旅するトナカイ

旅行記エッセイ漫画

『もののけ姫』でアシタカがなぜ「たたら場に残った」のかようやく理解した

ナウシカ千と千尋に続いて見てきました。もののけ姫

 

まずは感想漫画をどうぞ(3ページ)。

f:id:i--o:20200718020125j:plain

 

f:id:i--o:20200718020137j:plain

 

f:id:i--o:20200718020149j:plain

 

 

さて、ひとしきり悟ったところで。

 

私が今まで見たジブリの中で最も難解だった『もののけ姫』でしたが、この歳になってようやくいろんなことがわかりました。

映画のラストで、なぜアシタカが「たたら場に残ろう」と言い出したのか。いや、そう言わざるを得なかったのか。

 

…今更ですけど映画のラストまでネタバレ全開なのでお気をつけください(タイトルの時点で手遅れですね)。

 

[この記事の目次です]

 

 

 

 

 

1. 「女の敵」と思われがち、不遇のアシタカ

アシタカといえば、最初に何が思い浮かびますか。

…そうですよね。

 

カヤに「ずっと君を想うよ」と言っておきながら、旅先でサンとデレデレイチャイチャしてる気に食わない男、ですよね。

 

 

私自身は、まぁこの時代だし貞操観念も今とは違うだろうからそこまで腹は立ててない…というかそもそもこの物語全体が理解できなさすぎて全然それどころじゃない、という印象でした。

 

しかし、今になって見ると、アシタカは浮気者でもなんでもない。

 

彼は断じて、故郷を棄ててたたら場でぬくぬく暮らしつつ時々サンとの逢瀬を楽しむ、そんな甘っちょろい境遇ではないのです…。

 

 

2. アシタカは村で死刑宣告を受けている

アシタカが生まれ育ったのは「エミシの村」。エミシ=蝦夷(東北地方)、日本史で習いましたね。この物語では、大和朝廷に追われて、険しい山の中に逃げ延びてきた民族だと語られています。

 

この村にタタリ神が現れ、村人を守るためにアシタカは本来ならば傷つけてはいけないタタリ神を射殺してしまいます。

タタリ神の恨みを受けて、アシタカの右腕は呪われます。

 

この呪いは、やがて身体全体に広がり、死に至らしめる呪いです。

 

 

村のトップであるヒイ様に言われて、アシタカは村にいてもいずれ死んでしまうので、西へ旅に出て呪いを治す方法を探しに行くようにと勧められます。

…しかしこれ、ドラクエの勇者が王様に言われて旅に出るのとはワケが違います。

 

  • 少子化が進む村で、貴重な「長」候補の若者アシタカを旅に送ることに男たちは絶望している。
  • 「村の掟」によって、誰も見送ることは許されていない
  • 村人たちの目を忍ぶように、夜中にこっそりと旅立たなければならない。
  • 危険な旅なのに、付き添いの者もつけないし、餞別も何もない

 

…つまりアシタカは村を「追放」されたのです

 

カヤが罰を覚悟でアシタカを見送りに来ますが、勇ましい旅人の門出であれば見送りがあって当然のはず。それを夜逃げのように出ていかなければならないのは、経緯はどうあれ村人から後ろ指を刺されるような形で逃げ出していく状態だから、ということです。

 

村にいても、どうせ呪いで死ぬ。

しかも醜く苦しむような死に方で。

 

たった一人で西の果てまで旅をするなんて、それもまた死ぬ可能性がめちゃくちゃ高い。

行ったところで、呪いの謎が解けるかなんて分からない。

 

アシタカは、キツい言い方をすれば「どうせ死ぬなら他所で死ね」と言われて旅立ったのも同然なのです。

 

 

3. アシタカにとってのカヤの存在は

Wikipediaによると、アシタカとカヤは許婚の関係のようです。

夜中にこっそり会うことができるくらいには公認の中なのでしょう(狭い村で誰も気づかないはずないので、みんな見て見ぬ振りするものなんだと思います)。

 

冒頭、タタリ神に襲われかけた3人乙女のうちの1人がカヤです(たぶん、転んだ女の子を守るために勇しく剣を抜いて戦おうとした子かな? うろ覚えですが)。

彼女たちを守るために、アシタカは呪いを覚悟で弓を引きました。ヒイ様に「タタリ神を殺す時にもう覚悟はできていた」的なことを言っています。

アシタカの中では、カヤたちを生かすために自分は既に死んでいるのです。

 

つまりもう、カヤは身を寄せ合って共に生きていく関係ではない。自分がこれのために死んでもいい、あとは頼んだぞ、というスッパリとした区切りはタタリ神と戦った時点でついていたのです。

 

では、カヤとの別れのシーンで「ずっと想おう」と思わせぶりっぽいことを言って別れたのはなぜか。

 

単に、許婚が見送りにきてくれたことが嬉しかったのかもしれません。

 

これから過酷な外の世界に一人でほっぽり出されるという時に、村に想い人がいることが、せめてもの心の支えだったのかもしれません。

 

男らしく「私のことは忘れて、他の男と幸せになりなさい」と強がろうにも、村には他に適齢期の男なんて一人もいないのかもしれません。

 

 

…いずれにしても、村から追放された男の「ずっと想おう」という言葉は、「村に戻ってくるまで待っててくれ」という愛の約束ではなく、永遠の別れの挨拶なのです。

 

 

4. たたら場は被差別者の受け皿

さて、あれこれを経てアシタカは「たたら場」に行き着きます。エボシ御前を当主として、鉄鋼産業で栄えている村です。

男よりも女たちの方が威勢が良く、本来なら女人禁制のたたら場(鉄工所)も女たちが切り盛りしています。男たちは牛を引いて、鉄を売って食糧を買ってくる交易担当です。

 

アシタカは最初は、タタリ神を生む元凶となったエボシ御前に敵意を剥き出します。

しかし女たちの働く様子を見て、一緒にふいごを踏むうちに、エボシ御前を恨む気持ちが萎えていきます。

 

エボシ御前は、自然を傷つけて鉄=兵器を作っています。

しかしここで働く人たちもまた、人間社会で傷つけられてきた人たちなのです。

 

  • 売られた女を誰であっても引き取って面倒を見ている、エボシ御前。
  • 体力的にキツいたたら場の仕事でも「下界よりマシ。お腹いっぱい食べれるし、男がいばらない」と言っていた女たち(単に「男ウザい」という意味ではなく、社会で人道的にひどい扱いを受けていたことをマイルドに言っているのでしょう)。
  • 全身がただれてしまって村人から敬遠されていても、庭の奥で仕事をしている病人たち。

 

…そう、たたら場は、理不尽な人間社会で差別された人たちを「人」として扱い(女たちも売買されている時点で「モノ」扱いされていました)、仕事を与え、尊厳を持って生きる場所を提供しているいわば社会のセーフティネットだったのです。

 

しかしたたら場の中でも立場の上下や差別は存在します。病人たちはその見た目を恐れられて、ひっそりと「エボシ御前の庭」の奥に籠もって生活していました。長老が「包帯を変えてくれるのはエボシ御前だけだ」と言っていました。

 

エボシ御前は弱者を決して見捨てず、共に生活できる社会を作ろうとしている、慈愛に満ちた人なのです。

もしかしたら彼女自身にも、つらい過去があったのかもしれません。

 

 

5. 呪いが解けても、アシタカに帰る場所はない

シシ神様大騒動を経て、山には平和が訪れ、アシタカの呪いも解けます。

ではアシタカは、故郷へ帰ればいいのか…?

そんなわけにいきません。

 

一度は、自分に死を宣告した村の人たちです。

彼らは「解決したら戻っておいで」と送り出したのではなく、アシタカを死んだものと見なしているのです。戻ってきて欲しいなら、無事に戻ってこれるように仲間をつけてくれているはずです。

 

自分を見捨てた村に戻ったところで、なんになるでしょう。

「おかえり、じゃあ村の長になってね」なんてことが、どうしてあり得るでしょう。

 

でもだからといって、サンと一緒に森で暮らすのは無理があります。

アシタカは普通の人間生活をしてきた一般ピーポーです。

 

帰る場所を失ったアシタカが生涯を送れる場所は、人間社会から弾かれたあらゆる人を受け入れてくれるたたら場しかなかったのです。

 

 

…ちなみにこの世界では「呪い」と言っていますが、これは致死率が高く治療薬もない当時の「病気」のメタファーだと考えられます。

タタリ神は、環境汚染をしてきた人間へのしっぺ返し…公害を具現化したものかもしれません。

治療法がなく、原因があまり解明されていないがために「呪い」として扱われ、人にうつるかもしれないので倦厭される…。

アシタカの村の人たちが彼を追放したのは「他の村人たちにうつされるわけにいかない」というシビアな勘定と、たとえ村で療養したとしても村人から差別の目で見られてつらい思いをするから、という計らいもあったのでしょう。

新種の病と出会った人類が、歴史を通して何度も繰り返してきた悲しみです。

 

 

6. サンとアシタカー「捨てられたもの同士」で「共に生きる」

サンとアシタカ、中盤はバリバリ恋人っぽいのですが、ラストでは結婚するわけではない…? という不思議な関係です。

 

山犬・モロに育てられたサン。

サンは、モロに襲われかけた村人が、自分が助かるためにモロの餌として投げ捨てられた子です。

かわいそうに思ったモロは、彼女の母親がわりとなって育てたのでした。

 

自分の実の家族や、生まれ育った故郷の人たちに「死」を突きつけられたアシタカとサン。

二人には、二人にしかわからない痛み、苦しみ、葛藤があります。

 

サンとの別れ際に、アシタカは「時々、森に会いに来る。共に生きよう」と告げます。

 

これは「君が恋人だよ」とか「遠距離だけど別居婚しよう」とかいう意味ではなく、「お互いに生まれ故郷の人たちから棄てられた辛い境遇で、そんな自分なんて死んでしまってもいいと思うこともあるだろう。でも私は死なないから、君も死なないで、お互いに生きていよう」という、もっと根源的に自分たちをこの世界に留めるためのメッセージだったのです。

 

 

…………。

 

 

 

もののけ姫』の宣伝キャッチコピーとして、糸井重里さんが50本近くの案の中から選び抜いた言葉。

 

 

 

 

生きろ

 

 

 

 

これは、激しい戦禍や厳しい森の自然の中でも死なずに生き延びる、という意味だけではありません。

たとえ自分に生きる価値がない、生きる意味がない、誰からも必要とされていないと感じてしまったとしても、事実そうであったとしても、死ぬ道を選ばないでほしい。それでも私は生きるから、あなたも生きてほしい。

 

 

サンに助けられたアシタカが洞窟で目を覚まし、崖に出て山の風景を眺めるシーンがあります。

そこへモロが「いっそ、ここから飛び降りれば楽になれると思ったか」と声をかけます。

 

ここで死んでしまえば楽かもしれない。そんな時でも、死なないで、生きてほしい。

 

きっと再スタートするたたら場での生活も、楽ではないでしょう。戦は起きるだろうし、新しい病は次々と生まれるでしょう。

どうしてこんなところで生きているんだろう…と思う日が、アシタカには何度となく訪れるでしょう。

 

でも、アシタカがサンと最後に交わした約束は「生きる」こと。

彼はきっと、世界の理不尽や不条理に傷つきながらも、生き続けるでしょう。

 

 

 

………というところまでを踏まえた上で、もう一度、エミシの村を旅立ったアシタカが、美しい明け方の山を駆けていくシーンを思い出してください。

 

美しいほど厳しい大自然と、そこに響く、久石譲の名曲「アシタカ𦻙記(せっき)」。

 

死ぬべき墓場を探して旅に出た青年の、なんと美しいことか、悲しいことか。

 

 

 

…以上のようなことが一気に去来して「なるほどね完全に理解した」状態になれたので、「一生に一度は、映画館でジブリを」キャンペーン、頼むからお願いだから数年に一度はやってほしい。

ちなみに『もののけ姫』に関しては4DMXでお願いしたい。

 

以上です。