの。

夢を見させてくれて、魔法を信じさせてくれる存在。
『ウィッシュ』の主人公が担ったのはそんな役割でした。
それこそが、ディズニーが担ってきた役割でした。

 


8. ディズニーの原点は「星に願いを」

この混沌とした時代に、明確なメッセージを打ち出すことは難しいものです。
何を言ったって「そうじゃない誰か」からの批判を浴びて、その批判が増幅し炎上したりするのだから。
企業は常に価値観をアップデートして、時代の流れに先乗りすることを求められる。

 

ポリコレの波によってこれまでの作品を見直してきたディズニーは、その荒波の先頭にいると言っても過言ではありません。

そんなディズニーが、100周年に「これだけは変わらない、変わらなかったし、これからも変えない」と言えることは何か。

 

それは「星に願いを」

 

数あるディズニーの名曲の中でも、ディズニースタジオのアイコンとして使われてきた楽曲です。

 

When you wish upon a star your dreams come true

 

星に願えば、夢は叶う。

 

それだけは言える。
逆に言えば、それしか言えない。

 

きっと誰かの願いが叶う時、誰かの願いは破れるでしょう。
力関係はシーソーゲームで、全員が同時に幸せに、世界中が平和になることなんて不可能でしょう。

 

でも、願う権利は誰にでもある。
そして叶える力も誰にでもある。

 

それがたとえ、争いに繋がったとしても。
混乱の時代に繋がったとしても。
それはこの世界が今より何か変わるための摩擦でしかない。摩擦を恐れて、願うこと、叶えることを諦めてはいけない。

 

星に願いを唱えよう。
そしてその願いを叶えよう。

 


今まで何十年もディズニー作品と共に生きてきた私は、そのメッセージに胸打たれました。

歳とともに、ディズニー作品から離れたり、課金できなくなることもありました。
でもディズニーは、私たち「ディズニー作品で育った少女たち」のことを忘れていなかった。
今の価値観では否定されるであろう過去のプリンセスたち、ヒーローたち、そして悪役ながらも愛すべきヴィランたちのことを忘れていなかった。
私が慣れ親しんだキャラクターたちがずっと投げかけてくれたメッセージを、今も変わらずディズニーは投げかけてくれる。

 


どんなことがあったって、願うことを忘れないで。夢見る気持ちを忘れないで。

 


ディズニーはこれからもきっと変わっていく。私が受け入れがたく感じる作品もきっとある。
でも、この想いを私はしかと受け取りました。

ディズニーと一緒に歌える歌が、これからも私にはたくさんある。

 


9. VHSでディズニーを見ていたあなたへ

これだけの熱量と涙と鼻水をもってしても、やっぱり最後に「でも100周年記念作品として、もっと他に作れたんじゃないか…?」という気持ちは拭えないわけではありません。

 

なんてったって地味だから。

 

舞台はずっと王国の中で冒険があるわけでもなく、展開の説明もそんなにないままご都合主義的に進んでいくし、楽曲もレリゴーほどのヒット曲には及ばない。

 

作品そのものよりも、この作品を通してディズニーが私に何を言っているかに耳を傾けることで感動できる…そういう意味では間違いなく「往年のディズニーファンたちに向けたディズニーからの感謝のメッセージ」です。

 

評判がどうだとか、レビューの星の数がどうだとかは関係ありません。

 

私と同じように、時代の最先端メディアがVHSだった頃からディズニーアニメを観て育ってきたあなた。
『ウィッシュ』は、あなたに向けられた作品です。
ディズニーは、あなたに語りかけています。

 

「あなたの願い」の話を、ディズニーは今でもしてくれているのです。

 

 

 

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