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【映画レビュー】『ボーはおそれている』ー『ミッドサマー』のアリ・アスター監督による、DTおじさんの『不思議の国のアリス』!

アリ・アスター監督、やってくれるぜ。今作も最高でした。

 

ホラー映画界に鮮烈な風を吹き込む若き監督、アリ・アスター

車を運転中に妹を事故に遭わせてしまい、その現実に向き合えず車も妹もそのままにして朝を迎えてしまう…という強烈にリアルなオープニングから物語が始まる『ヘレディタリー/継承』(2018年)。

家族をみんな失い彼氏は役立たず、天涯孤独だった女子大生が「心を通わせられる家族」と出会ってしまう地獄を描いた『ミッドサマー』(2019年)。

 

そして今作、2023年公開の『ボーはおそれている』

2011年に『Beau』という、本作と同じ名前の主人公が登場する短編映画を作成しているので、それの拡大版・完成版とも言えそうです。

『ミッドサマー』から4年も経っているので完全に油断してました。アリ・アスターファンなら全くの予備知識なしに観て後悔しないはずの力作です。

 

 


www.youtube.com

 

 

主演は『ジョーカー』を大成功に導いたホアキン・フェニックス。『ジョーカー』続編も発表されたので今後さらに話題になりそうな俳優さんです。(先日レビューした『カモン、カモン』でも主役だったので、どうやら今年はホアキンと縁があるらしい。)

 

映画.comより(https://eiga.com/movie/99338/

 

本作では『ジョーカー』のような悪役ではないけれど(というか悪役ではないところが一番哀しいところなのだけど)、ジョーカーにもどこか通じる、心優しくも臆病な主人公・ボーが信じられない不条理に巻き込まれに巻き込まれ、コテンパンにされてくれます。

 

 

以下、目次です。

 

 

あらすじ

↓読まなくても充分にこの映画は楽しめるので、面倒な方は読み飛ばしてください。

日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。

公式サイトより

映画『ボーはおそれている』公式サイト|絶賛上映中

 

というかそもそもこの記事自体、読まなくてもきっと楽しめるので今すぐ映画を見始めてもらってもいいくらいです。

 

それでも読まれる方、映画を見終わった方は、どうぞ↓。

 

 

奇想天外! おじさんが『不思議の国のアリス』のように大冒険

この監督の過去作と同じように、本作もカテゴリとしては「ホラー」に分類されています。

確かに、流血シーンもあるので「ホラー」の心づもりで見始めるのは正解。だけど中身はどちからというと不条理コメディです。

過去の『ヘレディタリー』『ミッドサマー』が、それぞれ世界観は違えどホラーらしいホラー演出をしていたのに比べると、こちらは圧倒的にホラー度低め。

オバケ的なもの、スプラッタ的なものが苦手な方でも大丈夫なはずです。

 

ただし、「ワケが分からないもの」が苦手な方は要注意。

 

 

とにかくこの映画、不条理の連続。

 

 

ちょ、なんでそこでそんなことに…!

 

えぇ〜なんでそうなっちゃうの…!

 

という展開に慌てふためく主人公を笑いながら見続ける作品です。

 

主人公は人畜無害なオジサンなのですが、なぜか不幸があっちから猛ダッシュでやってくる!

「なんで俺が?」「どうしてこんなことを?」泣いて喚いても足を緩めてくれない不幸を目の前に、命からがら逃げ惑う中年オジサン・ボー!

彼の運命や、いかに…!?

 

 

この感じ、何かに似ているな…と思ったら、幼少期に見たディズニーアニメ不思議の国のアリスでした。

 

 

アリスは「時計のうさぎ」を追いかけて穴へおっこちます。
その先には、食べ物で大きくなったり小さくなったり、涙の洪水で流されたかと思うとドードーの踊りに付き合わされたり、双子のトゥードゥルディ・トゥードゥルダムの漫談を聞いたり、イカレ帽子屋のお茶会に参加したり、チェシャ猫に騙されたり……あれこれを経てハートの女王様のいるお城へ辿り着き、最後には理不尽な裁判にかけられ……絶体絶命のところで目が醒める、というお話でした。

 

本作での「時計のうさぎ」は、「死んだお母さん」。

ついさっきの電話では言葉を交わしたのに、次に電話をかけた時には母が死んでいた…。

母のそばに居られなかったこと、最期に良い息子であれなかったことを悔やみ、ボーはすぐにでも実家に帰ろうとします。

 

が、ありとあらゆるトラブル、不条理、予測不能のおかしな事態…アリスの「不思議の国」に登場するようなクレイジーな人々によって足止めされ、なかなか実家に辿り着けない…!

 

その道中も、アリスよろしく舞台はコロコロと展開していくのです。

 

映画.comより(https://eiga.com/movie/99338/

 

家のあったアパートから、見知らぬ家族のおうちへ、森の中へ、空想の物語の世界へ…と、実家を目指しているはずなのにあっちへこっちへ流されるボー。それぞれの舞台は過ぎてしまえば特に顧みられることもなく、頓珍漢な通過点として片っ端から忘れ去られていきます。

 

それはまるでゲームをプレイしているようなもの。

このステージのミッションをクリアすれば、次のステージへ。そこには新たな敵が現れるので、それを倒して次のステージへ…といった具合です。

 

だからあまり深く考えずに、次々現れる可笑しな展開に「えーっ」と笑いながら身を任せて楽しめます。

 

 

現代社会への痛烈な風刺!

不思議の国のアリス』のルイス・キャロルが風刺的なユーモアを得意としていたのと同じように、この作品にも現代を生きる大人たちへの痛烈な風刺がたっぷり効いています。

 

1. 陰キャDTおじさんの生きづらさ

主人公・ボーは、まぁ、決して「成功している」とは言えない中年オジサンです。

 

映画.comより(https://eiga.com/movie/99338/

 

頭は禿げてきているし、お腹は出ているし、ろくに仕事もしていないし、当然お金もない、友人も恋人もいない…。
でも犯罪を犯すような悪い奴でもなく、ただ人畜無害に生きているだけ。

 

それなのに、世間はすごくボーに冷たい。

道ゆく人から暴言を吐かれる。

迷惑がられる。

犯罪者扱いされる。

そして困っていても誰も助けてくれない…。

 

 

これって…<持たざる>中年男性の生きづらさのまさにそれなのでは…。

 

 

特に冒頭のシーンでの街の人々は、ボーにとことん冷たいです。

アパートの部屋で寝ているだけなのに、ドアの隙間から「うるさい、静かにしろ」とメモ書きが差し込まれる。それも何度も、何度も。

落とし物について質問しようと通りすがりのオジサンに声をかけたら「お前は終わりだ」と暴言を吐かれる。

暴漢に襲われて逃げ惑っていたら、警官から自分が暴漢だと疑われて銃を突きつけられる(これに関してはそうされても仕方がない感じではあったのだが)。

若い女の子たちにからかわれて動画で撮られ、反抗すると「あなたが暴力を振るったと言いふらす」と脅される。

 

…なんかこれって、自分は普通に生活しているのに「臭い」とか「うるさい」とか「体が大きくて邪魔」とか言われたり、ちょっと困って人に声をかけたら「不審者」扱いされて誰も助けてくれなかったり、事件が起こったら自分がまず加害者として疑われたり、道を歩いているだけで職質に遭ったり…。

お金や地位や名声があれば、周囲の人たちは自分を(仮に表面上だけだったとしても)丁重に扱ってくれるはずですが、それすらなく、自分を分かってくれる友人も恋人も家族もいないとなると…。

 

 

自分には加害した覚えなんてないのに、なんで加害者になってるんですか…?

 

 

ボーの「なぜ…」「どうして…」という嘆きが、虚しく現代人の胸に響きます…。

 

 

2. フェミニズムに翻弄される「男性」性

フェミニズムに関してはそれぞれの立場でそれぞれに思うことがあるかもしれませんが、主人公のボーの不条理な人生は「女性たち」によって運命づけられます。

 

ヒステリックな母親のトラウマが、自分を縛りつける。

なんとか母に愛される良い息子であろうとするのだけど、それがどうも上手くいかない。母親を怒らせたくない、傷つけたくない、そう思って行動するのだけど、その卑屈な態度がまた母親を苛立たせるという悪循環…。

 

映画.comより(https://eiga.com/movie/99338/

 

映画の冒頭、父の命日にはちゃんと実家に帰ってお母さんに親孝行するつもりのボーだったのですが、トラブルで飛行機に乗り遅れてしまいます。

それを母親に電話で伝えると、母親は「そんなに私に会いたくないのね」みたいな(ネットの「ヒス構文」のお手本のような)反応でボーに罪悪感を抱かせます。

 

ボーの父親は睾丸の病気のせいで、母が自分を授かったまさにその時に亡くなったそうです。そしてその病気は自分にも遺伝しているらしい…。

自分は間違いなく、母親の「女性性」と父親の「男性性」によってこの世に命を授かったのですが、でもその「男性性」は「命を奪うもの」として強烈にボーの頭に焼き印をつけられます。

健全に「男性性」を育むことができなかったボーは、「男としての自分」を成熟させることができないまま体だけが大人になってしまいます。

そう。顔と体はすっかり中年になったのに、中身だけがピーターパンのように少年のままなのです。

 

 

 

……他人事だと思えないね…ッッ!!(ハンカチを噛み締めながら)

 

 

 

他にも。

旅の途中で出会う数々の女性たち。

彼女らは傷付いたボーを放っておけず、安全な宿を提供します。まさにボーが求めていた優しい母性によって、ボーを包んでくれます。

 

映画.comより(https://eiga.com/movie/99338/

 

でも、やっぱりあくまで他人。

ボーの人生を100% 背負ってくれるわけではないし、彼女たちには彼女たちの家族がいて、人生がある。

もちろんボーだってそこまで彼女らの厄介になるつもりなんてないのですが、でも、やっと彼が見つけた「人肌の温もり」のようなものがあっけなく奪われる瞬間はいつも悲しいものです。

 

 

3. 繊細さんから見える世界

「繊細さん」という言葉が生まれ、すっかり世間に定着しました。専門的には「HSP」といいます。

 

ボーが見る世界はまるで、「繊細さん」が見る世界。

(※心理学について専門知識があるわけではないので、あくまで素人のイメージです。どちらかというとHSPよりは強迫性障害とかの方が近い可能性はある。)

 

例えば、ボーはいつもかかっているセラピストに気持ちを安定させる薬を処方されます。その時、セラピストが「必ず水と一緒に飲むように」と言い含めます。

しかし翌日、ボーが薬を飲むと、ペットボトルの水が切れている。さらにはアパートの水道が壊れていて水が出ない…。もう、ボーはパニックです。

大雑把な人なら「しまった〜、まっ大丈夫でしょ」とか「食べ物を食べればいいでしょ」とかで流してしまうところですが、彼にはそうはいかない。慌ててネットで「水と飲まないとどうなるか」を検索し、最悪の場合には取り返しのつかないことに…なんて記事を見て更なるパニックに。

このパニックが悲劇を引き起こし、彼を大いなるアリスの穴へと誘います…。

 

母親の死に際しても、まずは母親がお世話になっている弁護士に電話して状況を教えてもらいます。

その際、弁護士に「息子のボーが実家に帰るまでは葬式を延ばしておくから、早く帰ってきてね」的なことを言われます。

しかしボーの耳には(そして映画を観る観客の耳にも)「みんな君を待っている。待てば待つほど、死者への辱めとなる。」と脅迫するような口調で、弁護士がボーを追い詰めるのです。

 

映画.comより(https://eiga.com/movie/99338/

 

おそらく実際にそう言われたのだろうけれども、それにしたってお母さんを亡くしたばかりの息子にそんなこと言う??って感じです。ボーがいかに自分を責めているか、自分を責めているボーにとっては周りの人の言動がいかに自分への刃となって突き刺さってくるかがよく分かるシーンです。

 

 

母親の顔色を伺い、相手を傷つけないか(傷つけられないか、ではなく自分が相手を不用意に傷つけないか)と怯えながら育ったボーが見る世界。世間の人々が無垢な自分を脅して追い立てる。

確かに相手はそう言ったし、そういう言い方をしたのでしょう。

でも、それを「なんだよ、嫌な奴だなぁ」「そんな言い方しなくてもいいじゃんねぇ」と受け流すことができず、真正面に自責として受け止めてしまうボーのか弱さ、繊細さ。

 

受け身を取れないという罪によって、ボーは身も心も満身創痍になっていくのです。

 

 

4. 受動的であることの罪

そう、ボーは人を傷つけたりしません。むしろ、人を傷つけないように必死に気を遣っています。

誰かとの約束は必ず守り通そうとするし、言われた通りにしようとする。

とはいえ善悪の区別がつかないサイコパス野郎ってわけではなく、ヤバい状況には近づかないように自己防衛もする。

 

でもね、それじゃダメなんです。

 

少なくともボーは、ダメだったんです。

 

 

トラブルに見舞われた時、ボーは必ず言います。「どうすればいい?」「自分はどうするべき?」

 

 

 

知らんがな。なんですよ。

 

 

 

9歳の少年なら、それでも良かったでしょう。従順で無垢であることを世界は称賛したでしょう。

でももう、ボーはいい歳した中年です。

他人に選択を委ねるな。自分で考えて、自分が考えうるベストの選択をして、そしてその結果の責任を負う。その重荷を、相手に簡単に手渡すな。失敗もするだろうから、傷を癒してくれる仲間を持て。少年ジャンプの主人公たちなら10代で言われる台詞ですが、ボーはその台詞に出会えなかた。

知らないうちに、いつの間にか世間はそうなっていたのです。ボーが気づかないうちに、いつの間にか。「従順で無垢」であることよりも、「主体性と責任感」が評価される世界に。ボーはそのことに20〜30年くらい気づくのが遅かった。

 

母親がボーの精神的自立を妨げたせい。

母親が過干渉だったせい。

原因を求めるのは簡単ですが、しかしそれはボーを救いません。そこに原因や理由があるからといって、世間にとっては「だから何?」「それこそ、知らんがな」なんだもの。

 

自分は人を傷つけない。むしろ人の意向に沿うように、必死に要望に応える。

でも、いつの間にか自分は加害者扱いされる中年男性になっている。

加害性のある「男性性」をこれでもかと閉じ込めて生きてきたのに、それでどうやって恋すればいいか分からない。誰も傷つけずに恋ができない。友達は…なぜかいない。

 

 

どこで間違っていたんですか?

 

 

こんなに世間や目上の人の言うことを従順にきいてきたのに、何がいけなかったんですか?

 

 

受動的であること、受け身であることって、そんなに罪なんですか?

 

 

 

……この映画が出した答えは、ぜひご自身の目で、ラストで確かめてください。

 

 

5. 風刺を載せたイマジネーション

こういう「現代社会って疲れるよね」「なんか世の中、病んでるよね」というメッセージを作品に載せることは、多くの作品がしていることです。

 

でもね、ここで私の独り語りを許していただけるなら(というかここまでもずっと私の独り語りだしこの後も全て独り語りなのでこのままの流れで一歩踏み込ませていただきますが、)そういうメッセージって、けっきょくツイッターの140文字でも散々書かれていることなんですよ。

それを擦って電波に載せている映像作品、キャラクターに言わせている漫画作品、集めてまとめたニュース(?)記事の多いこと、多いこと。

 

映像を作るとか漫画を描くとか、「創作」することってものすごい労力も資金も人手も時間も想像力も要するのに、それで生み出した作品でキャラクターが吐き出すセリフがツイッターで2分で書けるツイートと同レベルじゃあ、視聴者として浮かばれない。あたしゃ浮かばれないよ。

 

そこを乗り越えて、イマジネーションの力でコメディ作品としてエンターテイメントに仕上げてくれたアリ・アスター監督はさすがとしか言いようがありません。

単に監督が思っていることを登場人物にセリフで言わせるのではなく、観客の心に言わせるんです。ボーの冒険を通して、ボーの言動を見て、観客の心の中に去来するもの。思わず叫びたくなるもの。ボーに言ってやりたい一言。ボーに…つまり自分自身に、言ってやりたい一言。

それらを心の中で存分に言わせるためにプロットがあり、脚本があり、物語の展開がある。

 

そしてラストで、言ってやりたくて胸の中でウズウズしていた言葉たちを、全て攫って渦の中に飲み込んでいく。結末のカタルシスによって、まさに溜飲を下す。

 

この監督は、「こういう意見もあるよね」「こう思う人もいるよね」とポーンと「いち意見」を放るような臆病な真似はしません。結末でも逃げ回りません。

この物語の中で、きちんと完結させてくれる。

 

彼は、こうでした。

 

この物語の、この主人公は、こうでした。

 

その物語を目の前にして何を思うのか。

自分の中でたくさん思うことはあったはずなのに、見終わった時には、全部スッキリして爽やかな気分になっている。

どうしてアリ・アスター監督には、こんなことができるんでしょう。

 

 

さいごに:陰キャ中年を鋭いナイフでブッ刺しにきた

サブカルが流行ってから数十年、体育会系・クラスの一軍・チャラい奴らを斜に構えて見ていた陰キャたちももう大人になりました。子どもがいたり、早ければ孫がいてもおかしくない年齢です。

この年代の私たち陰キャを、切れ味抜群の光ったナイフで刺し殺しにきたのがこの『ボーは恐れている』なのです。

 

ボーとは、誰のことでしょう。

 

自分のことなのか、自分の知っている誰かか。

 

 

前作『ミッドサマー』が「白馬の王子様が現れなくてウジウジ悩んでいた女子大生」の地獄の物語ならば、今作は「聖母のような女の子が空から降ってこなくてウジウジ悩んでいる中年男性」の地獄の物語です。←すごく悪い言い方をしてますが、どちらも最高のテーマだと思います。

 

思い当たるところが何もない方は、どうぞ非現実的なコメディとしてお楽しみください。なんなら観なくてもいいかもしれない(なんてったって3時間もあるし)(当たり前みたいに3時間の映画作る昨今の風潮、どうにかならんのかな)(来れ90分映画)

少しでも「あれ…それって…?」と胸に痛みが走った方はAmazon Primeで観ることができます。

 

 

他にも語りたいことはあるので、また追加で記事を書くかもしれませんが、ひとまずはこんなところで。

 

最後に、監督インタビューの一節を載せておきます。

僕自身あまり居心地がいいと思える人間じゃないので、みんなにも本作を観て、居心地の悪い思いをしてほしい。それでこそフェアだと思うので

出典:

eiga.com

 

はー、ほんとこの人、最高。

 

 

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