旅するトナカイ

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山鳴り

わたしは部屋のカーテンを端まで勢いよく開けた。刺すような白い日差しが部屋で踊り出す。まあこの名前を呼ぶと、彼女はベッドの中でゆっくりと瞼をあげた。寝ているわけではなかったようだ。それとも、とても浅い眠りの中にいたのか。
「朝ごはん。食べられる?」
まあこは小さな返事とともに頷いた。目はぱちりと開いていたが、身体が動く気配はなかった。わたしは窓を半分開けて部屋の中に風を通した。夏のじわりとぬるい空気が外へ吐き出されてゆく。晴天の空の中をトンビが円く飛んでいた。
まあこは一日の大半を寝て過ごす。どうやら彼女にとっては、寝ることは呼吸をするのと同じようなことらしく、放っておけば何十時間でも眠っていた。起きて活動することはできるにはできるが、寝ているほうが楽なのでつい眠ってしまう。あまりの睡眠量の多さに両親が心配し、精神的なストレスが原因だとして夏のあいだ田舎のわたしのところへ送られた。小奇麗な新興住宅街である彼女の家とは違い、わたしの住まいは四方を山に囲まれている。空気も水も彼女の地域よりは美味しかった。そんな環境の中でも、まあこの睡眠量はさして変わらないようだった。わたしが声をかけなければ食事にも起きてこない。
「山が鳴いてる」
依然として姿勢を変えないままでまあこが言った。わたしは窓の外に見える、穏やかな曲線を描く山の連なりを見た。梅雨の豊富な雨とそのあとの太陽の光をたっぷりと浴びて、山には深い緑色の木々が隙間なく立ち並ぶ。それは都会のビル群にはないやさしさで、けれどずしりとした存在感をもって、わたしたちを取り囲んでいた。
それはわたしのもとへ来てから、まあこが何度か口にすることであった。「どんなふうに?」をわたしが尋ねると、そのときまあこは喉の奥でこん、こん、という音を立てた。
窓の外ではゆるい風が木々を揺らしている。葉のこすれあう音と鳥の声以外は、何も聞こえない。
「いつもとはちがう音」
「どんな音なの?」
「どーん、どーん。って」
まあこはゆっくりと瞬きをした。ここから見える山は、いつもと変わりなく遠くにそびえていた。しかしその中にはもしかしたら、木々に覆われて見えない何かが内包されているのかもしれない。人間には見えない何か。まあこにしか聞こえない。
「いつもとちがうの」
キッチンでやかんが鳴いた。