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【書籍レビュー】すべてがFになる

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

ドラマは見ていなかったけど、先日、森博嗣のエッセイの中で「理系の本だと評された」と触れられていたので。

なるほど確かに「理系」と評されたのもわかる。それは、題材がプログラミングとか文系には覗いたことのない世界だからでは決してなく、登場人物たちの心理的な機微を削ぎ落とし、事象への関心と探求心にとことんフォーカスしているからである。
(男女の恋愛シーンが始まるのかと臭わせておきながら、男性側が事件の推理を始めてしまい、さっきまでヤキモチを焼いていた女性もあっさり推理に参加するという型破りな展開には振り回された)

私は推理小説をよく読むほうではないので偏ったイメージかもしれないが、
推理小説といえば各所にヒントが散りばめられ、推理に不要な人物や事象は登場せず(「推理の本筋」と「箸休め」の役割分担も明確で)、また推理中もいま解決からどれくらいの距離かをだいたい感じながら読み進められる。
しかし、この本は、筆者の癖なのか(エッセイでもそう感じたので)、理系の課題解決の手法なのか、とにかく同じところをぐるぐると回る。
⚪︎⚪︎はなぜだろう?を、何度もぐるぐると巡り、ただ同じ場所を巡っていても少しずつ異なる因子が絡み、でも答えは出ないまま何度もぐるぐるするので、これは推理が進展しているのかどうなのか?と思いながらそのスパイラルに付き合うことになる。
そして一見すると他愛もない会話から主人公は着想を得たり、なんだか突然ひらめいたりして、そのスパイラルを何周かしたところで急に解答ができあがる。
それはまるで研究者の日々の格闘を垣間見るようであり、しかし読者をほったらかして研究室に籠る科学者の姿勢とも思えてしまう。

要するに、わたしたちが経験的に、推理小説とはこんな人物が出てきてこういう風にストーリーが流れるのだ…と思い込んでいたものを、
研究室から書物の世界に出てきた科学者に突き破られた、ということかもしれない。

空気を読まない人が、新常識をつくる。

でもやっぱり、空気を読む系の本のほうが娯楽としては読みやすいなぁ。