『メタモルフォーゼの縁側』という漫画をご存じでしょうか。
同人オタク界隈では人気の作品だと思うのですが、芦田愛菜ちゃん主演で映画化されて更に知名度も上がったのではと思います。
このマンガが本当に良いんです。めちゃくちゃ良いんです。
どのくらい良いかというと、フィンランド旅行中に気持ちのいいオシャレ図書館にいながら、観光そっちのけでスマホの電子書籍で一気読みしてしまったくらい良いんです。
あまりの良さに完結してしまったことが悲しすぎてなんなら作者を本気で恨んでるくらい良いんです。
もう良さが溢れ出して止まらないので、読了したのは随分前ですがこの機会に書き残しておきます。
あらすじ
主人公は、地味なBLオタクの女子高生と、夫に先立たれて一人暮らしのおばあちゃん。
おばあちゃんが出かけた帰りにたまたま立ち寄った本屋で、「絵柄がキレイ」と思って買ってみたマンガがなんとBL(ボーイズラブ)作品で、読み進めるうちに「あららら〜〜〜?」とBLの扉を開いてしまう、という話。
おばあちゃんと女子高生の美しい友情
このあらすじだけだとエキセントリックなキワモノ作品のようなのですが、本作品の魅力はこのおばあちゃんと、BLマンガを買った本屋でバイトをしている女子高生との友情の美しさ。
どちらも地味で友達が少ないタイプなのですが、そんな相手を思ってお互いがお互いを外の世界へと少しずつ連れ出していく、その奥ゆかしい勇気が美しい。
女子高生はおばあちゃんに「この作品が好きならこっちもお薦めですよ」と教えてあげたり、推しの作家さんが参加している同人誌イベントに一緒に行ってみたりと、歳のせいでお出かけする機会も減ったおばあちゃんを外の世界へと連れ出します。
女子高生らしいウブな遊び方が、おばあちゃんが忘れていた「外に出る楽しみ」を思い出させて、少しずつおばあちゃんの生活に張り合いを生んでいく。
一方、書道教室の先生をしているおばあちゃんは持ち前の面倒見の良さで、引っ込み思案で自分に自信のない女子高生に「自分でも同人誌を描いてみたらいいじゃない」「印刷所なら知り合いがいるから」と鼓舞します。まさか自分がマンガを描くなんて思ってもいなかった、特に将来の夢も目立った取り柄もない女子高生に、自分の力でなにかを作り上げ成長していく喜びを教えます。
自分のことでは頑張れないくせに、人のことになると大胆になれる。そんな2人が、「こんなことしたら迷惑かしら」と思い巡らせながらも「えいや」とおせっかいをすることで相手の世界を広げていき、そしてそれがまた自分を「今の自分」の外側へと連れ出してくれる。
そんな2人の友情が掛け値無しに美しいのです。
「初めて同人誌を作った」あの感じ
これは同人誌を作った人にしか伝わらないのかもしれませんが、主人公たちが生まれて初めて同人誌即売会に足を運んだり、初めて同人誌を作る様子には共感の嵐。
勝手が分からなくて戸惑ったり、自分のニッチな趣味に友人を付き合わせて悪いなぁと気を遣ったり、周るペースや体力が合わなかったり。
それでも作品を愛する気持ちは同じなので、次もまたその次も、相手に声をかけてしまう。
そして初めて自分で同人誌を作って、印刷所から届いた段ボールを開き、綺麗に製本された本を目にした瞬間の、あの感じ。
自分が生み出したものなのに、自分の手で作り上げたものなのに、印刷所の手を通して見違える姿になってまた自分の作品と出会いなおす。
段ボールを開けて緩衝材の紙を取り出して、そこにあらわれた表紙を目にして「ああ、あなたはこんな顔をしていたんだね」と、自分の作品の姿を初めて知る。
恥ずかしいから誰にも見られたくない、でもそれと同時に世界中の人にひとり残らず見てほしい。
未熟だけど誇らしい作品が自分の手の中にあるこの感覚。
これは生み出したことのある人にしか味わえない感覚かもしれません。
その幸福と羞恥心を、私たちは主人公の女子高生の姿を通して体験できます。
この子は決してスラスラ言葉が出てくるタイプではないので、セリフ自体は少なくてたどたどしい。でもその、じっくりと考えて出てきた一言に「同人誌を作った人間のすべて」が凝縮されている。
同人書きなら5万文字書けそうなくらい溢れ出るさまざまな混濁した感情を、小さな一言に凝縮してポトリとマンガのページに落としていく、この女の子のなんと愛おしいこと。
「この女の子は私だ」と、いつのまにか自分が彼女に憑依していくのです。
「いつか失われてしまう」ものに涙せずにはいられない
この『メタモルフォーゼの縁側』、私はもう1巻ごとに涙無しには読めません。
悲しいシーンはまったくないし、ドラマチックな展開は皆無なのに、自分は心のよわーいところを突かれて涙が溢れてきて止まらない。
細かい描写のひとつひとつに、言葉にならない「そうそう、その、その感じ」と心が泡立って止められない。
それはつまり、私がもう歳をとって「時が経つにつれていずれ失われることを知ってしまっている」ということなのです。
おばあちゃんと女子高生との友情や楽しい遊びの時間も、初めて同人誌を作る興奮や不安も、時間が経てば受験勉強があったりおばあちゃんには寿命がきたり、同人誌も作り慣れてしまったり何かのきっかけで筆を置いてしまったりするということを、30年も生きていたら知ってしまっているのです。
この感じは永遠には続かない。
いずれこの美しい時間、美しい関係、このバランスは形を変えてしまう。消えてしまう。失われてしまう。
そのことを知っていることが悲しくて、涙が溢れて止まらない。
「瑞々しさ」とはそういうことなのです。
初々しい、ちょっと世間知らずで向こう見ずで、不安だけれど楽しみでドキドキと胸が高鳴ってしまう、この「瑞々しさ」はいずれ擦れて垢抜けてしまう。
友人関係も歳を取れば変わってしまう。
失われてしまうものだからこそ、私たちは何度でもこの作品を読んで思い出したくなる。「もうここにないもの」を振り返って、そうだったなと心を入れ直す。そしてまた次の作品や、新たな人間関係へと前向きに向かっていく。
私たちはもう、同じことを繰り返すことはできない。でも、次の若い人たちが、この女子高生のような「これから」の子たちが、きっと同じように私たちが経験したことをいま経験している。
そしてこのおばあちゃんのように、すっかり忘れ去ってしまったことをまた誰かに思い出させてもらえる。それは初めての新鮮な体験のはずなのに、旧友に再会するような懐かしさがある。
だから私たちはものを作りつづけるし、人と出会いつづける。
「漫画描くの楽しい?」
「…… あんまり楽しくはないです」「自分の絵とか 見ててつらいですし 1日に3回くらい正気を疑います」
「そうなの?」
「でも 何か… やるべきことを やってる感じがするので 悪くないです」
『メタモルフォーゼの縁側』4巻より
映画はわからんけどとりあえず漫画は読んでください
最終巻は終わったことが悲しすぎて記憶がないくらいそこまでが良いです。
特に同人誌に馴染みのある方はぜひ。
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— トナカイフサコ / 漫画家 / 旅するトナカイ (@fusakonomanga) 2022年6月11日
なんと今回は1日目ええええええええ
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