おバカタレントがもてはやされた時分はそれはもう大変で、たぶん日頃のストレスも多い年頃だったんだとも思うけれども、「日本語がおかしい」「そんなことも知らないのか」とずっとぶつぶつ言っていた。
そんな家を出たからかそう感じるだけなのか、いいかげん世の中も言葉(や世界の様々な)変化に対応してきたのか、そういうことを言う大人は周りに少なくなった。
それでも確かに、様々な形容詞たちが「すごい」と「ヤバい」に集約されて、いよいよ日本は会話の空気を読めなければ生きていけない国になった。そこに「ハンパない」「レベル高い」なんかも加勢して、いやはや人類は便利なものを発明する天賦の才を授かったものだ。
さて、ものごとは、何か進化すれば何かが退化する。
何かが減れば何かが増える。
右足を怪我すれば左足が庇う。
いまの言葉において形容詞が極端に減ったことで、それを庇うように名詞が極端に増えたように感じる。
女子力。女子会。草食男子。イクメン。
いじめ。セクハラ。空気。
愛国心。幸福度。
「自分大好きな人」は「自己愛強すぎ」で、なんとなくさっくりと軽くなるし
「病んでる人」は「メンヘラ」で、なんとなく社会で許容される感が出る。
形容詞は対象をずばり指し示してしまうけど、
名詞は対象をただカテゴリ分けしただけになる。
カテゴリ分けには、個々人の解釈が介在するので、対象をずばり断じることを避けられる。単語自体は尖るけれど、言葉はやわらかくなる。
形容詞が何かを明言することを止めた分、名詞が形容詞化してそれを補う。
抽象化していく形容詞を、名詞が庇う。
がんばれ名詞。
日本人のやわらかなカンバゼーションは、きみの進化にかかっている。