旅するトナカイ

旅行記エッセイ漫画

【映画】多幸感ホラー「ミッドサマー」を全力でネタバレしていく

不穏なほどハッピーなツイートがタイムラインを彩って気になるので、観てきました。「ミッドサマー」

 

 

フォロワーさんのツイートで存在を知り、予告を見たらどうも気になってきてしまって、でも映画館でホラーは見ないし最近見たのはhuluで「ゲットアウト」と「イット・フォローズ」(ここ数年のぬるめホラー)。

そんな私が映画館で観て大丈夫かしら…でも北欧旅行好きとしてはスウェーデンの白夜が舞台なのは気になる…ということで行きました。


『ミッドサマー』本国ティザー予告(日本語字幕付き)|2020年2月公開

 

きっと、後味わる〜い感じになるんだろうなぁ…と思っていました。

人間の恐ろしさを血みどろに描いてくんだろうなぁ…と思っていました。

まさか、最高に爽やかで、幸せに満ち溢れた笑顔でエンドロールを迎えることになるとは、思っていませんでした。

 

見終わった瞬間に「また見たい!!」と思ったし、サブスクで配信が始まったら作業BGMとして流しっぱなしになること間違いなしです。

 

そう、これは、一応ホラー映画としてホラーな演出をしているだけで、描かれている内容はそれほど「理解できない怪奇現象」とか「けっきょく一番怖いのは人間!」とかではありません。

むしろ、今の不安な時代を生きる人に提示される「家族とは何か」「孤独とは、孤独から解放されるとはどういうことか」「合理的で持続可能な社会共同体のあり方とは」という、とても社会的なことでした。

 

こんなに視聴前からのギャップで好感度爆上がりした映画は今までない!

でもきっとホラー苦手な私のような人は「えー、でも怖いな、何が起こるかハラハラするの嫌だな、上映時間2時間半もあるし」…となかなか一歩が踏み出しづらいと思います、私のように「いっそラストまで知ってればホラーでも心の準備ができて安心して見れる」という人もいると信じて、全ネタバレ&気づいた伏線回収を書きます。

 

ネタバレにならない範囲のあとにガツガツネタバレしていきますので、これから観るのを楽しみにしている方は要注意です。

 

そうそう、あと「ミッドサマー」がR-15作品なので、この記事もその扱いでお願いいたします。

 

 

 

まずは当たり障りのないおすすめポイントから。

 

 

 

あらすじ

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

公式サイトより)

 

 

導入部の“冬”を越えて、主人公に“夏”がくる

映画は、寒く厳しい北欧の冬の景色から幕を上げます。雪をかぶった木や、湖、山…。暗い景色が、心まで沈ませます。

そしてシーンが変わって、主人公の住むアメリカです。「あらすじ」にある通り、主人公の女子大生・ダニーは冒頭から、家族みんなを失います。

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主人公の女子大生・ダニー(公式サイトより)

 

 

(どうでもいいんですけど、主人公ダニーの名前、Dannyは男の子の名前に多いけど…と思っていたら英語ではDaniでした。日本語で「ダニ」だと分かりづらいので伸ばしたんでしょうね。)

 

どうも最近、精神障害の妹の様子がおかしい。

「もう無理。パパとママと一緒に行く。さようなら」というメールを最後に、連絡がつかなくなってしまった。両親のことも心配で電話をかけるけど、夜中で寝ているのか留守電に…。

不安でたまらず、彼氏のクリスチャンに相談しますが、向こうはメンヘラ彼女を面倒くさがってる感ありありです

 

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メンヘラ彼女のお世話が大変なクリスチャン(画像は公式サイトより)


ダニーとしては、クリスチャンにも迷惑かけてて申し訳ない…でも家族が心配…と思っていた矢先にその不安が的中、妹と両親は一家心中を図ってしまいます。

絶望に暮れるダニー。一応、彼氏として彼女を慰めるクリスチャン。

 

一方で、クリスチャンは大学の仲間たちと「スウェーデンの奥地で開かれる“90年に一度の祝祭”」へ行く海外旅行を計画しています。

この奥地の小さな共同体で生まれ育ったペレ民族学の研究対象としてそこを見に行きたい真面目なジョシュスウェーデン美女とヤりまくりたい煩悩の塊マーク。その中で研究テーマも定まらず女好きでもないけど、なんとなく周りに流される彼氏のクリスチャン。

持ち前の優柔不断で雰囲気に流され、このスウェーデン旅行に傷心中のダニーを連れて行くことに。

 

目的のスウェーデンの祭りとは「夏至祭」。スウェーデンには、6月下旬の夏至を祝う伝統があります(これはほんと)。

行先のコミューンでは、今年は「90年に一度」の特別な祭りなのだという。

緯度の高いスウェーデンでは毎年この時期は「白夜」…一日中、太陽が出ていて日が沈むのは深夜の1〜2時間だけという、ずっと昼間のように明るい季節です。

 

寒く雪の降りしきるアメリカで家族を失い、心の支えである彼氏もどうも頼りないダニーは、夏の明るくあたたかいスウェーデンへと旅立ちます。

この、暗い冬から明るい夏への舞台転換は、まさに主人公の置かれた心理的状況を示唆しています。

 

 

ホラーなのに、明るい・かわいい・あたたかい

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映画.comより

前述の通り、メインの舞台は夏のスウェーデンの山奥、自然豊かな共同体です。

その景色は、青い空に緑の山、かわいい白色の民族衣装、一人一人異なる繊細な刺繍、色とりどりの花冠。

ホラーで定番の、暗い・寒い・ジメジメとは真逆の世界観で、それだけ見るととってもかわいい。

 

かと言って、「あれ? これってホラーじゃないんじゃない??」というほどぬるくはありません。北欧らしい不協和音や巧みな「音」使いが、観客の不安感を常に煽ります。

特に、泣き声(慟哭)を、単なる「登場人物の悲鳴」としてではなく恐怖を煽る効果音として使っているのはさすがでした。

 

ちなみにこのかわいい民族衣装、実際には北欧の伝統的な衣装とはテイストが異なります。どちらかというと東欧の雰囲気に近い。

…と思っていたら、この映画のロケ地も東欧のハンガリーブダペストなのだそうです。

ホラー映画ですし、実際の現地の民族を題材にするのは角が立つので、ちょっとずらして「この物語はフィクションです。実在の民族には関係ありません」って示したのかな? …と勝手に推察しました。

 

 

ニクいカメラワークでふわふわ浮遊感

スウェーデンの奥地へ移動していくシーン、小屋の中で衝撃的な事実を知ってしまうシーン…などで使われる、「こんな見せ方があるんだ!」という不思議なカメラワーク。ぎゅーんと視点が回って、宙に浮いているような不思議な浮遊感を体感できます。(これは言葉で説明するより、映画館で体験してもらえれば。)

内容的には「DVDが出てから/配信スタートしてから家で観ればいいや」と思っていましたが、このギュイーンを体験するなら映画館がおすすめ。

 

他にも、鏡を使って画面の切り替えを抑えながら会話シーンを見せたり、広い画角で写しているのにちゃんとどこを見るのか分かったりと、映像に工夫が満載なのもエンタメ性が高くて嬉しい。

 

 

ホラー度は、内臓系が見れる人なら大丈夫

よくある「鏡に人が写ってる…!?」とか「急に場面が変わってびっくりしたー!」のホラーレベル1みたいな演出も多少はありますが、怖くて目を背けるほどではありません。

 

どちらかというと「解剖で内臓まる見え!」とか「身体の一部がペチャンコ!」みたいな感じ。

しかもありがたいことに、「グチャッ」「ビチョッ」とエグい効果音を乗せてグロさを強調したり、しつこく痛々しさを見せてこっちまで「アイタタタ…」となったり、怖いものに追いかけられたり、「来るぞ来るぞ来るぞ…!」と恐怖を煽るような演出はなく、その都度「ワオ☆」って受け止めていけばそれで済むので恐れることはありません。

 

個人的にはジャパニーズ・ホラーの方がじわじわと怖いし、「パンズ・ラビリンス」や「ソー」の方が痛いし、「シックス・センス」の方が「ひえぇぇ…」ってなったし、「アイ・アム・ア・ヒーロー」の方が「グロ…! スプラッター…!」ってなりました。

 

私自身は目を背けたシーンは全くなく、「なんか怖そうだから薄目」が3回ほどでしたが、どれも薄目になるほどではなかったです(むしろちゃんと見とけばよかった、と後悔)。「観客を怖がらせてやろう」と過剰演出しないこの監督の奥ゆかしさにも好感が持てます。

 

 

「世の理(ことわり)」と「愛と幸せ」を同時に描く珠玉作

私はとにかく「世界の法則」と「その中で愛を見つけ幸せを追及する個人」という、マクロとミクロのテーマを同時に扱う作品がフェチでして、直近では「インターステラー」にブチ抜かれたクチなんです(あれは「宇宙の法則」と「愛」の映画)。

 

世界はただあるがままにできていて、どこまでも合理的。それは時に、人間にとっては残酷すぎるほどに。

しかしその世界を受け入れ、自分を受け入れ、周囲を愛し愛されることを知ったその先には、どんな残酷な世界にも傷つけられない「幸せ」があったりする。そういう作品は私にとって「これこそ真理」であり、この世界を生きていくための「救い」でもあります。

 

現実の世界はあまりに理不尽で、厳しく、不都合です。その世界に対抗して闘争するのは人間一人一人に課された宿命。

しかし争うのではなく抗うのではなく、そんな世界を受け入れ、自分もその世界の一部として世の真理にたゆたうことで「愛」「幸せ」を見出していく…この「ミッドサマー」も、ホラーだなんだと言っていますが、実は「世界の理不尽」によって傷ついた主人公が、別の世界で「愛」を手に入れてゆく物語なのです(私の解釈)。

 

「愛」とは、「幸せ」とは。

この映画のラストで、私は立ち上がって主人公に拍手を送りたいほど「幸せ」を感じました。

でも、再度引いた目線に戻った時、「幸せ」とは何なのか…果たしてこれは「幸せ」の形なのか…。

愛と幸せを考えるきっかけに、ぜひ、観てみていただければと思います(というこのメッセージが既にカルト感…!)。

 

 

以上、ネタバレにならない程度のレビューでした。

 

 

ではここから、時系列に沿ってできる限りのネタバレをしていきます。

 

既に観た方は「ああ、そんなことあったね!」とか「アレもあるよ!」という目で見ていただければ幸いです。

 

 

 全編ネタバレ&伏線回収

1. 冒頭の雪の山は主人公の「今」

映画は、北欧らしき森の冬の景色から始まります。雪に覆われた森、湖、山…。

極夜のラップランドが好きな身としては、この美しい自然の風景だけを数十分見せてくれてもいいのですが、このシーンはダニーの「家族は不穏だし彼氏は非協力的だし他に精神的な支えもない、八方塞がりな暗い状況」を表しているのでしょう。

 

前述の通り、スウェーデンに移ってからその呪縛から解放されていく「明るい夏」との対をなしています。

 

 

2. 最初の留守電のシーン、既に家族は心中していた?

主人公ダニーが、深夜にもかかわらず実家に電話をかけます。(この時の留守電、映画のキーワード「9」秒なんですって。)

「妹のことが心配だから連絡して」と伝言メッセージを残すダニー。その留守録がされる傍で、両親は静かに寝ています。

 

その後ダニーは、両親とも連絡がとれないまま不安に過ごし、とうとう家族の死の知らせを受けます。車の排気ガスをチューブで家に送り込み、両親は密閉された部屋で穏やかに眠ったまま、妹は直接チューブを口に当てて…。

深夜に娘からの電話がかかってきても、死んだように穏やかに眠る夫婦…両親はこの時すでにガスを吸っていたのではないでしょうか。

 

ベッドサイドの花に囲まれて飾ってある娘の写真は、この後のダニーの運命を物語っています。ダニーと妹、どちらの写真かよく見えませんでしたが、娘2人がいる家庭で片方だけの写真を豪華に飾るのは異様です…きっとダニーのその後の伏線としてそこにあるのでしょう。

 

 

3. メンヘラな彼女と、決められない彼氏

多重人格障害を持つ妹に振り回されてたびたび感情がバーストするダニー。彼氏のクリスチャンは、その度に彼女をなだめます。

仲間たちと遊んでいる最中にも電話をかけてくる面倒な彼女。仲間たちは声を揃えて「いい加減、別れて次に行けよ」と彼女を疎んでいます。

しかしクリスチャンは、全編通してとにかく意志がない、決められない、取り繕ってばかりのふわふわ男子。

 

「別れろ」と周りに言われても「後悔するかも…」とデモダッテ、

大学での研究分野も決められず、

たまたまダニーを連れて行ったパーティでスウェーデン旅行に行くことがバレて(傷心中のダニーには言い出しづらかったのでしょう)、

なぜ話してくれなかったのかとダニーに問い詰められると、航空券も取って準備万端なのに「今日行くことに決めたから」などとバレバレの嘘で取り繕い、

ダニーに取り繕った結果、今度は仲間たちに「彼女も旅行に誘ったから…来ないはずだけど誘うだけ誘ったから…みんなに言われて誘ったことになってるから」とこれまた保身のために周囲になすりつけます。(この保身気質はのちにも見られます。)

常に受け身で、自分の意志がない。自分で思い、考えて、決めるということができない人。

ちなみにこの「ダニーに詰められて嘘をつくシーン」「友人たちにダニーを誘った口裏あわせを頼むシーン」ともに、カメラはクリスチャンの下手すぎる嘘に呆れるダニー/友人達を捉えながら、クリスチャンを鏡越しに映り込ませていました。カメラを切り替えずに「ふわふわするクリスチャン」と「なにこいつ…と思わされる周囲の反応」を同時に見せて、ああいう時のイライラ感、煮え切らないフラストレーションを出しているのは、いいやり方だなぁと思いました。

 

そんなクリスチャンは悪人とまでは言えないが、自分を守るために周りの人を平気で突きだす薄情者。それでいて狡猾と言えるほど先を読んでもいない、場当たり的に言い訳を並べるだけの小物感…。

彼はこれまでもこうして生きてきたし、これからもこうしてしか生きられないのであろう…(ため息)。

 

 

3. 旅行に行くことにしたダニーへの、男たちの反応?

クリスチャンの取り繕いで、みんなに旅行に誘ってもらったと思っているダニーは素直に帯同することに。ダニーはみんなが集まっているクリスチャンの家に挨拶に来ます。

夜のお店に行ったり、伝統的な種付け儀式でスウェーデン女子とヤリまくるのを楽しみにしていたマークはがっかり。クリスチャンを呼び出してお説教タイムです。

研究熱心なジョシュは「そんなの関係ねぇ」状態、そんな中で気まずいダニーを気遣ってくれるのがペレ

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優しい地元民?ペレ(画像は公式サイトより)



 

友人たちを故郷のコミューンに連れて行こうとしてくれているペレですが、彼はダニーを「君が来てくれて嬉しいよ」と優しく迎えてくれます。物静かだけど話しやすいペレに、ダニーは「旅行初日は私の誕生日だ」と話し、「そうなんだ、おめでとう!」といい感じの会話。

ここで、「あれ? ペレは他の男友達たちとはなにか違うな…?」という気づきが観客に生まれます。

「実は自分も両親を亡くしたから君の気持ちが誰よりも分かる」と、ダニーの心に手を差し伸べてくれるペレ。でもその悲劇を楽しい旅で忘れてリフレッシュしようとしていたダニーには、家族の話をされる心の準備ができておらず取り乱してしまいます。

 

 

4. スウェーデンへの移動、カメラとともに異世界

飛行機の中でも、家族を思い出しては泣いてしまうダニー。しかし周りに迷惑をかけないために声を上げて泣いてはいけないと、トイレで息を押し殺して涙を流します(これはのちに繋がります)。

そんな飛行機はスウェーデンに着陸。着陸前の飛行機の揺れが、この先の不穏さを表します。

 

空港からは車で4時間の移動。

なにもないスウェーデンの高原を車は走ります。

カメラが向かってきた車を追いかけて天地逆さまになる演出は、ここが現世と異世界との境目だと言っているようです。(言葉だけだと意味不明かもしれないので、気になる方はぜひ本編で。)

 

 

5. 村へ入る前のトリップ儀式

村に到着する前に、車は一度、美しい高原で止まります。

ここには、この祝祭のために外から帰ってきた村人、その村人に連れてこられた友人知人たちが集まっています。

ピクニックをしているような、平和な雰囲気。

 

ペレは村人たちに4人を紹介し、そこでもう一組の「外からの帯同者」と出会います。イギリスから来たカップル、サイモンとコニー。

どうやら村出身ではない旅行客は自分たちとこのカップルたけ。自分たちだけが部外者なわけじゃないんだな、とちょっと安心。

 

さて、着いた途端に村人から、ハッパ(ドラッグ)を勧められます(原始的な民族がドラッグを使うのは、世界各所に見られること。宗教的な儀式とも繋がっていたりするので、これ自体はそんなに異様なことではありません)(でも本当はダメ、ゼッタイ!)。

クリスチャンの仲間たちは普段から遊びで吸っているので、早速ノリノリ。

でも慣れていないダニーは「私は後にする」と遠慮し、彼女に気を遣ってクリスチャンも「俺も後で」と言い出しますが、仲間たちは「みんな同時にやらないと一緒にトリップできないぞ」と渋ります。

ノリの悪い自分が場の空気を壊している状況に耐えられず、ダニーは「やっぱり一緒にやる」とキノコ茶をいただきます。

 

しばらくみんなで幻覚タイム。

美しい丘の上で、ダニーは自分の体から草が生えている幻覚を見ます。

しかしここからはバッドトリップ。みんなに嘲笑われているような気がしたり、妹の亡霊を見たりして混乱に陥ります。

 

目が覚めるともう翌日。クリスチャンによると、6時間ほど寝ていたらしい。しかし白夜で一日中明るいそこでは、今が朝なのか夜なのか、時間経過もわかりません。

 

 

6. 森の中の黄色い花の道しるべ

ドラッグから起きた一行は、村に向けて歩き出します。

踏み慣らされたハイキングロードを逸れて、森の中の道無き道へ。(この道を逸れるところのカメラギュイーンが、またさらに異世界へ観客を誘います。)

 

進むに連れて、足元には黄色い花が。

徐々に花が増えていき、出身者の村人だけがわかるコミューンのありかを示します。

以降も、映画全体を通して「花」が道しるべとなり登場人物たちを導いていく演出がそこここで見られます。

 

 

7. 迎え入れられたコミューン「ホルガ」

いよいよホルガに到着。光線のような門を抜けると、穏やかな緑に囲まれて、リネンの白い伝統衣装に身を包む村人たちに迎え入れられます。

丁重にあたたかく迎えられる一行。若者が荷物を運んでくれて、ウェルカムサービスに子どもから木苺を手渡されます。

 

その日は9日間の祝祭の開幕式。

広場の壇上で、司祭が宣言を唱えます。

そこには2人の老人男女も。「火がこれ以上、燃えないように」と唱えられながら、2人は松明を手にします。

生まれながら障害を抱えた巫女・ルビンは禍々しい色の絵具で何かを描き殴っています。

司祭が神への祈りを捧げて、一同で乾杯をし、式は終了。

 

さて、この日の空き時間にダニーと2人きりになったペレは、彼女に誕生日プレゼントとして似顔絵をあげます(気遣いのできるやつ…!!)。思わぬサプライズに喜ぶダニー。そこで「クリスチャンはたぶん彼女の誕生日を忘れている」ことがわかります。

さらに、イギリスからのカップル、サイモン&コニーとの世間話で「どれくらい付き合ってるの?」と聞かれ、「4年と2週間」と週まで覚えている(これもこれでな)ダニーに対し、クリスチャンは交際期間をろくに覚えていない…。

クリスチャンのダメ彼氏っぷりが際立ちます…。

 

 

8. みんなの寝室で語られる伝統

高原の村には、村人たちが自ら建てたであろう木の小屋がいくつか建っています。各家庭のログハウス…ということではなく、「キッチン小屋」「家畜小屋」など機能別で分かれています。中には「檻に入れられた熊」も。…ペットでしょうか、食用でしょうか。

 

その施設の中で案内されたのは、美しい伝統的な絵が壁一面に描かれた寝室用の小屋。壁に並ぶベッドでコミューンの人は赤子から年寄りまでみんな一緒に寝ます。

研究熱心なジョシュは興味津々。ペレに解説を頼みます。

「ホルガでは、18歳のサイクルで人生を『季節』と表す。18歳までは成長期の『春』、18〜36歳までは外の世界へ旅立つ『夏』、36〜54歳は労働する『秋』、そして54〜72歳は教育係となる『冬』…」

「72歳以降は?」というダニーの質問に、ペレは「死」のジェスチャーで笑いを取ります。

ここでも9の倍数が登場。しかしフィクションとはいえとても合理的で、納得できる社会構造です。民族学を研究するジョシュも「他の地域の文化にも通ずる思想だ!」と大興奮。(リアルな話で水をさしちゃうと、人間の平均寿命が70歳以上になったのはここ数十年のことなので、きっと「人生の春夏秋冬」という古来からの思想を現代の年齢に再解釈したのかもしれません。)

 

もう一つ、小屋で発見したのが歴代の「メイ・クイーン」の記念写真。頭に立派な花飾りを被った女性たちです。

毎年、ダンスコンテストで優勝した女性が女王に選ばれるのだそう。もちろん今年もコンテストは祝祭期間中に開催予定。今年は誰が優勝するのか、楽しみですね。

 

 

9. クリスチャンからの誕生祝い

さて、ダニーの誕生日を圧倒的完全失念していたダメ彼氏、クリスチャン。

ペレがこっそりフォローしてくれて(いいやつ…!)、慌ててダニーを寝室小屋の外へ呼び出し、小さいパウンドケーキにろうそくを立てて埋め合わせのお祝いをします。

 

カメラのこちら側で、小さなケーキでハッピーバースデーを歌うクリスチャンとダニー。ろうそくにライターで火を点けようとしますが、高原の風のせいか、なかなか点きません。

その奥で、不穏な不協和音の歌で生まれたての赤ちゃんをあやす村の女たち。

クリスチャンのハッピーバースデーは、女たちの歌声でお祝いムードをかき消されます。

 

誕生日を祝う2人の奥で、まさに生誕を祝われている村の赤ちゃん。

開会の儀式の松明にも登場した「命の象徴としての“火”」がなかなか点かない…というのも、ダニーの落ち込んだ気持ちを表しているのか、この後に待ち受ける悲劇を予言しているのか…?

 

 

10. 翌日は「アッテストゥパン」の衝撃儀式

1日目の開会式が終わり、一同は寝室へ。

ずっと明るい白夜シーズンですが、夜の時間には窓にブラインドを下ろして部屋を暗くして寝ます(これは現地でもそう)。

村人がみんな一緒に寝る寝室では、どこかで赤ちゃんがずっと夜泣きしていて、どことなく落ち着かない気持ちを観客に与えます。

 

さて、寝る前に仲間が「明日は何するの?」とペレに聞くと、「説明が難しい」と濁されます。「アッテストゥパン」という名前だけを教えられ、知識のあるジョシュが何かを察して「マジで…?」という反応。

え、なにそれ、ググれば分かるかな? と思ってクリスチャンがスマホを取り出しますが、山奥のこの村は通信圏外。諦めて眠ることにします。

 

翌朝。

不思議なルーン文字のような記号の形に並べられた食卓に村人全員が座り、揃って朝食タイムです。この村では食事は必ず、長机に並んでみんなで食べます。

 

ぽつぽつと村人たちが集まり始める間、若い女たちは「後ろ向きに花を摘む」不思議な儀式をしています(真意はわかりませんが、性的アピールが伝統化した行為なのかな、と思えました)。

クリスチャンが食卓に座っていると、ダニーが積んだ花を持ってきてくれます。女たちの真似をして後ろ向きに摘んでみたそう。傷心モードからちょっとずつ立ち直り、村の行事を楽しみ始めているのが伺えます。

 

さて、全員が席についてもなかなか食事が始まりません。いつ食べるのかペレに聞くと「その時がきたら」と。

待っていると、村の少年が鐘を鳴らし、黄色い「神殿」から昨日の開会式で登壇した老人2人が出てきて上座に座ります。

緊張したような、厳かな雰囲気。

老人たちが静かに料理を食べ始めると、他の全員もそれを合図に食事を始めます。食事が始まると和やかな雰囲気になりますが、食べ終わってからはまた静粛になり、老人がグラスを掲げるとみんなも乾杯します。

何かの強いお酒をダニーたち一行も飲み干します。

 

もうこれだけ匂わせたのでお分かりでしょう。

この老人2人は、72歳を超えて、人生に幕を閉じる儀式を控えているのです。

この文化の中で育った彼らも納得しているとはいえ、死に直面するのは恐ろしいもの。心の準備ができて神殿を出で来るのを、最後の晩餐を食べる気が起きるのを…死の決意が整うのを、村人たちは敬意を持って待っていたのでした。

 

食後には次の儀式があるのですが、白夜のせいで眠れなかったマークは寝室へ昼寝に。

残った3人で次の儀式の見学へ行きます。

 

高原から歩いたところにある山の岩場に村人たちは集まります。真っ白な岩肌が、夏の太陽を受けていよいよ白く光ります。

司祭が祈りを捧げると、村人たちはじっと岩の崖の上を見上げます…。

 

崖の上では、老人2人が最後の儀式。

手にナイフで傷をつけ、ルーン文字の刻まれた石に血をすりつけます。見ると、同じような岩がたくさん…きっと彼らの墓標のようなものなのでしょう。

 

崖の下から見える縁ギリギリまで、まずは老女が歩み出ます。

手を天に掲げて祈りを捧げたあと、彼女は、崖から自ら落下。

崖の上から、下まで、ポトリと落ちるのをカメラはずっと捉えます。

 

あまりの衝撃に息を呑み動揺する仲間たち。サイモン&コニーのカップルは「なんで誰も止めないんだ!?」と怒りをあらわにしますが、ダニーの耳にはその声も遠くにしか聞こえません。

お誂え向きに、崖の下の着地点には岩の台があります。うつ伏せにそこに落ちた老女の顔は押しつぶされ、即死。(苦手な人は苦手な、グロポイントです。)

 

続いて老夫の番です。

サイモン&コニーは彼を止めようと騒ぎますが、もちろん粛々と儀式は遂行され、老夫も岩の台へ落下。

しかし足から落ちてしまったため、足がもげただけで死に切れず、老夫は苦しみます。

 

すると村人たちが一斉に呻き声を上げだします。

口々に、あぁ…おぉ…と絶望的な声を上げる村人たち。まるで神聖な儀式が失敗したことを嘆くかのように、死にきれなかった男を非難しているかのように…(しかしこれは、のちに続きます)。

 

死にきれなかった老夫のもとに、4人の村人が進み出て、大きなハンマーで頭部を砕き介錯します。順にハンマーを降り下す4人…人生の四季それぞれの代表者でしょうか。「いずれは自分にもこの時が訪れる」と、身に刻むかのようです。

 

あまりの衝撃的な儀式に、激昂したサイモン&コニーは儀式から飛び出そうとします。それを司祭が引き留め説明します。「苦しんだり怯えたり恥辱を晒すことなく死ねることは、我々にとって名誉なこと」「次に生まれてくる赤ちゃんに彼らの名前をつけて、彼らの魂は再生し、生命の輪の中で生き続ける」…。

輪廻転生にも通ずる死生観、魂の解釈は、決してトンデモカルトの思想とは言いきれず、理解できないものでもありません。

 

しかし目の前で人の死を見せつけられてしまった部外者チームは、完全にドン引きしてすぐ帰ろうと決意します。

 

 

11. それぞれの反応、サイモン&コニーの行方

この衝撃的な出来事に対する、部外者チームの反応は様々です。

主人公ダニーはすぐに帰ろうと荷物をまとめ始めます。が、そこにペレが現れて、動揺する彼女をなだめます。村を穢らわしく感じたダニーは最初はペレを拒みますが、心優しい友人を強く否定もできず話をすることに。

衝撃的な光景を見せたことを謝るペレ。彼が言うには、彼にとってはこの故郷は自慢の故郷で、90年に一度しかない人生のハレの日を、これを理解してくれそうな(民族学に通ずる)友人たちと迎えたかった…と。

ペレの両親は炎に焼かれて死んでしまった(ここ重要)けれど、この村のみんなが愛情で包んでくれたから自分は寂しくなかった…と。

だから家族を失ったダニーの痛みがペレには分かるし、ダニーは自分とは違って、彼氏のクリスチャンが彼女に愛情を与えきれていなくて、彼女が孤独なままであることも分かる。

この話を聞いて、ダニーは気づきます…クリスチャンは心の拠り所だっけ…?

 

そんなクリスチャン

ダニーに「めっちゃショッキングだったよね」と言葉では言うけど、それはまるで「こういう時はこう反応するもの」という教科書をなぞるような言いっぷり。家族の自殺と老人の飛び降りが重なり、トラウマを刺激されたダニーとは認知のレベルが違います。

「でも彼らにとっては伝統だし、彼らから見たら老人ホームに入れることの方が衝撃的かも…なるべくここの考え方を理解しようと思ってるよ」と言うクリスチャンは、利口ぶってはいるけれど、他人事な情報を受け身に摂取しているだけ。自分の人生の一部として考え、判断しようとはしていません。(思えば、ケンカしたときにも「謝ればいいんでしょ」という態度だった彼、誕生日にも「彼氏は祝うものなんでしょ」という態度だった彼…そもそも「自分がこうしたい/してあげたい/してほしいから、する」という感性がないのです…)

 

…聞こえる…。

 

「あれ…? こいつ、ペラい…?」というダニーの心の声が、観客の耳にはしっかりと聞こえる…。

 

一方、研究者ジョシュは、前知識があったこともあってかむしろ全然平気(それはそれで)。

この村の伝統文化にいよいよ興味が湧いて、研究に身が入ります。

 

イギリスからのカップル、サイモン&コニーは完全にナシ判定。荷物をまとめて早々に出ていくことにします。

コニーが寝室の荷物を持って、ダニーに「私たち出ていくから、それじゃ」と挨拶をしたところに、村人が。

「サイモンはトラックで先に駅へ行った。またトラックが戻ってきたらそれに乗ってコニーは駅で合流すれば良い」と。

「私を置いてサイモンが先に行くはずない」とコニーはゴネますが、村人は「だってトラックは2人乗りだし、駅まで時間もかかるし、電車の本数も少ないし」と説明。でもこんな恐怖のカルト村に恋人を置いて自分だけ行ってしまうなんて、明らかにおかしい…。

 

このことをダニーがクリスチャンに報告すると、クリスチャンは「えーなにそれ、あいつサイテーだな。でさー、…」てな感じで全く心配のそぶりなし。

「あれ…こいつ、自分もいざとなったら私を置いて逃げるヤツじゃね…?」とダニーは彼の薄情ぶりに気づき始めます。

 

翌朝、みんなが集まる食卓にサイモン&コニーの姿はありません。

「誰か何か聞いてないの?」と仲間たちと話していたら、村人の1人が「それ僕、知ってるよ。サイモンが駅からコニーに電話して、コニーもあの後トラックで駅に行ったんだ」と。

なんか腑に落ちないけど、まぁそういうことなら心配ないか、と仲間たちはひとまず彼らのことは忘れます。

 

……。

 

…あれ?

この村、スマホ圏外だったよね…?

 

 

12. 研究にのめり込むジョシュとクズスチャン

まさかこんなガチの生き死にがある、原始的な儀式に立ち会えるなんて! とジョシュはより一層研究に精を出します。

 

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この村、民族学好きにはたまらねぇ!ジョシュ(画像は公式サイトより)

 

村人の話は常にノートにメモを取り、なるべく写真で記録を残し、暇があればノートパソコンに成果をまとめる。

 

そんな純粋な探究心でいっぱいのジョシュに、魔の手が伸びます…

 

This is ダメ男・クリスチャンの魔の手が…。

 

寝室で研究をまとめているところへ現れたクリスチャン、なんと「俺もここの村を研究テーマにしようと思う」と言い出します。

テーマが被るということはライバルが増えるということ。博士号の狭き門を突破するため、心から「これが自分の人生を捧げるテーマだ」と決めて打ち込み、そのためにペレに頼んで故郷の祝祭に同行させてもらったジョシュ、かたやただの友達との旅行気分でついてきて、衝撃的な儀式を見ただけで「これなら論文書けそうじゃん」くらいのノリで友達にテーマを被してきたクリスチャン、いやクズスチャン。

誰しもが熱中できるテーマと出会えることは尊いことだし、その出会い方が偶発的であることを否定はしません。しかし彼の「友人の成功を応援する友情」と「このテーマに対する自分の熱意」を天秤にかけたときに、そこまで熱意があるわけじゃなくただ書きやすいものに飛びついただけやろ…というのが見え見え。

 

もちろんジョシュは、怒りを通り越して呆れます。

あまつさえ「共同研究にしてもいいよ」と言い出すクズスチャンを「誰がやるか」と一蹴。2人の仲に亀裂が入り始めます。

 

突然のライバル出現に慌てたジョシュは、先を越されてはならないと焦り、ペレに「論文にこの村のことを書きたい、名前を出さないから」と言います(匿名では論文の意味がないのに)。ペレは最初は断りますが、うっかり「クリスチャンにも断ったし」とついた嘘をあっさり見破られ、しぶしぶ「長老たちに聞いてみる」ことに。

 

ただ研究熱心だっただけで、きちんと作法は弁えていたはずのジョシュが、ライバルの存在に追い立てられていきます…。

 

 

13. 乙女のたしなみ、◯◯入り手作りパイ

さて、この村に着いたときに、伝統的なタペストリーをサイモン&コニーが見つけていました。

「ラブストーリー」だというタペストリーの内容は、処女の乙女が恋のおまじないで意中の男性と恋に落ち、結ばれるというもの。

 

これと同じストーリーで、伝統的な恋のおまじないをしている村人の少女がいます…赤毛の少女、マヤ

適齢期を迎え、男性と結ばれることを認められたマヤは、村の外から来た男たちをじっと観察します。

そう、この村では血が濃くなりすぎないように、時には村の外のDNAを入れながら、男女の交わりは占いによって司教たちに管理されています。恋も然るべき相手と伝統的な手順を踏みます。

 

ステップ1。

ある夜、みんなが寝静まった寝室小屋でベッドを抜け出し、マヤは恋のおまじないのルーン文字を彫った木片をクリスチャンのベッドに忍ばせます。

そのことに気づいたのはジョシュ。

翌朝、ペレに聞くと「相手が自分に惚れるおまじない」だという。マヤがクリスチャンのベッドに忍ばせていたと知ると、ペレは嬉しそうに「マヤは君に気があるみたい」とクリスチャンに伝えます。

…あの、クリスチャンはダニーの彼氏なんですけど…?

 

クリスチャンとダニーの仲を良い関係だと思っていないペレは、マヤの恋を咎めるそぶりは1ミリもありません…。

 

さて、ラブストーリーのステップ2。

ある日の食卓に出されたミートパイ。1人1つのかわいいサイズです。

クリスチャンがこれを食べると…中からは人の毛が。そして彼のドリンクだけ、妙に赤い…。

 

そう、タペストリーに描かれていた恋の手順とは「陰毛入りの食べ物を食べさせる」「血が入った飲み物を飲ませる」…。

 

それ、昭和のヤバいアイドルファンが、手作りバレンタインチョコでやるやつやん…。

 

「女が男を惚れさせるためのレシピ」が民族を超えて共通していることこそ、民族学的な探究心を煽りませんか…。

 

さすがにこんなことをされてもクリスチャンはマヤに惚れたりはしませんが、しかし「俺にはダニーがいるから」と振ることもしない。そう、それこそが究極の受け身、クズスチャンなのです。

 

 

14. 「スキン・ザ・フール」されたマーク

さて、これまで全く描いてこなかったマークですが、ちゃんといますよ。

スウェーデン女子とヤリまくるぜ! と意気込んでいたマーク。いざ着いてみると、白夜で寝不足だし寝室は共同だし、すっかり退屈なご様子。

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期待したほど女漁りもしないマーク(画像は公式サイトより)

 

少し時間を巻き戻して、村に着いて間もない頃、一同は村の女たちの遊びを眺めていました。

一列になって手を繋ぎ、電車ごっこのように走る遊び、その名も「スキン・ザ・フール」…愚か者を皮剥に。

少女たちは外から来た男が珍しいのか、遊びながら意味深な笑みで彼のことを見ています。

(この時、マヤがクリスチャンに足をぶつけてスキン・ザ・フールに誘い出します。この時点で「おやおや?」なダニー。)

 

ある朝、マークが寝起きにトイレに行きたくなり、そこらへんにあった木の幹に立ちションをします。

すると村人が激怒。

なんとその木は、先祖代々の魂が宿るとされる神聖な木だったのです。

 

現地の文化への敬意など微塵もないマークはそれでも「は? ただの木じゃん」と反省の色は見えませんが、なんとかその場はペレが収めます。

 

すると、食事の時間。

いつも通り、村人全員が食卓に並んで食事していると、村人の美女が席を立ち「見せてあげるからついてきて(なにを?)(意味深)」と誘い出します。

ついにスウェーデン女子と触れ合うチャンス到来!? とキタコレ状態のマークは、仲間たちに「行ってくる!!」と喜び勇んで席を立ちます。

 

…マークについては、以上です。

 

 

15. ジョシュのいびき

クリスチャンが研究テーマを被せてきて、焦りだしたジョシュ。

朝から庭いじりしているペレに、なんとか論文で村を書くことについては「名前も場所も出さない」ことを条件にOKをもらいます。

そうとなれば遠慮は無用、できる限りの情報を集めなければと村を取材します。

 

この日ジョシュが取材していたのは司祭の管理しているホルガの聖書「ルビ・ラダー」

ホルガの純血で、障害を持っていて純粋な目でものごとを観れる巫女・ルビンが描いた絵を、司祭たちが解釈し、後世に書き残していくものです。

ルビ・ラダーの保管所で司祭に説明を受けながら、ジョシュが「写真を撮ってもいいか」と聞くと、さっきまで優しく分かりやすく解説してくれていた司祭の表情は一変。厳しく「ダメだ」とピシャリ。

 

そして夜。

カメラはベッドに眠るジョシュの足を映しています。

足が動いて、ジョシュはむくりと起き上がり、村人たちにバレないように忍足で寝室を抜け出します。向かった先はそう…「ルビ・ラダー」。

 

大切な聖書の保管庫とはいえ、少ない村人たちしかおらず寝室も食事もみんな一緒のこの村では、ドアに施錠する文化がありません。難なく保管庫に忍び込んだジョシュは、ルビ・ラダーの写真を撮ります。

すると背後に人影が。

 

バレた!と焦るジョシュですが、目を凝らすとそれはあの美女と消えていったマーク。なんだマークか、驚かすなよ…と安心した瞬間。

 

ジョシュは頭を鈍器で殴られ、床に倒れます…。

 

脳震とうを起こして床に伏すジョシュ。ごぉー、ごぉー、と、部屋に声が響きます。誰の声かと思えば、それは倒れたジョシュから聞こえている。

脳震とうを起こした人特有のいびき…この音が一番怖かった、という人も多い、ゾッとする死の瞬間でした…。

 

暗闇の中に浮かび上がるマークの顔。それはマークではなく、マークの顔の皮を剥いで被った村人でした。そう、「スキン・ザ・フール」は実行されていたのです…。(ここ、顔がナチュラルすぎて「皮を被っている」とは私は分からなかったのですが、瞬きを見ればわかるそうです。)

 

翌朝。

朝食の席で「悲しいお知らせ」が発表されます。大切な聖書の1冊が無くなったと。保管庫は開けておくので、盗んだものは速やかに元の場所へ返すように、という穏やかなお達しでした。

朝食後、ダニーとクリスチャンは司祭に呼び出されます。2人の友人、ジョシュとマークが姿を消したのは怪しい、聖書を盗んだ犯人ではないか、と。

 

それに対して、さすがのクズスチャン。「怪しいのは分かるけど、自分は母に誓って盗みに関わってはいないし、消えた2人の行方は全く分からない」と。ここでも友人たちの心配をするでも、疑われている友人を庇うのでもなく、2人を見捨てて自分だけは罪を被るまいと保身に走ります。

安定のクズスチャンぶりに、ダニーと観客の冷たい視線が降り注がれます…。

 

こうなるともはや、彼のクズっぷりのおかげで、不穏で不安なこの映画中に「いやお前よー!」というツッコミムードが生まれて、その時だけは恐怖を忘れられる…いっそいてくれて良かった、クズスチャン…。

 

 

16. メイ・クイーン選手権

この頃になると、ダニーはかなり村の雰囲気に慣れてきます。

暇を持て余した彼女を、英語を話せる同い年くらいの女の子ハンナが、女たちの炊事仕事に誘ってくれます。

可愛い刺繍のエプロンを借りて、女同士での作業に参加して気分がほぐれるダニー。

 

それからはハンナが、英語であれこれと作法を教えてくれる、ダニーのシスター役になってくれます。

新しい友達ができて少しずつクリスチャン依存を克服していくダニー。ジョシュとマークが失踪した疑いをかけられた際も、村人が監視を強めるためか「ダニーは女たちを手伝って、クリスチャンはあっちで用がある」と別行動を指示されますが、「ダニーには俺がいないと…」と気遣うクリスチャンそっちのけで「大丈夫、行ってくるね」とあっさり。

 

そんなダニーは、村一番のダンサーを決めるメイ・クイーン選手権にも、ハンナに倣って出る流れに。

かわいらしい民族衣装に身を包み、戦いの前のお茶で乾杯します。

 

十字架のような形の柱「メイポール」を囲んで、手を繋いで輪になる村の女たち。

音楽に合わせて踊り続けた者が、健やかさの象徴として「メイ・クイーン」の称号を手にする戦いです。

 

お茶の効果でふたたび、ダニーはトリップが始まり足から草が生えている幻覚を見ます。

すると音楽が始まり、踊りがスタート。踊りはシンプルなフォークダンスで、ダニーも見様見真似ですぐに踊れるようになります。

踊りながらも、「ストップ!」の掛け声で一斉にその場に止まり、「スタート」で音楽がまた鳴り始めたら再度踊り出す…力尽きたり、うっかり隣の子とぶつかったりして倒れれば退場です。

 

汗を流し、息を切らし、ひたすら踊り続けるダニー。

最初はついていくので必死だったダニーも、踊り続けるにつれて楽しくなってきて、気持ち良い笑顔を浮かべます。

 

ドラッグの効果でグッドトリップをしながら、体を動かし続ける恍惚感…。

音楽に合わせて、集団で単純な踊りを繰り返すことで得られるエクスタシー(まさに「達する」感覚)は、徳島の阿波踊りなんかでも体感できると聞いたことがあります。神輿を担ぐ男たちの祭りにも同じ興奮があるのかもしれません。限界を超えて体を動かし続けることで得られる気持ちよさ…その境地に、ダニーは連れて行かれます。

この時のターンの上手さで、ダニーが(女優さんが)ダンスの心得があることがわかります。

 

気がつくと、ダンサーは最後の3人まで減っています。恍惚としながら、いつの間にかハンナと現地スウェーデン語で会話しているダニー。いや、実際にスウェーデン語が話せているのかは分かりません、でも恍惚感に達した2人は、言語を超えて心を通じ合わせました。

そのことに興奮したハンナが喜んでいると、うっかり、隣の女性にぶつかって倒れます。

 

その瞬間、優勝者が決まりました。今年の「メイ・クイーン」は、ダニーに決まったのです。

 

大きな花の冠を被せられ、花の首飾りをつけて讃えられるダニー。

まるで花の妖精のようです。

村人たちが花道を作って彼女を口々に称賛します。

まだ半分幻覚を見ているダニーは、その中に死んだ母の姿を見ます。すれ違って歩き去る母親。ダニーは呼び止めますが、村人の祝賀ムードでそれどころではありません。ペレはダニーの優勝を喜んで、優しくも熱いキスを贈ります。

失った家族は彼女から通り過ぎて、彼女を祝福する村人たち…新しい“家族”に囲まれます。

 

 

17. 女たちの連帯、共鳴する2つの儀式

さっそくお祝いの食事会です。

鏡のように磨かれたテーブルには、肉の丸焼きのようなご馳走が。…山奥ゆえ、外の食卓に並ぶ肉料理にはハエがブンブンたかります、が、トリップ中のダニーの視界はくらくらと揺らぎ、豪華なご馳走にしか見えません。

メイ・クイーンは上座。いつも隣にいたクリスチャンとは離れてしまいます。

立派な草花で飾られたダニーの特等席。

ダニーにはまるで、その葉っぱや、冠の花が、自分の呼吸に呼応しているように感じます。自分が、自然と一体になったかのような感覚。

 

今回の主役はダニー。ダニーが食べ始めるのを合図に食事が始まります。食事中、儀式として、メイ・クイーンは生のニシン(しかもめちゃでかい)を食べるように言われます。

さすがにそんなことはできないダニーは「え、無理無理!」とニシンを吐き出しますが、村人たちはそれも微笑ましい光景としてみんなで笑って流してあげます。

村に来る前のバッドトリップでは、村人に嘲笑われているかのように感じて孤独を恐れたダニー。今では、村人たちに歓迎され、祝福され、暖かい笑いに包まれています。

 

食事が終わると「メイ・クイーン」はシンデレラに出てくるようなかわいらしい荷車に乗せられ女たちに囲まれて繁栄の儀式に連れられます。

地面の穴に穀物、肉、卵を入れて土を被せ、ハンナに教わりながらまじないの言葉を暗唱するダニー。

立派なメイ・クイーンです。

 

 

その頃、クリスチャンはーー。

 

少し時間を巻き戻して、マヤにロックオンされていたクリスチャン、なんと司祭にまで「2人は占星術でも相性ぴったりなので、マヤと交わることを認めます」なんて言われていたのです。

戸惑うばかりで、したいともしたくないとも意思表示できない圧倒的受け身男、我らがクリスチャン。

 

ダニーがダンスコンテストで踊っている間も、マヤが気になってちっとも彼女の勇姿を見ていません。

 

観客席でダンスを見ていると、踊り疲れて退場した女性に飲み物を勧められます。飲むもの飲むものドラッグなホルガ村、これもまたなんか入ってるだろ…と思ったクリスチャンは、初めて自ら「もうトリップしたくない」と断ります。が、「大丈夫よ、信じて」と言われると断りきれず、諦めて飲んでしまうクリスチャン…。せっかくの意志の発露すらうまく通せなかったクリスチャン、案の定、飲み物の効果でみるみる具合が悪くなり(この民族…!)、ダニーがメイ・クイーンに選ばれお祝いされていても、食卓につくのが精一杯で何もできません。

 

初めての意思表示すら却下されてしまったクリスチャン。気力なく、トリップに震えながらダニーが儀式へ向かっていくのを見送ります。

するとクリスチャンは、別のお誘いが…。

 

傾いた屋根の小屋から女性が出てきて、籠いっぱいの花びらで道をつくり、クリスチャンのもとへ…。

すっかり意志を失くしたクリスチャンは、誘われるがまま、花びらの道を通って小屋へ向かいます。

 

小屋の入り口で長老たちになされるがまま肌着に着替えて、壺の中の覚醒剤の煙を嗅がされます。

ピンと目が冴えて、小屋の扉の中に入ると、そこには…

裸の老女たちが並んでいる中、花びらシーツに横たわるマヤが。

 

そう…種付けの儀式です。

 

女たちは不穏な歌を口ずさみます。

裸の女たちが見ている前でムードも何もあったものじゃないし、花びらロードを歩いた先に花びらベッドで交わるなんて、メルヘンすぎて逆に萎えちゃうのでは…とかツッコミたくなりますが、ラリっているクリスチャンにそんなことは関係ありません。

生娘のマヤの白い体の上に、吸い寄せられるように被さるクリスチャン。

 

女たちは2人の性交を見守りながら歌を歌います…が、次第にその旋律は不穏に…。「あぁ、あぁ」と口々に呻くように歌う女たち。それに合わせて、マヤも喘ぎはじめます。

 

そう、女たちは、初体験のマヤの痛みと快楽に共鳴しているのです。

女たちの声にかき消されるので、マヤも存分に声を出して、初体験を味わいます…。

 

そこへ、儀式から戻ってきたダニーと付き添いの女たち。

小屋の外までも、女たちの「あぁ、あぁ」が聞こえてきています…。

 

嫌な予感を感じてダニーはその小屋へ…ハンナは「見ない方がいい」と止めますが、それ以上は引き留めません。

鍵穴から、小屋の中の光景を覗くダニー。

女たちの声に混じって聞こえる、彼氏クリスチャンの喘ぎ声…。

 

あまりのショックに、ダニーは小屋の入り口で吐き戻してしまいます。

そこへ駆け寄る女たち。

泣き叫ぶダニーを抱えて寝室へ連れて行き、彼女を慰めます。

 

彼氏の裏切りに、床に平伏して泣き叫ぶダニー。

彼女を取り囲んで慰める女たち。

しかし彼女たちはなだめるのではなく、ダニーと同じように「あああぁ…」と慟哭します。

あたかも自分自身が、ダニーと同じ痛みを感じているかのように。

 

そう、ホルガの村人たちは、痛みも苦しみも悲しみも、みんなで共有するのです。まるで自分自身の痛みかのように、心を共有するのです。

最初の儀式で崖から落ちた老人が死に切れなかった際にみんなが叫んでいたのも、儀式の失敗を嘆いていたのではなく、老人とともに足が折れた痛みを共有していたのです。ペレが両親を亡くした時にも、彼が寂しくなかったのは同じように村人たちが悲しんでくれたからです。

 

女たちの声がダニーの背中を押して、ダニーは存分に泣き叫びます。

家族を失った悲しみに、この村へ来る前には声を押し殺して、喉を詰まらせ1人っきりで泣いていた彼女が、クリスチャンを失った今、女たちと一緒に大声で泣き叫びます。

家族を失った時には誰も彼女の悲しみをまともに取り合ってくれませんでした…クリスチャンは心から彼女を気遣ってくれる存在ではなかった…しかし今、彼女は彼女の悲しみを自分のことのように悲しんでくれる「家族」に出会ったのです。

 

 

18. やってしまったクズスチャン

そうとも知らずにマヤと交わるクリスチャン。

裸の老婆に腰を揺らされて、クリスチャンは射精します。

するとマヤは、脚を抱えて、しっかりと受精できるような体勢に。「赤ちゃんを感じる」…と恍惚とした表情のマヤ。

ここで一気に気分が醒めたクリスチャンは、状況の異様さに気づきます。裸の老婆たちに囲まれている自分。自分を好きなわけではなく、あくまで種付けの手段としてしか見ていなかったマヤ。女たちに見られながら性交をしていた状況…。

 

やってしまった…(ダブルミーニング…)。

 

慌ててクリスチャンはその場から逃げ出します。逃げ出すと言っても全裸。寝室に服を取りに行こうと向かいますが、そこからはダニーたちの悲鳴が聞こえてきます。そこには入れない、と方向転換すると、ペレがいつぞや庭いじりをしていた庭へ。

庭の草花の間に、ジョシュの足が逆さまに刺さっています。

 

ゾッとして走り出すクリスチャン。

どこか隠れるところはないかと、慌てて家畜小屋へ。

 

この家畜小屋には…うつ伏せに吊るされたサイモン。

目にはひまわりを刺され、古代から伝わる実在の処刑法「血のワシ」で、生きたまま肺を取り出され翼のように背中に広げられたサイモン…。

 

やはり、彼らは村人たちに殺されていたのです。

 

真相を見てしまったクリスチャン。

村人によって睡眠薬をかけられ、その場に倒れます。

 

 

19. 最後の儀式、ダニーの解放

クリスチャンが目を覚ますと、最後の儀式が始まっています。クリスチャンは薬のせいなのか、動くことも喋ることもできません。

 

9日間の祝祭の、最後の儀式。

メイ・クイーンのダニーは、全身を花のローブに包まれて、大きな花の妖精(妖怪?)のようになっています。

最後の儀式では、村の人口を調整するため「9人の生贄」を出します。村人から4人、村の外から4人、もう1人はメイ・クイーンが決める習わしです。

既に最初の老人男女、サイモン&コニー、ジョシュ、マークは死んでいます。

そして自主志願者として、サイモン&コニーを連れてきた村人と、もう1人の代表者が生贄に志願。これで8人。

最後の1人は、くじ引きによって選出さらた村人と、部外者クリスチャンとのどちらにするかを、メイ・クイーンのダニーが選びます。

 

ビンゴのようなくじ引き機から、村人の名前が書かれた玉が吐き出されます…。

その村人の名前は…。

 

「トービヨン!」

 

…誰?

 

ここへ来て、まさかのガチモブ登場。

ハンサムダンディな村人、トービヨン氏が堂々と前に進み出ます。

 

これまで散々クズっぷりを披露してきたクリスチャンと、上映開始から2時間後に初めて登場したトービヨン。

 

人の生死を左右する権利を与えられて、震えながらも自身の役割を全うしようと心を決めるダニー。

ダニーの決断は……。

 

 

生贄の9人は、黄色い神殿に入れられます。

それぞれ、花、木、草などで人形のようにされています。スキン・ザ・フールされたマークは道化のような格好です。

最も神聖なものから穢れたものまでを燃やす。

最も穢れたものを象徴するのは、野蛮な熊。

 

熊を解剖して皮だけにし、その皮を、意識はあるけれど体を自分では動かせないクリスチャンに被せます。「冬」の大人たちがその手順を「春」の子供たちに教えます。

 

全身に熊の皮を被ったクリスチャン、いやクマスチャンが、最後に神殿の中央に座らされます。

6人は既に死んでいますが、志願者2人とクリスチャンは生きたまま。志願者たちには、痛みを感じない薬が与えられます。

 

そして、神殿に火が放たれます。

 

大きな火で燃やして、終わらせる。

多くの祭りで見られるやり方です。

 

声すら出せないクマスチャンは、静かに炎に包まれます。

生きたままの志願者たちは、炎の痛みで悲鳴をあげます。

それに合わせて、燃え盛る神殿を見守る村人たちも、一斉に苦しみもがきます。燃えている仲間の苦しみを分かち合うのです。苦しいのは志願者だけではない、彼らに押し付けて自分は逃れたのではない、彼らと同じように自分たちも苦しむ。

 

ダニーももがき苦しみます。

恋人の命を自分の決断で差し出した苦しみ。

恋人が苦しんでいることの苦しみ。

恋人に裏切られた苦しみ。

ずっと孤独だった苦しみ。

家族を失った苦しみ。

ガス中毒で自殺を図った妹の、父の、母の苦しみ…。

 

全ての苦しみを、みんなと共有し、全て吐き出します。

花の精が、燃える神殿の前で絶望的な叫びを上げます。

 

そして神殿は燃え崩れ、苦しみは土へ還ります。

 

苦しみから解き放たれ、自由を手に入れたダニーの"笑顔"で、この映画は幕を閉じますーーー。

 

 

20. 「機能」としての人間…ダニーは幸せになれたのか

これまで散々、不穏な音や音楽、声で恐怖を煽ったこの映画…ラストのダニーの笑顔の後に流れたエンドロールの曲は、なんと爽やかでハッピーなロックチューンなのです。

オープニングの冬と、エンディングの夏の差をここでも存分に感じて、観客も「後味わるーい…」ではなく「ハッピーエンド! よかった!」で劇場を後にできます(かどうかは人によります)。

 

さて、果たしてダニーにとってこれは幸せなのでしょうか?

ここからは、私の個人的な考察です。

 

このホルガ村は、ルールに則って全てが合理化されているとともに、完全に"個"を消した社会です。

プライベートな個室はないし、食事も寝室もみんなで共有し、赤ちゃんもみんなで育て、性に関することも司祭が管理し、快楽も苦痛もみんなで分かち合います。

労働や役職などは個々人の向き不向きをみて采配されるので、それぞれの個性は尊重されつつも、「自分だけのもの」にすることは基本的に許されない社会。

自由恋愛や自己実現など"個"の快楽の追求は「夏」の巡礼期間に村の外で好き放題やって、村にいる間は規律に従う…という「遊びたい盛りに遊びまくってあとは落ち着く」みたいなことも、ある種とても合理的にできています。

「オラこんな村いやだ」と言い出さない限りにおいては、とても幸せに暮らせそうではあります。

 

ただし、これは人を"機能"としてしか見ていないということでもある。

適齢期がきたから子を産ませる、外部のDNAが必要だから旅行者を招く、役に立たなくなったから老人は生を終わらせる…。それぞれを「この社会のサイクルを回すための尊い所業」として讃えることで自尊心を満たしながらも、車輪を回し続けるための歯車として機能させるのです。車輪が回り続けることが先決で、個々人の意思や意見は無視される…(だから簡単に殺人がまかり通る)。

 

近代化した社会ではこれは許されることではない。「産む機械」発言が問題になるのは、人を機能で見てはいけない、という認識が社会で共有されているからです。

しかし、“個”を尊重する私たちの世界は、個々人に「自己責任で自身の人生を選択する」ことを求めます。子どもに進路を選択させ、就職で失敗しても失恋しても家族を失ってもそれは各自で乗り越えなければならない。誰かが救ってくれるわけではなく、その悲しみに寄り添ってくれる人がいるかどうかはその人次第です。そのリスクヘッジも、各自がしておかなければならない。その代わり、成功すればその喜びは独占できる。

 

要は「大きな政府」「小さな政府」と同じことで、「大きな政府」に完全管理された社会は、その社会に馴染めないアウトサイダーやマイノリティにとっては地獄です。逆に「小さな政府」では、誰も予測できなかったような不慮の悲劇によって人生が転落することもある。

 

ダニーは、自由ではあるけど悲劇から救ってはくれないアメリカから、管理統制されているがどんな悲しみ苦しみも「家族」たちと共有できるホルガへ行き、皮肉なことにこの「自由のない」社会で「魂の自由」を手に入れました。自分の身を守るためにダメ彼氏に依存する必要もなく、妹や家族に振り回されずにいられる。

 

しかし我々の社会は、ホルガ的な思想を「狂気」と見ます。

ホルガが許されないとするならば、「自由であるべき」「多様な自由意志が認められるべき」というこの社会で、ダニーが受けたような苦しみから解放されるにはどうすればいいのでしょうか。本人に責任などないのに「自己責任」で切り捨てられる人たちはどう救われるのでしょうか。もはや「血縁家族」という制度すら崩壊し始めている(血縁だけで家族単位を構成することで、いろいろな不都合が生まれている)この社会で、どのように「家族」を獲得すればいいのでしょうか。

ホルガを必要としないために、この社会に必要となるものはなんでしょうか。

…答えは出ない、長い長い問いです。

 

あと面白い事象として、「全てを共有する」ホルガではないこの社会でも「シェア」という文化が生まれています。シェアハウスやカーシェアなど、占有したいはずのものを共有する社会。

果たして、苦痛や快楽も、共有することで孤独に苛まれない社会も到来するのでしょうか。

 

 

21. 以下、書ききれなかった伏線回収

さて、全てをネタバレしてきましたが、回収しきれなかったことがいくつかあるので記載しておきます。

 

・途中、村中に響く「女性の悲鳴」が上がります。ダニーやマークが村の別々のところでこの声を聞いています。これはコニーのものだったのか? コニーがどのように殺されたのかはわかりませんが、水死体のようになって神殿に運ばれました。

 

・書き忘れましたが、ペレが「両親は火に包まれて死んだ」と言っていましたね。ペレの両親は生贄になっていたのです。

 

「90年に1度の祝祭」とは? …メイ・クイーンは毎年?選ばれているみたいだし、ペレの両親(せいぜい20年前?)が生贄になった、ということから、この祝祭の「どこからどこまでが恒例行事で、どこからどこまでは90年に1度のスペシャルなのか」は明らかではありません。

外から人を招く(=外部のDNAを入れて血縁調整する)のが90年に1度なのかな?

 

・映画の最初に映るタペストリーは、このストーリーを全編描いているそうです。心中した家族、ダニーを慰めるクリスチャン、「ハーメルンの笛吹き男」のペレに連れられる仲間たち、明るい太陽の下での祭り。

最初から全部ネタバレしたうえで2時間半も観客を付き合わせるとは、アリ・アスター監督、ニクいやつです。

 

タペストリーだけでなく、部屋の装飾やタイルのペイントなど、そこここにこの村の風習が描かれています。この映画においては絵=予言。伝統は守られる=伝統を描いた絵はその通りになる。巫女ルビンもよくわからない絵を描いていました。

次の巫女に選ばれたペレも、絵が上手で、ダニーに似顔絵をプレゼントしていました。ペレに見初められた時点で、ダニーはもう「予言」の中にいたのでしょう。

 

・村の飲み物は、ことごとくドラッグです。トリップしているようなサイケデリックなユラユラする感覚が、この映画の視覚効果として取り入れられています。

つまりこの村のものを飲み食いしてしまったら、ここから抜け出せなくなってしまう(「薬漬けになる」という意味でも「おかしな風習に違和感を持たなくなる」という意味でも)。

異世界のものを食べたら抜け出せなくなるから、食べてはいけない」というのは、「ヘンゼルとグレーテル」「千と千尋の神隠し」など様々なトリップもので描かれるルールです。

「不味そう」だと料理に手をつけなかったマークは、この村のルールには取り込まれず(敬意を払わず)、禁忌を犯して処刑されました。最初はドラッグに拒否感があったダニーは、最後には出されたものはとりあえずいただくくらいに染まりましたね。(ニシンはさすがに無理でしたけど。)

 

神殿の横に敷かれているブルーシート。あれは何だったのでしょう? 真意は分かりませんが、個人的には「神殿を燃やした時に、森に火が燃え移らないように」かな…? と推察しました(作中の伝統という意味でも、撮影時の配慮としても…)。

 

他にもルーン文字など気になる方は、「見た人限定、完全解析ページ」が公式にあります。見た人限定です。 公式サイトは閉鎖されたようです。

 

・なんと。ホルガ村のホームページがあります。(ファンサイトかな?) 最高にチープです。 

こちらも公開終了したようです。

 

さて、他にも取りこぼしがある気がしますが、とりあえず以上です。

視聴後の感動の勢いのまま書き連ねたこんな長文を読んでくださり、ありがとうございました。…そもそもここまで読んでくださる方はいるのだろうか…ぜったい途中で心折れるよね…読んでくださった方、ありがとうございます…。

読み切ったあなたはきっと、私と同じミッドサマー入信者ですね。

 

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