アマゾンの森林火災がニュースになっています。
なんと地球の酸素の20%を作るアマゾンの熱帯雨林で、火災が多発しているのだとか。
私がこのニュースを知ったのは日経新聞のツイート。
「国際的な危機だ」。地球上の酸素の20%が作られるというアマゾン熱帯雨林の火災を問題視するフランスのマクロン大統領ら。一方でブラジルのボルソナロ大統領は政府に責任はないと主張、対処方針も示せていません。https://t.co/2t54RZTafP
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) August 23, 2019
この見出しを最初に見たとき、
「やべーじゃん…このままじゃマジで地球終わる…
『ブラジルの大統領は責任を否定』?そりゃそうだよ、アマゾンがある国が悪いんじゃないよこれは、地球人全体の責任だよ…。
もっとエコな活動しなきゃ、カーボンニュートラルな国を目指さなきゃ、
でも夏は暑いしクーラーは点けたい、点けなきゃ死にそうなくらい暑い…
でも私がクーラーを付けることで熱帯雨林が燃えている…
私は一体どうしたら…」
ということでした。
この「どうしたら…」に対して、このニュース記事は何かヒントを与えてくれないかしら、と思って記事ページに飛んでみたところ。
「私がエコ活動するかどうか」云々では済まない、
もっと難しい「国家」の問題がありました。
記事のリンク先はこちらなのですが、
フランス大統領や国連はこの事態に対して「これはやばい」「G7で対応検討しようよ」「守らなきゃ!」と発言をしているそうです(そうだ!いいぞ!みんなで熱帯雨林を救おう!)
しかしこのニュースに対して、ブラジル大統領は「我が国の責任ではない」と発言…これは「地球人全員のせいだ」と言っているのではなく。
そもそもこのニュース自体、過去のニュース画像を切り貼りして誤解を生んでいるんだ。という立場なのだそうです。
「えっ…なんで…?
熱帯雨林の保護が絶対に必要なのって地球人全体の共通認識だし、他の国がブラジル一国じゃ大変だろうから手を貸そう、って言ってるんだよ…?」
「なんでブラジルそんなこと言うの???」
そう思いながら、さらにニュースを読み進めていくと。
ブラジルの現大統領は「みんなが口を揃えていう森林保護ってさ、うちがそんなしなきゃいけないことなの?」という立場なのだそうです。
温暖化しているから地球の酸素を供給してくれる熱帯雨林は絶対に必要で、保護しなければならない…って言うけどさ、そんなことないんじゃない?
熱帯雨林、ほんとはなくても困らないんじゃない??
なんでそんなことを言うのか。
貴重な国土を、農地とか工業地として使いたいのです。
ただ草木ボーボー&アニマルわんさかの森林にしておくよりも、その土地を開拓して産業に使った方が国としては経済効果があるからです。
そしてブラジルという一つの国が、自分たちが発展して豊かになっていくために自国の国土をどう使うかなんて、他国に口を出されることではないのです。日本が国内で「ここは田畑にしよう」「ここは都会にしよう」と土地開発することに、全世界にとやかく言われる必要がないのと同じです。
ブラジルにとってはあくまで「自国の領地」であり「自国の発展のための政策」。
しかし、それが温暖化している地球にとって絶対的に必要なアマゾンの熱帯雨林であるがゆえに、他国から「開拓するな」という声が出る。
これを読むと、一気に「熱帯雨林保護だ!」と叫ぶことの「言葉の意味」を考えさせられます…。
私が地球全体のために良かれと思って「熱帯雨林保護!CO2削減!」と言って行動に出ることはつまり、ブラジルに対して「あなたの国の土地はそのままの状態を保護し続けて、国の発展のために使わないでね」と言っているのと同じなのです…少なくとも、現政権のブラジルにとっては…。
地球全体から見たら「国を豊かにしたいと思えばこそ、地球環境のために森林保護しないといけないんだ。金のために伐採するなんて」というのは正しい、とても正しい。
でもそれを他国から言われる立場になったら、「なんでうちばっかり」ってなる気持ちはすごく想像できるんです。「じゃああんたの国に同じくらいの森林作りなよ。そっちはとっくに伐採して都会化しておいて、こっちに森林保護を押し付けるなんてズルいよ」って言いたくなる。
「格差」というのは、こういうことなんだ…。
片方には何かがあって、片方には何かがない。
そしてその片方がもう片方に、「こうせよ」と言うことは難しい。とても難しい。だって立場が違うんだから。
ことの問題は、地球の酸素の20%を生む「地球の肺」をもつブラジルに対して、私たちが何をしてきたか、何をしてこなかったかだったのです。
ブラジルがもし自国のためだけでなく地球全土のために森林を保護してくれるのだとしたら、私たちはそんなブラジルに何をしてきたのでしょうか、これから何ができるでしょうか。
都市が発展し、暮らしが便利になり、美味しい食べ物をたらふく食べたりお金をたくさん稼いでリッチな生活をすること以上に、たゆまぬ森林保護の努力をしている方がずっと良いと思ってもらうためのことを、私たちは何かしてきたのでしょうか。
もしかしたら援助をしたり基金があったりはするのかもしれません。しかし「お金」が絶対的な豊かさの指標ではない、というのは「お金のために森林伐採するなんて」という主張の裏返しです。
私だったら、いくらもらったら「うちの国の森林ガチで保護しようぜ!」ってなるだろうか…。
でもいくらお金をもらっても、富や材やモノやサービスが溢れる発展した都会に憧れちゃうと思うんだ…。
例えば自分が森の中に住んでいて「ここを保護管理する代わりにめっちゃお金あげるよ」って言われたらどうでしょう。
……
……
「いやショッピングモール欲しいわ!!」
「この土地切り開いてスタバとか立ててぇわ!!」
「ここじゃ大自然すぎてアマプラ会員でも翌日配送されねぇわ!!」
ってなるよなきっと…。
お金もらってもそのお金は森林保護に使わなきゃいけないし、遊んで暮らせるほどのお金をもらったとしても遊ぶ場所なきゃ意味ないじゃん…。
というわけで、「ではどうすべきか」という妙案までは思いついてないのですが…。
ひとまずニュースの「見出し」だけではなく「本文」を読んだ結果、おいそれと140文字でツイートできるほど簡単な話ではなかった、というお話です。
あ、それはそれとして、CO2を削減するための日々の心がけはブラジルの政策とかアマゾン火災とか関係なくやった方がいいことだと思うので、やろうと思います…。
ちなみにもうちょっと突っ込んだ話はこちらの記事にも(でもここでも「じゃあ森林保護してくれるブラジルには他国は何を返してるの?」という点は語られていない…。)
フランスとブラジルのそれぞれの主張に着目して取り上げているのはこちら。
これを読むと、確かに「ブラジルを参加させずにG7でブラジルの森林の保護について議論するのはおかしい」っていうブラジル大統領の主張にも頷けるし、一方で「環境保護なんていらないじゃんって言っちゃうようなブラジル大統領を議論に参加させたら、保護できるもんもできなくなる」っていうG7側(?)の思惑もめっちゃわかる。
最近こういう「ニュースの見出し」だけを見て「ああなんじゃないか」「こうなんじゃないか」と考えを巡らしていたことが、ちゃんとニュース全文読んでみた途端に「私が思ってるような単純な問題ではなかった…私はなんて浅はかだったんだ…」と絶望することが多くて、今回もその例でした。