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【社会学#8】別れることについて

哲学者の串田孫一の本をいま読んでいて、まだ途中だけど

面白い発見があったので読み終わる前にメモ。

 

考えることについて (徳間文庫カレッジ)

考えることについて (徳間文庫カレッジ)

 

 

この本の「別れることについて」という章に

「昔の別れは、ゆっくりと名残惜しみながら別れるものだった。

船出の別れなんかは、テープを投げ合って最後までつながっていることを確かめ合いながら別れを惜しむ。」という話がある。

本の中ではこの後は「別れの心の準備をしておくにこしたことないよね」みたいな話になるんだけれども、

私にはこの「時代による【別れ】のスピード」という命題がとても興味深かった。

 

いまの【別れ】はどんなものだろう。

車に乗ってビューンと走り出してしまう、電車の扉が閉まって車両の速度がどんどんスピードを増して見えなくなっていく、自転車を漕ぎ出すとあっという間に離れていく。

その時お別れする私たちは、例えば船の出港を見守る人や汽車の出発を見守る人のように、少しずつ自分の大切な人が、自分の体からちぎり話されていくような痛みを感じているだろうか。

「だって、電車に乗ればまたすぐに合える」「スマホでいつでも連絡がとれる」

テクノロジーの発達によって、世界の距離と時間がどんどん短くなっていくことによって、私たちにとって【別れ】というものの切実さは、どんどん失われているのかもしれない。

 

【別れ】の切実さが失われる時、同時に【会う】ことの切実さも失われはしないか。

 いつでも会えるから、すぐに会えるから、ひとつひとつの対面の価値は下がっていく。

もう会わなくたってSNSで相手の状態は容易に知れる。

 

それは別に悪いことではなくて(ちょっと友人とお茶をして別れる別れにいちいち身を焦がすような思いなぞしないにこしたことはない)、

でもいざ「別れてもいつでもまたすぐに会える、会えなくても連絡を取り合うことはできる」という感覚の染み付いた私たちの前に【永遠の別れ】が突如立ち現れた時、私たちはそれをリアルな感覚として受け取れるだろうか。

最後にあの人の姿を見たのはいつだったか、どんな話をしたのだったか、

思い出すことがSNS上の投稿の姿・・・なんてのは、少し寂しい気もする。

 

私たちにはまだ【直接会って話をする】ことに他の連絡方法にない価値がある、という感覚が染み付いている。SNS上の会話の中で「今度食事に行こうね」なんて話をするのはその象徴である。

しかしこれから生まれてくる世代にとって、【会う】こと【別れる】ことは、どんな意味を持っていくんだろう。